032 マンティコア
マンティコアはグルルゥと獰猛な声を上げ、カイン達から目を離さない。
「(マズいな、確実に俺達を標的にしているな……どうする?)」
必死に思考を巡らせるのだが、打開策が見つからないでいた。
「(くっ、まさか噂になっている魔獣がマンティコアなんて上級の魔物だったなんてな…………。どこがBランクなんだよ?こいつはBランクどころかAランクの魔獣じゃないか…………)」
微かな振動を感じてチラッと背後に視線を向けると、アレンはカインの腰の裾を掴んでビクビクしている。
「おい、さっきの威勢はどこにいった?冒険者ならあんなのを相手にすることもあるんだぜ?」
「ん、んなこと言ったってよ!兄ちゃんあれを倒せるのかよ!?」
アレンは精一杯の強がりを見せているのは容易に理解出来た。
カインも本当ならアレンの不安を拭ってはやりたいのだが――――。
「……さぁな、どうだろうな」
正直に答えるしかない。
「なっ!?じゃあどうするんだよ!?」
「心配するな。俺があいつを引き付けるからその間にお前が逃げる隙ぐらい作れるさ」
「そ、そんな!?じゃ、じゃあ兄ちゃんはどうなるんだ?」
怯えるアレンの表情は更に追い詰められていく。膝がガクガクと震えだしていた。
「……まぁ俺もなんとか隙を見つけて逃げるから心配するな」
グッと手に持つ剣に力が入る。
とは言うものの、実際問題では軽口を叩けるほどの余裕はない。
マンティコアは今にもカイン達に向かって襲い掛かって来そうであるのだから。
「(――なぁ、聞こえているか? マリア達は今どこにいる?)」
思い付く打開策は一つ。
マリアがこの場に駆け付けること。
心の中で神に向かって問い掛ける。
今すぐでなくともマリアとフローゼが駆け付けることが出来れば生存確率が大幅に上がり、むしろここでマンティコアを討伐できるかもしれない。
それが今望める最善策。
「…………ちっ、返事はないか。くそっ、いつも変なところで声を掛けてくる癖に必要な時にこっちの声は届かないのかよ…………」
小さく舌打ちをした。
「な、なんのことだよ!?」
「いや、こっちの話だ」
神に問い掛けてみたのは、マリアに神の声は聞こえなくともフローゼに声は聞こえる。
フローゼを通じてマリアにマンティコアの存在を伝えればすぐに駆け付けてくれることに期待が持てたのだが――――。
「アレン!」
「な、なんだよ!?」
「とにかく今できることはここをどうやって切り抜けるかだ」
「う、うん!」
「アレン、後ろの道が見えるよな?わかるか?」
もうこうなるといよいよ独力でなんとかしなければならない。
「わかるよ?」
アレンはマンティコアから視線を外すことに恐れを抱きながらも、なんとか後ろの少しだけ踏み荒らされた草がある元来た道を確認する。
「俺がやつの気を引いている間に一気に走り抜けろ」
「で、でも……」
アレンは本当にそれでいいのかとカインを小さく見上げた。
その顔からは本当にそれでいいのだろうかと困惑しているのはよくわかる。
「いいから返事をしろ!」
「は、はいっ!」
小さくだが低く力強く声を掛けられたアレンは姿勢を正して困惑しながらもはっきりと返事をした。
カインの目を見て声を聞くと、はいと返答をするしか選択肢を与えられない。
「よしっ、じゃあ準備は良いな?――――ッ!」
アレンに問い掛けたところで出来ていないと言われても待つことは出来なかった。
「――えっ!?」
アレンを横に突き飛ばす。
もうマンティコアは地面を力強く踏み抜いて猛然とカイン達に向かって突進して来ていた。
カインはアレンを突き飛ばしてすぐに正面に対峙する。
眼前に迫って来たマンティコアは太く大きな前足を振るってその凶暴な鋭い爪をカインに向かって素早く振り下ろした。
カインはその爪を剣の腹で受け止めようとするのだが、受け止めた瞬間に「マズい!」と即座に半身になり剣の腹に角度をつけて地面に力を受け流す。
そして即座にその場を飛び退いてアレンの下に跳躍する。
「いってぇ」
アレンは突き飛ばされた先で急いで立ち上がった。
マンティコアはカインに向かった勢いそのままに走り抜け、四つ足を巧みに使って地面を駆けて振り返る。
「(あれだけの速さに重さ……まともに受け止めたら剣が折れて俺ごと引き裂かれるな…………それに――)」
咄嗟の対応でアレンを突き飛ばしてマンティコアの攻撃を凌いだところまでは良かったのだが状況が先程より遥かに悪化していた。
マンティコアはカイン達が最初に立っていた位置の背後に回り込んだのだった。
つまりそれは、アレンを逃がすためにはマンティコアの隙を突いて背後を駆け抜けなければならないということになる。
それとも、再び何らかの方法を用いてマンティコアとの位置取りを変えるしかなかった。
他に思い浮かんだ退避策は、他の茂みの中、道なき道をアレンに闇雲に走ってもらうことも考えるのだが否定する様に即座に首を振る。
ただでさえ迷いの森と呼ばれる複雑怪奇な森を子ども一人で駆け抜けるなど、命を投げ出すに等しい。
「(くそっ、誰かを守りながら戦うなんて二度と御免だと思ってたが――――)」
ふと脳裏に苦い思い出が蘇ってくる。
「(なぁマール、お前ならこんな時どうする……? アレンを見捨てて逃げるか? それとも、アレンを守りながら自分は死ぬかもしれない目に遭うのを選ぶのか?)」
心の中で静かに問い掛けるのだが、すぐに答えが出て小さく笑みがこぼれた。
「(――いや、聞くまでもなかったな。マールはそれをしたんだもんな――)」
恐らくマールなら後者を選ぶと断言出来る。
「もう二度とあんな思いをしてたまるか……」
ギュッと握るのは再び剣を持つ手に力が入った。
小さく呟いた独り言はアレンには届いていない。
「――に、兄ちゃん!どうするんだよ!?あいつ、あそこから動かないぞ!?」
カイン達の視線のマンティコアはジッとカインを睨んでいた。
「(どうした?何故動かない?さっきの動きならすぐに襲ってきそうなのだが……)」
マンティコアはカインが想像以上に手強い獲物だと認識している。
だが、逃げる程の脅威を感じるわけではなかったのでその場でじっとしてカインのことを観察していたのだった。
「そうか、一応警戒はしてもらえてるみたいだな。ならそこをきっかけにしてなんとか隙を作って――――」
カインが思考を巡らせている間にマンティコアは視線の先をカインからアレンの方を向ける。
マンティコアの視界、瞳の中には毅然と立ち向かう鎧の男とその背後でビクビクと身体を動かしているアレンの姿が映った。
「――――くそっ!」
カインは即座にアレンを抱きかかえる。
マンティコアの目玉の動きでアレンを獲物の最優先に引き上げたのはすぐにわかった。
マンティコアの挙動が明らかに先程と異なる。
マンティコアは後ろ脚を揃えてグッと深く沈んだ後、思い切り踏み込んで一直線にアレン目掛けて飛び掛かったのだった。
マンティコアの突進に対してアレンを抱えたまま辛うじて回避することはできたのだが、マンティコアはカインの横を通り過ぎた瞬間に背中の翼を大きく動かして再び地面を踏み込んで空中で一気に方向を変える。
カインの飛び退いた方向に向かって急激に方向転換をしたのだった。
「――なっ!?」
あまりの敏捷性の高さにカインも思わずギョッとなる。
方向転換したマンティコアの爪は的確にアレンを捉えていたのだ。
カレンは咄嗟に判断してアレンをグッと腕の中に抱きしめる。
「――――ぐあああぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴をあげるカイン。
カインは勢いそのままにアレンを抱きかかえたまま地面をゴロゴロと転がり続けた。
そしてすぐに起き上がり、マンティコアの動向を確認する。
「ぅぐっ……すぐにアレン目掛けるなんて、知恵も十分だな――」
グルルと唸り声を上げるマンティコアを真っ直ぐに見た。
マンティコアがアレン目掛けたのは、自分との初撃の手応えからしてそうした方が良いとすぐに判断したのだと理解する。
「に、兄ちゃん!う、腕が!?」
カインは左腕に深々と爪による傷を受けて、ボタボタと鮮血を垂れ流していた。




