エルフの森
光の出口を抜けると、そこは背の高い木々が生い茂る森の中だった。明るさは十分感じられるが、頭上を見上げても太陽は見えない。
風が通り抜けて木の葉を揺らす。
なんだろう。よく分からないけど違和感があるような…?
ユグは礎の気配が感じられる世界と通路を繋いだと言っていた。つまりここはアリスが15年間生きてきた世界とは違う世界ということだろう。ここが何処なのかも分からない、ましてやどんな世界なのかすら分からない状況の中、アリスは動じることなく周囲を冷静に観察していた。
見渡せる範囲に家や建物は見当たらず、この辺りで人が生活をしている気配はなかった。
この世界にも人はいるのだろうか?と思うと同時に、人がいたとして言葉は通じるのだろうか?と考える。
「ねぇシオン、ここ何処だか分かる?」
アリスが後ろを振り返ると、ちょうどシオンが光の穴から出て来るところだった。
シオンの身体が出口から完全に離れると光の穴は徐々に小さくなり、現れた時と同じように音もなく消えてしまった。どうやら入ってきた穴から元の場所に戻ることは出来ない仕組みらしい。
「おや、ここは…」
シオンは目の前に広がる景色に見覚えがあるようで、1人でブツブツと何かを呟いている。
独り言を呟いているシオンを横目に、アリスは先程から感じている違和感の正体の1つに気が付いた。
こんなに立派な木が茂っている森なのに、鳥の鳴き声が全くしない。
太陽こそ見えないが、明るさからして昼行性の生き物は活動している時間帯だろう。それなのに風が木の葉を揺らす以外は全くと言って良いほど音がしないのだ。
アリスは目の前に立っている木に目を向ける。
この木、ここに在るのに無いような、何か変な感じがする。
この木だけじゃない、この森全体からエネルギーを感じない。
不思議に思ったアリスがゆっくりと木の幹に手を伸ばした時だった。
「その木には触らない方が良い、死にたくなければね」
声がした方を振り向くと、スラリとした細身の男が立っていた。
男の身長はシオンより少し低いぐらいだろうか、フードを被っているため表情は見えないが、冷たさを感じさせる声は忠告とも牽制とも受け取れる。
「死にたくなければというのはどういう意味でしょうか?」
シオンが警戒しながらアリスの前に出て尋ねる。
男はアリスとシオンを見定めるようにじっと見つめ、やがて興味深そうにへぇと声を漏らした。
「女の子は人間だね、でも手前のキミは人間ではなさそうだ。死にたくなければというのは言葉通りの意味さ、その木に触れたら生気を吸われて死んでしまうよ。この森にそんな知識すら無しとは、一体何処からやって来たのかな?」
男の声はより一層冷たく、鋭い視線をアリスとシオンに向ける。
森の木々がザワザワと音を立て、不穏さを演出しているかのようだ。
アリスは喉の奥が緊張でキュッと締まるのを感じた。
「私達はとある事情で世界を旅しているの。と言ってもここが最初の世界で、私自身どうなっているのか未だ分かっていないんだけど…。だからこの森のことも知らなくて、ごめんなさい」
一目見てシオンのことを人間ではないと見抜いた男に、ここは嘘を吐くべきではないと判断したアリスが口を開いた。アリス達がこの世界にやってきた事情を話すことは禁忌だとシオンに止められているため全てを話すことは出来ないが、禁忌に触れない範囲で本当のことを話す。
「私のことを助けてくれたんだよね?ありがとう。ここが何処なのか教えてくれませんか?」
男はアリスのことを人間と言った。まるで自分は違う生き物だという風に聞こえる。
だとしたら、男は一体何なのだろう?
アリスは無意識にシオンの服の端をギュッと握っていた。
「エルフの森」
静かに、ポツリと呟くような声だった。
「ここはかつて生命の源と呼ばれエルフの楽園と謳われた森の、その抜け殻さ」
男が被っていたフードを外すと、エルフ特有の先が尖った耳が現れた。
先程まで冷たい雰囲気を纏っていた男の表情が、アリスにはとても哀しそうに見えた。
エルフはアリスのいた世界では空想上の存在として知られていた。
自然を愛する長命な種族、そのエルフが目の前に存在するということに、アリスは改めて別の世界に来たということを実感した。
「ボクはノエ。この森を抜けた先にボクが住んでいる集落がある。良ければ案内するよ」
右も左も分からないアリス達にとって願ってもない提案だった。
この世界に来てから未だ何の役にも立っていないシオンを見ると、アリスにお任せしますよ、と何の参考にもならない反応が返ってきた。
別の世界では兄妹という設定でいこうと言っていたが、シオンがあっさりと人間ではないと見抜かれてしまったためその設定も没だろう。この状況だと側から見たらどんな関係性に見えるのか、出来るだけ自然な設定を考えたいところだが。
「行くあてがなかったから助かるわ!私はアリス、こっちはシオン。よろしくね」
シオンが何も言わないのだから、ノエは悪いエルフではないのだろう。
アリスは友好の姿勢を示そうと、握手を求めて手を差し出した。
「アリスとシオンだね。集落まで少し歩くから、この世界の状況については歩きながら説明しよう」
ノエは感情が読めない笑顔でにっこりと微笑むと、アリスの手を取ることなく歩き出した。
行き場を失った手を見つめたアリスは、所在なげに手を降ろす。
この世界では握手する文化がないのだろうか?
今のアリスには、ただ黙って付いていく以外に選択肢はなかった。
前回の更新から2年も経ってしまいました…。
久しぶりに読み返したら続きが書けそうな気がしてきたので、少しずつ更新して行けたらと思います。