世界樹
それは想像以上の大きさだった。
「これが世界樹・・・」
「そうです、この木を通して全ての世界は繋がっているのですよ」
御子として世界を再生するためには、この世界樹がとても重要な役割を持つということで、アリスとシオンは塔の外へと移動してきた。
世界樹と呼ばれたその木は、見上げても天辺が見えないぐらいに背が高く、幹は腕を広げても半分すら届かないほど太い。
その大きさからか、不思議な神々しさを感じる。
「あら、珍しいお客様ね」
不意に世界樹から少女のような声が聞こえた。
木の葉が輝き始めたかと思うと、光は次第にアリスの正面辺りに集まり、やがて少女の姿が現れた。
「やぁ、ユグ。久しぶりだね」
光から現れた少女に向かってシオンが声をかけた。
少女の名前はユグというらしい。
彼女は10歳ぐらいの見た目をしているが、淡い光を見に纏った姿から精霊だろうかとアリスは思う。
「精霊というよりはAIみたいなものかしら。お久しぶりです、再生の御子」
ユグは少女らしく悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「えっと・・・あなたに会うのは初めてだと思うけど」
「あら、こういう時は初めましてが正解だったかしら?」
「ユグ、あまり御子様をからかわないで」
ふふっと笑うユグをシオンが嗜める。
「シオンとは本当に久しぶりね・・・。黄昏の刻は近いのね」
ユグは見た目にそぐわない大人びた表情で、遠くを見つめて呟いた。
黄昏の刻とは何だろうか?
シオンとは長い付き合いのような雰囲気だし、自分だけ置いていかれているようであまり良い気はしない。
「ちょっと説明が欲しいんだけど」
ちょいちょい、とシオンの服の端を引っ張って訴えると、すみませんと軽い謝罪とともにユグについて教えてくれた。
彼女は世界樹が日々膨大な情報を取り込む中で生まれた存在だという。世界樹の記憶は即ち彼女の記憶と同義であり、つまり情報から生み出されたユグはAIのような存在だ、というのがユグ自身の認識らしい。
「アリス、私は貴女のことも良く知っているわ。幼い頃から苦労が絶えなかったこと、ご両親はご両親なりに貴女を守ってきたこと。貴女が生まれ育った村で月影教に疑問を持つことができたのは偶然ではないの。御子の魂が持つ力、それが貴女をヨルの影響から守ったのよ」
ユグはアリスに近付くと、アリスの両手を小さな手で包み込んだ。
「忘れないでね」
アリスとしては過去にあまり良い思い出はなく、覚えておきたいこともなかったのだが、口には出さないでおくことにした。
「この世界は9つの礎の上に調和を保っているの。ヨルが現れてから、各地に散らばる礎との繋がりが不安定になっているわ。このままだとやがて世界は均衡を保てなくなり、いずれ崩壊してしまう」
「崩壊って具体的には何が起こるの?」
「そうね、例えば雪原が砂漠に変わってしまったり、今まで存在しなかった異形が各地に現れて襲い掛かったり。独立して存在する世界が歪に混ざり合うことで、大きな混乱が起きるとされているわ」
何だか良く分からないけど、とにかく問題が起きるらしい。
世界の命運を任された人間なら、こういう時に自分が世界を救わねばと奮い立つのだろうか。
あいにくアリスにとって生きていることは惰性でしかなく、世界が崩壊するというなら一緒に崩壊するだけだと思えてしまう。
全てが他人事のように感じる自分が、この世界の何を変えられるだろう。
(いつか貴女がこの世界をーーーーてちょうだい)
夢で聞いた女性の声を思い出す。
あの女性はアリスに何を求めているのだろう。
「アリス?」
急に黙ってしまったアリスの顔を、ユグが怪訝そうに伺う。
「・・・何でもない。つまり、9つの礎を元に戻せば良いのね?じゃあその9つの礎がある場所に行こう」
「それなんだけど・・・」
今度はユグが黙り込む番だった。
バツが悪そうな様子で、口をもごもごさせている。
「再生の御子、つまりアリスがこの空間に来ているということは、世界全体に対してヨルの影響がかなり広がっているということなのです」
黙ってしまったユグに変わってシオンが話しを引き継ぐ。
「そしてその影響は、ユグや世界樹に対しても例外ではない。礎との繋がりが失われつつある今、ユグが礎の場所を特定することは極めて困難な状態になっているのです」
「ごめんなさい、アリス。かつては9つの世界に世界樹の様な大木が存在し、その大木が礎としての役割を果たしていたの。いわば、ネットワークのハブの様なものね。それが長い年月をかけて様々な形に姿を変えて行き、今はどんな形で存在しているのかも分かっていない。でも、これは世界のヨルに対する防御反応のようなものだと思うわ。大切なことは、礎との繋がりが絶たれていても、礎本体が壊された訳ではないということ。繋がりは希薄になっているけど、存在自体は今も感じることができるの」
ユグは自分の胸に手を当て、何かの感覚を探すように目を閉じて意識を研ぎ澄ましている。
ユグを包む光が一層強くなったかと思うと、世界樹の幹の部分にちょうどアリスの背丈ほどの光の穴が出現した。
「礎の存在を感じる世界との通路を開いたわ。9つある礎の内、どれか一つがこの世界に存在しているはずよ」
アリスは光の奥がどうなっているのか見てみようと目を凝らした。
けれども、光の通路は眩しくてどうなっているのかさっぱり分からなかった。
「アリス、貴女に預けたい子がいるの」
ユグはにっこり笑うと、首から下げていた笛をピーっと鳴らした。
すると、頭上から2羽の真っ白なカラスが降りてきてユグの肩の上に止まった。
「この子達はフギンとムニン。私と同じように世界の記憶にアクセスすることが出来る賢いカラスよ。アリスにはムニンを連れて行って欲しいの」
ユグは左肩に乗っていたカラスをアリスの方へ差し出した。
恐る恐る手を伸ばしてみると、ムニンと呼ばれたカラスはユグの手を離れてアリスの肩に止まった。
不思議なことに重さをほとんど感じない。
「ムニンを通して私の声を伝えることもできるから、外の世界で何かあれば通信することも可能よ」
「へぇー、それは便利そう」
撫でてみようと指先をムニンの手元に伸ばしたところ、思い切り突かれてしまった。
ムニンはツンとそっぽを向き、気安く触るなとでも言いたげな態度である。
「御子様が便利なんて言うからですよ」
アリスが突かれた指に息を吹きかけている横で、シオンが楽しそうに笑う。
「この子達はアリスと一部の者にしか視えません。彼等は情報収集能力に非常に長けていてとても賢いので、きっと心強い味方になるでしょう。ムニンを呼ぶ時はこの笛を使うと良いわ」
そう言うと、ユグはどこからともなく小さな木製の笛を取り出した。ユグが首から下げている笛と同じもののようだ。
ムニンが人に視えないのに、笛で呼ぶのはどうなんだろうと思っていると、笛の音も同じく一部の者にしか聞こえないとのことだった。
「繰り返しになるけど、この世界は世界樹を中心にそれぞれ独立した複数の世界で形成されているの。これからアリスが向かう世界は、アリスが知っている世界とは全く違う場所だと言うことを忘れないで」
「わかった」
「もし月影教の紋章を見かけたら十分注意すること。ヨルも私たちと同じように世界を渡る術を持っている、月影教の紋章があるところはヨルの影響をより強く受けているということだから」
月影教は新月をモチーフにした紋章を使っていた。
同じようなものを見かけたら見逃さないように気を付けなければ。
「成功を祈っているわ、また会いましょう」
「ありがとうユグ」
短い挨拶を交わした後、アリスは光の通路に一歩足を踏み入れる。
仕組みはよく分からないが、見えない先にも地面は続いているらしく足の裏に硬い感触が伝わってきた。
「御子様、恐れることはありません。このシオンがついていますから」
トン、とシオンに背中を押されて更にもう一歩踏み込んだ。
「シオン、御子様を頼みますね」
シオンの身体が光の奥に消える前、ユグが心配そうに声をかけた。
シオンは返事をする代わりに、ひらひらと手を振ってアリスの後を追いかけるのだった。
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外から見たときの眩しさとは裏腹に光の通路の中は暗かった。
暗闇の中、足下の道筋だけがぼんやりと明るく輝いている。
そのお陰で道を見失う心配はなさそうだった。
ムニンはアリス達を先導するように、少し前を飛んでいる。白い姿は闇の中で道標のようにも思えた。
「結局何をすれば良いのか分からないんだけど」
ユグの話で世界の置かれている状況については分かったけれど、礎がどこにあるのか、失った繋がりを取り戻すとは具体的にどうすることなのか、辿り着いた世界で何をすれば良いのかが曖昧だった。
「正直なところ、現時点で明確な答えは無いのです。世界で何が起きているのかを見定め行動すれば、自ずと答えは見えてきましょう」
「そういうものなのかなぁ・・・」
事前情報のない状況で、とりあえず行って考えろ、とはなかなか横暴ではないだろうか。
「そうだ、御子様!管理塔以外の場所では、再生の御子であることや世界樹の話をすることは禁忌となっています。世界の仕組みや真理を知ることは、多くの混乱と危険を招きます。絶対に口になさらないようにご注意ください」
「まぁ、そうだよね。誰も信じないと思うけど」
目の前に突然神が現れたと言われても、大体は言った人間の頭の調子が疑われるものだ。
それが世界の崩壊だの再生だのと言われた暁には、それこそ怪しい新興宗教のようだ。
「私たちの関係性は、そうですねぇ・・・世界を旅して回る兄妹、てところでしょうか?」
「大丈夫かな、シオンと私、あんまり似てないと思うんだけど」
癖っ毛銀髪のシオンと黒髪ストレートのアリス、血が繋がっている兄妹には見えない気がする。
「んーー、まぁその辺は何とかします。こう見えて僕は優秀なお供なので、アリスは安心して良いですよ!」
自信たっぷりに胸を張るシオンに、アリスはかえって不安になる。
「そういえば、ユグは自分のことをAIって言ってたけど、シオンは何なの?人じゃないよね?」
「同じようなものだけど、アンドロイドって感じかな?ユグと違うのは、僕には実体があるというところだね」
なるほど、とアリスは思った。
アンドロイドということはお腹は空かないのだろうか?充電が必要なのだろうか?
色んな疑問が湧き上がってきたが、どうやら光の通路の終わりが近いようなので質問は後回しにすることにした。
入口と同じような、アリスの背丈ほどの光の穴が徐々に大きくなり近づいているのが分かる。
「兄妹ってことは、私はシオンのことをお兄ちゃんって呼べば良いのかな」
外に出る直前、アリスが何の気なしに言った言葉にシオンが複雑そうな顔をして固まってしまう。
「ま、呼ばないけどね」
安易に兄妹と提案してしまったものの、やっぱり兄妹という設定には無理があったなと今更ながら反省するシオンなのであった。