1 事件前日にて
『事件前日談』
出会いとは印象が肝心である。何があっても弱みを見せてはいけない。
東部大国アストリア警察――サウストリス担当アナスタシア・ローランは、『彼等』の治める街へと赴いていた。
深く深呼吸をして、気持ちを切り替える。
本来ならば、仕事ではなく休暇を取って訪れたいところであるが、事は重大であり、ましてや自身が担当する地域での出来事なのだ。
そう甘えたことを言えた口ではない。
アナスタシアは、そっと眼前に置かれた扉に手を当て、数回ノックを入れる。ノックが続けて三度響いた直後、扉は自然に開きアナスタシアが踏み入ることを許可した。
思えば、『彼等』と顔を合わせるのは初めてであり、また東部大国ならびにこの世界に生きる人々に希望を与えた者達なのだ。
わずかながらに緊張し、額から静かに汗が落ちてゆく。扉を越えた先には赤い絨毯が引かれただけの廊下が続いている。外は昼間であるのに建物内は薄暗く、廊下には一定の間隔で設置された灯りが少しの空間を照らしていた。
長く伸びた廊下を越えたアナスタシアは、再度扉の前に辿り着いた。
心は決まっている。いつでも行ける。
そう小声で告げて、勢い任せに扉を開けた。
「ようこそ――アストリア警察サウストリス担当アナスタシア・ローラン様。 主――サーティン・ルーザス様がお待ちしておりました」
使用人といった様子の青年は、アナスタシアに笑みを見せ、大きく開かれた扉を閉めた。
余りの事にアナスタシアは呆然と立ち尽くした。元より『彼等』には何一つ伝えてはいないにも関わらず、こちらがここへ来ることを把握していた。
そのことについて、思わず先程の使用人に訪ねようと声を出す瞬間……。
「――なぜ、私がここに来ることを知っていたのですか? ってか」
アナスタシアよりも早く、自身が思い、訪ねようとした質問を口にされ、さらには、それに対する返答までが耳に届いた。
「それは俺が――先が視えて、尚且つ思考が読めるからだ。どうだ? アナスタシア担当官」
あぁ、そうか、とアナスタシアは納得した。
であれば、最早ここに来た目的を隠すことは出来るはずもなく、単刀直入に切り出した。
「ご説明ありがとうございます。 では今回、貴方がたの起こした事件に関して調査と、アストリア警察より監視が必要と判断されました。 もうお察しではあるかと思いますが、今回の調査と監視で、危険または、東部大国アストリアにとって害を成す者達と認定された場合、国外追放か、牢獄での生活が待っているでしょう。 ここまでで異論はありますか?」
緊張はあったものの、今の話に間違いはなく、目の前に立つ男――サーティン・ルーザスであれば理解できるであろうように告げた。
すると、サーティンは髪をわしゃわしゃとかき、二度欠伸を漏らした後、予想もしない返事をした。
「とりあえず、眠い。 おーいマリー! 俺ちょっと寝るからアナスタシアちゃんの相手してくんね?」
マリーと呼ばれた女性は、手に持つティーポッドをテーブルに置き、喜んでいわんばかりの笑顔でアナスタシアの前に現れた。
アナスタシアから見ても比較対象として比べることが出来ない豊満な胸は、白のシャツからその姿を覗かせている。さらには、整った顔立ちでねっとりとした口調。
女であるアナスタシアからみても、美しく見惚れてしまう。
「ちょっと! 私はここの主であるサーティンさんに用事があって……」
「良いではないですか、ここはわたくしマリーが責任を持ってアナスタシアさんのお話をお聞きいたしますわ」
マリーに背中を押され、嫌々客間の席に腰を落とした。
その間にマリーは、二つティーカップを用意し、両方に紅茶を注ぎ、一つをアナスタシアの前に、もう一つをマリー自身の前に置き、ゆっくりと席に座った。
アナスタシアは少々苦手に思いつつも、鞄に締まっていた資料を取り、そこに綴られた数多くの事件について、調査を開始した。