75 馬車の旅
――カポッ、カポッ、カポッ。
馬車を引く二頭の馬の心地よい足音が耳に届く。
パーシファーの叔父が走らせている馬車は、あの盗賊どもがスケトンに引かせていた馬車とは段違いの速度で進んでいる。
やはり、ロバと馬では体格などが全然違うので、それが大きな差となるのだろう。
「乗り心地はどうだい、君たち?」
「まずまずですね」
パーシファーの叔父、トムスンさんは馬車の先頭に座って手綱を握っており、俺とソファイリは後部座席に乗っている。
「ううっ……まだ、バリーにつかないの……」
「出発してから一時間も経ってないぞ」
俺の横に座っているソファイリはとてもぐったりとした様子だ。
気分が悪いのか、おぇーと何度も呻きながら、馬車の外へ顔を突き出して風に当たっている。
昨晩のささやかなお別れパーティーで意地を張って、あの酒豪ドワーフのジジィと飲み比べをしたせいだろう。
乗り物酔いと二日酔いのダブルコンボは辛そうだ。
「そうだな。俺の馬はそんじょそこらの平凡な馬よりは早いが、頑張ってもあと五日は掛かるだろうな」
五日か。
こっちへ来た時も確かそのくらいの時間が掛かったはずだ。
長旅だし大変そうだが――今回はあの時と違って同行している仲間がいる。
少なくとも退屈しすぎて、ベルディーとしりとり対決100本勝負をするようなことにはならないだろう。
「うぅ……なんかでっかい綿菓子が見えるわ……」
今にも嘔吐しそうなソファイリは、苦しそうな声でそんな妄想めいた発言をした。
「疲れすぎて、蜃気楼でも見えたのか?」
「いや、あれは蜃気楼じゃないぞ。俺にも見える。一体、何なんだろうな?」
トムスンさんにも見えるらしい。
気になったので、俺もソファイリ側の風景を見てみると、確かに大きな綿菓子みたいなものが地平線の彼方に存在していた。
砂嵐か?
「なんだか段々と大きくなってきてませんか、トムスンさん?」
「そうだな。こちらへ近づいているみたいだ」
猛スピードで移動している巨大な魔物が砂埃を立てているのか?
だとすると、非常に困る。
ソファイリは戦える状態ではないし、ごく普通な行商人のトムスンさんの戦闘力には期待できないし、毎度のことだが、もちろん俺も役に立たない。
うまいこと俺たちの馬車を避けてほしいものだが、そんな俺の願いにお構いなく、砂埃のもわもわはぐんぐんとこちらへ向かっている。
まるで意図的にこの馬車を目指しているかのような不自然な動きだ。
「このままだと衝突するぞ! 君たち、衝撃に備えてくれ」
トムスンさんは手綱をピシッと引き、二頭の馬に地面にしゃがむよう指示した。
俺はまず馬車から上半身が出ているソファイリを引き摺り込み、俺自身が衝撃で吹っ飛ばされないように両手で馬車の壁にしがみついた。
「来るぞ!」
砂埃の中に隠れてよく見えない何かは、馬車のすぐ横まで接近すると、急にひょいと空高く跳躍し、ドガダンと大きな音を立てて馬車の屋根の上に着地した。
まずいな。あの運動能力と身のこなしの軽さ、間違いなく高ランクの魔物だ。
どうやって対処するべきか悩んでいると――
「ただいま、モーラノイ!」
――急に俺の目の前にセタニアの顔が現れたので、思わず超絶女々しい、甲高い悲鳴を上げてしまった。
「お、おかえり。心臓に悪いから、今後はそういうのやめてくれよな……」
セタニアは馬車の上からピョンと飛び降りると、驚いた顔を浮かべているトムスンさんの横を通って馬車の中に入りこみ、ストンとその大きな尻で俺とソファイリの間に座り込んだ。
「おいおい、お前さん悪い男だねー。そんなに美人なエルフのガールフレンドがいるのに、こんなところまで情熱的に追いかけてきてくれる綺麗な女性までいるなんて。おじさん、フーン君が羨ましいぞ!」
トムスンさんが茶化すようにそう言うと、
「……どちらかというと、あたしが二人の保護者をやっているだけよ」
とソファイリが夢も希望もロマンもない言葉を返した。
ちなみに俺もそう思っているので、「まあ、だいたいそんな感じです」とすぐさま肯定しておいた。
***
「わんわん!」
馬車が再び動き始めると、セタニアの胸の谷間からひょっこりとクソ犬が顔を出した。
クソ犬のくせに特等席で心地よさそうにドヤ顔しやがって……うらやまけしからん。
俺が恨めしそうな視線を送っているのに気づいたのか、クソ犬は「くふっ」と憐れみを含んだ笑いを漏らしてから、もごもごっとセタニアの懐から這い出して、今度は俺の膝の上に座った。
お前のとこでも寝てやるから、ありがたく思えってか?
俺が羨ましかったのはそっちじゃないんだよなぁ……。
「おい、重いからどけよ」
もちろんクソ犬は俺の命令を完全にスルーして、頭をぐったりと俺の膝の上に横たわらせた。
どうやらここで寝る気満々のようだ。
もちろんそんなことが許されるわけがないので、俺はクソ犬の安眠を妨害しようと、奴の頭にフーフー息を吹きつけ始めた。
するとクソ犬はくるりと顔をこちらへ向け――
「ゴベッ」
「う、うぐっ……」
この世のものとは思えない臭いのゲップで反撃してきた。
くっ……。ここは一旦、撤退だ。
奴の兵器の性能が高すぎて勝負にならない。
どう見てもただのモップ犬なんで忘れていたが、一応、このクソ犬は毒属性の魔物なんだよな。
「なあ、セタニア」
「なに?」
足を揺らしたり、ツンツンと指でつついたり、色々試行錯誤してみた結果、このクソ犬は俺の手に負えないとの結論が出た。
なので、担当者に丸投げしよう。
「こいつを名前で呼んでくれないか? そうしたら、どいてくれるかもしれん」
「わかった。ケパスコ、こっち!」
……ちっとも動かないぞ。
というかケパスコは名前じゃないだろ。
「いや、種族名じゃなくて個体名の方だよ」
「こたいめい?」
セタニアはきょとんとした表情を浮かべて、首を傾げた。
「例えば、俺は人間だけどフーンって名前があるだろ。それと同じだ。このケパスコに、こいつ特有の名前は無いのか?」
「おー、なるほど。そんなのはなかったヨ。いまからつけるネ!」
いや、今からつけても馴染まないから意味ないだろ。
そんな適当に付けられた名前で呼ばれて、このクソ犬が動いてくれるとは思えない。
「ケパスコはきょうから、フーン!」
「いや、さっきのはただの例だから。このクソ犬に俺と同じ名前つけるなよ」
「なんで?」
「いや、なんでと言われても……」
「セタニアはモーラノイすき。ケパスコもすき。だからケパスコもフーンにするヨ」
そ、そう言われると弱いな。
仕方がない、ここは大人な俺が多少の辱めを我慢して、セタニアの願いを叶えてやろう。
「うー、うー、うー」
「おい、セタニア。なんか、こいつ唸ってるぞ。飼い主なんだからどうにかしてくれ」
「あ、モーラノイ! しってるよ、しってるよ! それはネ、それはネ!」
「もったいぶってないで、早く教えてくれよ……」
ん?
なんか、ケパスコの下敷きになっているズボンの部分が妙に暖かくなってきた。
犬の体温って急にこんなに上昇するものか?
まあ一応、ただの犬じゃなくて、魔物なのでそんな体質でも驚きはないが。
「トイレいきたいってことだヨ!」
「もっと早く言え!」
セタニアにそう言われて瞬時にケパスコを放り出したが、時すでに遅しだった。
「ううっ……うるさいわね。疲れてるんだから、もうちょっと寝かせなさいよ」
どうやら無駄に騒いだせいで、いつの間にか昼寝をしていたソファイリを、起こしてしまったみたいだ。
「くんくん……ちょっと、何か臭うわね」
「フーンがおしっこしたヨ!」
「誤解を招く言い方はやめろ!」




