7 盗賊兄弟
『ちょっと話が違うんじゃないか?』
タライで息子を隠しながら、素っ裸のままジャングルの茂みをかき分けて進む。
慌てて逃げ出したので、あの野蛮人にひん剥かれた服を全部忘れてきてしまったのだ。
なぜかタライの方はちゃっかり握りしめていたので、今はそれを代用品として使っている。
『何がですか?』
『ラックに全振りしたのに、災難にあってばかりなんだが……』
『そうですか? スリル満点な魔物の戦いをあんなに間近で見て、豪華なタダ飯をあれだけもらって、綺麗な女性に迫られてウハウハだったと思ったんですが』
俺には怪物に殺されかけて、監禁されて、レイプ未遂にあった覚えしかないのだが……。
『まあ、でも相変わらず怪我はしていませんし、健康あっての幸せってよく言うじゃないですか。現状はかんっぜんに一路順風ですよ』
なんだかそう言われるとそんな気がして……こないな。
まったくもって全然。
『この先にはもう少し進んだ文明社会があるんだよな?』
『はい、そうです。バリーという名前の、そこそこ大きい田舎街があります』
どうにかそこまで辿り着いて、まともな洋服を見繕わなけなければならない。
この格好では変質者に間違われかねないからな。
『おお~、見えてきましたよ!』
ジャングルを抜けて最初に視界に映ったのは、明らかに人間が住んでいそうな、そこそこ発達した地域と、それをぐるりと取り囲む大きな塀だった。
内部に入るための門はどこら辺にあるのだろうか?
「ペペラン、サリィ?」
「チョウ」
わわわ、人の声だ。
現在の格好がちょっとあれなので、俺は慌てて茂みの裏に伏せる。
枝の隙間から声がした方を覗いてみると、貧相なロバにオンボロ馬車を引かせている、小汚い二人組の男がいた。
『なんて言ってるんだ?』
『知りたいのでしたら、わたしがリアルタイム翻訳致しますよ?』
『頼む』
「やっほーい! 街が見えてきたっすよ、兄貴!」
「おう、バリーまでもうすぐだな!」
ちんぷんかんぷんな異世界語が、脳内で慣れ親しんだ日本語に切り替えられていく。
不思議な感覚だ。
「兄貴、ついたら最初に何をするんっすか?」
手綱を握っている若干痩せている方の男が、そう問いかけた。
「そうだな……まずは宿屋でも探して、後はついてからのお楽しみって感じでどうだ? とんでもねえもんがあるって噂なんだが、ちゃんと確認してから詳細を話したいしな。だが、もし本当なら一生食っていけるほどの財宝が盗み出せるぜ」
「まじっすか、兄貴! 俺、一生兄貴についていきます!」
見た目と話の内容からして、盗賊か何かその類のものだろう。
自分で言うのもあれだけど、俺は善良な一般市民なんで、あいつらの盗み話を聞くのは身の毛がよだつほど不快だ。
だがしかし、彼らの経路を辿れば街中に入れるルートを知ることができるかもしれない。
ここはいっちょ我慢して、あいつらの後に続くか。
ただ、発見されずに尾行しなければならないのが少し面倒だ。
まともな服さえあれば、目的地を共有している旅人として、さりげなく話しかけることができたのに……。
『服とか出せないのか?』
『わたしはなんでも屋ではありませんよ……』
こいつは相変わらず役に立たない。
何か役に立ちそうなものが、どこかに落ちていないものだろうかと周囲を見回すと――
――あった。
盗賊どものロバの背中に結びつけられているケースから、洋服らしき黒い布がはみ出ている。
詰め込みすぎていて、うまく閉まらなかったようだ。
ロバが後ろ足をトスンと落とすたびに、ケースの蓋がパカッと少し開き、綱に押さえつけられてカポッとまた閉まる。
タイミングを見計らって、布を引っ張れば、うまいこと抜き出せるかもしれない。
ついさっき俺は盗みが嫌いな善良市民だとか、そんな感じのことを言っていたような気がするが――細かいことは気にしないでおこう。
それによく考えたら、泥棒(とこっちが勝手に決めつけているだけだが)から盗むのは因果応報なので問題ない。
本当の問題は、どうやって見つからずにこの作戦を行うかである。
あのケースに手を届かせるにはかなり接近する必要がある。
まったく物音を立てずに、あそこまで近づいて、さっと逃げるのは果たして可能なのだろうか?
スピードのステータスが壊滅的なので、おそらくそんな常識を逸脱した動きはできないだろう。
人並みに動けるかどうかすら怪しい。
手持ちに使えそうなものはタライしかないし――いや、待てよ。
逆にあいつらが馬から離れるように、仕向ければいいのでは?
まずはこのタライを投げて音を立て、連中の注意を引く。
奴らは「何事だ!」と驚き、様子を見るために馬から降りる。
俺はその隙をついて、洋服をかっさらう。
マインド1の発想とは思えない、失敗する余地がない、完全無欠な策じゃないか!
よし、早速作戦決行だ。
えいやと適当な木へ向かって、タライをフリスビーのように投げつける。
――かぽーん!
狙い通りだ! 流石、ラック全振り!
命中率と回避率に関する事象にだけはすこぶる強い。
「あれ? なんか音が鳴らなかったっすか、兄貴?」
「なんか妙な感じの音だったな」
さあさあ、今すぐ確かめに行きなされ。
「まあ、どうせ魔物かなんかだろ」
「あ、そっか。さすが兄貴っす! 見なくてもわかるんっすね!」
あれれ……。
こんなつもりではなかったのだが。
実に不思議だが、なぜか想定通りにことが進まなかったので、次はどうしようかと悩んでいると――
「ウグアオォ!!!」
――突然辺りにけたたましい雄叫びが響いた。
鳴き声と共に現れたのは、頭にでっかいたんこぶを生やしたクマっぽい魔物だ。
奴は両目を憤怒の色にぎらつかせながら、馬車へ向かって猛進している。
おそらく、あの木の中に潜んでいて、タライの直撃を食らったのだろう。
「ギョエー! 兄貴、キラーベアっす!」
「やっべ! あれは俺たちが敵う相手じゃねえ! ロバを囮に置いて逃げるぞ!」
顔色を失った盗賊どもは、絶叫を上げながら馬車から飛び降り、街へ向かって走りだす。
だが、あまりにも大きな声で叫んでいたので、森のクマさんはロバではなく、彼らに惹かれてしまったらしく、逃げていく盗賊どもの後を追いだした。
「「助けてくれー!!!」」
まあ、結果オーライってところだろう。
俺は止まっている馬車に近づき、ロバの上に乗っている積荷からさっとはみ出ている洋服を引っ張り出す。
作戦成功だ。
「ゴヒッ……ゴヒッ……」
助けを乞うているかのような鳴き声。
今にも倒れそうに足をぐらつかせるロバは、俺のことを悲しそうな目で見つめている。
かわいそうに。ろくに餌をもらっていないのだろう。
動物愛好家として助けてあげたい……が、ものすごく嫌な予感がする。
そもそも俺が前の世界で死ぬはめになったのは、同じように可哀想な目にあっていた猫を助けたからだ。
せっかく新しい人生を歩めるかもしれないというのに、開始早々、またもや同じ間違いを犯すわけにはいかない。
それに所持金皆無な今の俺は自分のことで精一杯。
この場からこいつを助けても、満足に世話ができずに、結局餓死させてしまうかもしれない。
「ごめんな。今の俺はお前を助けるには、まだ力不足なんだ。だから……強く生きろよ。もし縁があって、俺の生活がもう少し落ち着いた時に出会えたら、その時こそ助けてやるからな」
罪悪感に苛まれながらも、俺はロバの頭を少し撫でる。
そして開けた道を離れて森の方へ戻った。
さてと、まずはさっき拝借した服を着てみるか。
俺は丸められている黒い布をパッと風呂敷のように広げる。
やたらと裾が長いな、このシャ――は?
なぜかそれはシャツではなく黒いロングワンピースだった。
これはあいつらが盗み出したものなのだろうか?
別のと取り替えてみようかと思ったが、馬車の方を見てみるとキラーベアをどうにか撒いたらしい盗賊たちが、もうすぐ側まで戻っている。
仕方がない。
ちょっと走りにくいが、素っ裸よりはましだしこれで我慢するか。
ついでに、いつの間にか拾っていたタライを頭に乗せておけば、少しはマシに見えるだろうか……。