邪風
扇風機をかけたまま寝ると風邪になる。俺は母にそう言われてきた。
実際そのとおりで、俺は扇風機をかけっぱなしで寝て起きた時に、体が重く、のどが痛くなったことが幾度かある。
扇風機の風が風邪を呼び起こす……。だが俺は扇風機が「邪」を運ぶとは考えたくなかった。
扇風機程度の風がちょうどいい。一人暮らしをすることになり、部屋にエアコンが設置されていても、俺はコンセントは抜き、暑いは扇風機だけで乗り切った。
だがその日だけは、そうとは言っていられなかった。
夏休み最終日。俺は水に漬けたタオルと扇風機を使って、気化熱を呼び起こし、うだるような暑さを乗り切ろうとした。
だが、タオルはすぐにかわき、扇風機から届く風もずっと温風だった。
その日は明日提出のレポートを完成させなければならなかった。外に出なかったのは、自分のパソコンが一番使いやすく、外に出ると集中力が途切れてしまいそうだったからだ。
けれどその思いとは裏腹に、レポートは進まなかった。
汗がぽたぽたとノートパソコンに落ちる。マウスは滑り、画面もくもってくる。早い話、まったく集中ができなかった。
おそらく夜中になってもこの暑さは消えない。そう思うと、俺はエアコンのコンセントを入れていた。
リモコンのボタンに手を伸ばしたところで、俺は我を取り戻す。あと少しで自分の信念を曲げてしまうところだった。俺は扇風機を近づけ、黙々と文章を書き込んでいく。
しかし一向にレポートは進まない。俺の指は止まっていた。
このままじゃ単位を獲得できない……。一瞬、そう思うだけですぐに、俺の信念は曲がりそうだった。
「今回だけ、今回だけ……!」
ギャンブル依存症が言うようなことを繰り返し、俺は歯を食いしばり、エアコンのスイッチを押した。
「ん?」
だがエアコンは動かなかった。一応電池を替えてみるも、やはり動かない。
「なるほどな」
長いこと使わなかったので、故障してしまったのかもしれない。けれど逆にそれが俺に初心を思い出させた。俺は扇風機の風だけで――。
「あれ?」
と、思ったら、いつの間にやら扇風機も止まっていた。俺はボタンを押そうとする。
「――えっ?」
ところが扇風機のボタンは押されたままだった。……コンセントはつながっている。
「…………」
扇風機もエアコンもついていない。にもかかわらず、俺の体は寒気を感じた。俺はおそるおそるとパソコン画面を見る。
暑さも寒さも何もかもが感じられなくなる。それくらい、画面は真っ暗だった。
扇風機が風邪を起こすなんてやはり嘘だ。
エアコンは風すら運ばぬ「邪」の化身だった――。




