疲れ盗る
体の疲れは寝れば取れる。たいていの人間は眠ることで仕事や学校、遊びの疲れを取ることができる。
まあ、正確には回復するという言葉の方がいいかもしれない。
というのも、ガキの頃の俺は「疲れが取れる」を「疲れが盗られた」という風に思っていた時があるからだ。
疲れが失くなるならそれでもいいじゃないか。父にそのことを話すと、笑いながらそう言った。
父の言うとおり、疲れなんて無いに越したことはない。でも当時の俺は疲れが失くなるというのは、自分が「疲れるためにやった行為」が否定されるみたいで嫌だった。
俺は疲れを取らないように、疲れた後も疲れることをして、疲労を上昇させた。
翌日、目を覚ましても疲れはそのままで、俺は「昨日頑張ったんだなあ」と嬉しく思った。
――が、当然そんなやり方が長く続くわけがない。疲れを「盗らせない」行為は三日が限界だった。俺は学校でバタッと意識を失くし、倒れてしまった。
両親に理由を言ったらめちゃくちゃ怒られ、悲しい顔をされた。
それ以来、俺は疲労を翌日に残さないよう、毎日しっかり食べて、しっかり寝た。
当たり前だが清々しい気分だった。俺は「疲れが盗られる」ことに感謝した。
けど、ある日を境に、一番の盗人である「眠り」は俺に牙を向いてきた。
「十分盗ってやっただろ?」
そんな声が、ここ最近ずっと聞こえてくる。幻聴だ、そんなこと言うわけがない。眠りに対話を求めるように、ガクッと眠りに落ちた――。
「まだ仕事中だろうがぁ!」
だがけっきょく、俺は眠ることはできなかった。
子供の頃、ほんの少しの間だけ望んだ、「疲れを盗らせない」……。その夢は大人になって叶えることができた。
今日も明日も明後日も……俺の疲れは、守られる――。




