騙しい
「も、もしもし、俺だけど?」
電話越しの相手に、男はドキドキしながらそう言った。
『……タカシかい?』
老婆の声だった。
「う、うん、そうだよ。タカシだよ」
いきなり成功だった。男はぐっと拳を握りしめる。
『今、どこにいるんだい?』
「東京だよ」
「……そうかい。東京かい」
「うん。そ、それで頼みがあるんだけどさ……!」
『分かっているよ。どこに入れればいいんだい?』
「え? ああうん」
男は口座を伝える。老婆は絶対に届けると言って、電話を切った。
「……こんな簡単にできるとは思わなかったな」
男は嬉しさよりも驚きの方が強かった。
「しまった……金額……!」
男は肝心なことを言い忘れていたことに気づいた。
しばらくして、電話が再び鳴った。
「もしもし……?」
『タカシ、もう届いたかい?』
「え?」
『お金だよ。口座に入っていたかい?』
「あ、その……」
男は時計を見る。まだ電話してから一時間も経っていなかった。
「えっと……どれくらい入れてくれたの?」
おそるおそると男は確認する。
『早く確認しておくれ』
だが老婆はそう言い残して電話を切った。
「……一体何なんだ?」
意味が分からないが、男は銀行に確認しに行った。
「……さ、ささんぜん……!」
通帳に記載された金額を見てぞっとする。自分が振り込ませようとしていた、百倍の金額だった。
「な、なんでこんな……!」
恐怖が体を支配する。男は慌てて銀行を出た。
『タカシ……』
家に帰ると再び着信があった。
「な、何が目的なんだ……!」
もう騙すつもりはなく、男は老婆に叫んだ。
『足りなかったのかい?』
だが老婆はまだ気づいておらず、さらに口座に振り込もうと言ってきた。
「ち、違う! も、もう電話してくるな!」
男は電話を切り、老婆からの電話を着信拒否に設定した。
「……真面目に働こう」
一日寝て、男はようやくその考えに至った。男はこれを機に詐欺行為から足を洗うことにした。
それから一ヶ月後、男はコンビニでアルバイトを始め、とにかく真面目に働いた。
だがやはりあの金のことが気になって仕方なかった。男の口座には一切手を付けていない老婆からのお金が入っている。
「……返そう」
男はすべてを正直に打ち明けることにした。
『……タカシかい?』
電話がつながる。老婆はまだ男の正体に気づいていなかった。
『仕事、大丈夫かい?』
「うん……あの、実は俺――」
『そうかい……あんたが家を出てから、ずっと何もしてあげられなかったから嬉しいよ。頑張るんだよ』
「……うん。ありがとう」
罪悪感で胸が痛くなる。けっきょく男は本当のことを言えなかった。
「あの、おばあちゃん……」
『なんだい?』
「今、どこに住んでいるの? 遊びにくよ!」
「……無理しなくていいんだよ」
「そんなことないよ、仕事も軌道に乗ってきたんだ!」
男は老婆に心配させないよう嘘をつき続ける。……だが、
「――そうかい。じゃあお盆に帰ってきておくれ」
騙されてくれていた。男はようやくそれに気づいた。




