タンガンキ
怪物、タンガンキに出会った者には不幸がおとずれる。私の育った町では、そんな伝承が残されている。
「早く帰らんと、なってまうでぇ」
子供の頃、何度もおばあちゃんからその話を聞いて、私は日が暮れる前には家に帰った。
だけど小学六年生に上がった頃、近所に住むお姉さんから、その伝承は子供を早く家に帰すためについた作り話だということを教えてもらった。
その頃には私ももう、ちょっとやそっとのことじゃ動じなくなっていた。
ある日、私がさっちゃんの家でゲームに夢中になっていると、外は日が落ちようとしていた。
「はよ帰らんとまずい!」
さっちゃんはゲームを中断し、私を急いで帰そうとする。さっちゃんは精神年齢が少し低く、作り話のタンガンキの話も、いまだに信じていた。
「そんなのいないよ」
私はさっちゃんにそう言って、もう一度ゲームを始めようとした。
「帰って!」
だけどさっちゃんは怒鳴り声を上げて、私を部屋から追い出した。
少しいらっと来たが、私はさっちゃんの言葉に従い、家に帰ることにした。
さっちゃんの家から私の家まで、およそ五百メートル。ほとんど周りが田んぼばかりの道を歩くことになる。
外灯もないので、薄暗いがなんとか歩ける。
「タンガンキ……か」
歩きながら、私は伝承について、初めてまともに考えた。
この話自体は作り話なのはもう分かっている。だけど私には一つだけ気になっている部分があった。
「タンガン、タンガンキ……」
ピピーッ!
ぶつぶつと私が考え事をしていると、急に、耳をつんざくような音が聞こえてきた。車のクラクションだった。
「う……わっ!」
そうと気づいた時にはもう遅い。慌てて避けようとした私は、足を踏み外してしまった。
「大丈夫かぁ!?」
私は田んぼに落下した。上から声がする。
「んん? おめえさん、イサワさんちの子かぁ」
顔を上げる。声の主は私の家の隣に住む、サスケのおじいちゃんだった。
「怪我ぁ、ないか?」
「はい」
私はおじいちゃんの手に掴まり、田んぼから体を起こす。ぐちゃぐちゃで、気味が悪かった。
「だめじゃねえか。子供はもっと早く帰らんと!」
「はい、ごめんなさい……」
ぼーっと道の真ん中を歩いていた私が悪い。私はおじいちゃんに頭を下げた。
「タンガンキじゃなぁ」
「え?」
おじいちゃんの言葉に、私はどきりとした。
「これは、タンガンキの呪いなんですか?」
「そうじゃ。はよう帰らん悪い子は、タンガンキになってしまうんじゃ」
おじいちゃんは真剣な顔でそう言った。嘘をついているとは思えなかった。
「……どこにいるんですか?」
「そこじゃ」
おじいちゃんは車のミラーを指差す。私は鏡の前に回り込んで、そこに映し出されたものを見た。
「…………」
絶句した。たしかにそこには化け物が映っていた。
「はよお風呂、入れよ」
おじいちゃんは車に乗って、走り去った。
「……」
しきりに「なってしまう」と言ったこと。周りが田んぼの狭い道。そして、「タンガンキ」の漢字……。ようやく、すべてが分かった。
左半身、頭から足先まで泥まみれになった自分は、間違いなく「単眼鬼」だった。