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五日目 全てを忘れた霊

 それは例年よりも寒い冬だった。

 朝起きたら外は一面の銀世界で、朝っぱらから元気に飛びだしていったという弟を呼びに外に出たのだ。

 恭一は受験を控えていて、弟を家へ帰したら、そのまま学校の自習室へ行こうと思っていた。

 雪まみれになっている弟を見つけ、母が朝食に呼んでいたことを言う。

 弟は恭一も一緒に帰るのではないことが不満なようで、学校へ向かう恭一を追いかけてきた。

 再三帰るように言うと、この橋まで来た所で、ようやく弟は渋々ながらも頷く。

 別れ際、恭一の視線よりだいぶ下にある弟の真っ赤になった鼻と頰に気づき、自分がしていたマフラーとコートを着せかけた。

 恭一は学ランだけの恰好になってしまったが、弟が嬉しそうにクリーム色のマフラーに顔をうずめるのだから仕方ない。

 歩き出した恭一に気づいて、弟は大きく手を振った。

 それに振り返って応えようとした恭一は、そのとき弟の後ろからスピードを落とさない車がやって来るのを見たのだ。

 雪に埋もれているが、川の上にある橋は凍っていることが多い。

 車が不自然に揺れるのを見て、恭一は弟に向かって走った。

 


 ――間に合ったのだと思う。

 かすかに意識を取り戻したとき、弟は道路に転がる恭一に縋り付いていた。

 狂ったように泣き叫んでいたけれど、それだけ大きな声を出せるのだから大丈夫なのだろう。そう思って、恭一は意識を手放したのだ。


(ああ、……俺は死んだのか)


 そうだ、どうして疑問を覚えなかったのだろう。

 自分の着ている、この季節には暑すぎる学ラン。生きてはいなかったから暑さを感じなかったのだ。

 シンの映らない影ばかりを気にしていたが、その隣に恭一の影もまたなかったし、誰にも見えないシンと話している恭一に、誰も不審な目を向けてこなかった。

 それは恭一の姿も、誰にも見えていなかったからだ。


 どうして今このときまで自分が成仏しなかったのかと考え、恭一は自分が死んだ後のことを思い出した。

 あのとき弟は怪我をしなかったが、幼い心には耐えがたい傷が刻まれた。

 毎夜悪夢に跳ね起き、泣き叫んでは周りに当たり散らし、ときに自分を痛めつけた。

 そして、恭一を失ったショックを抱えながら、そんな弟の面倒を見る両親もノイローゼになっていった。

 恭一はずっと後悔していた。

 どうして意識が戻ったとき、たった一言でも弟に声をかけてやらなかったのかと。

 兄貴なんだから弟を守るのは当然なのだ。お前が無事で良かった。強く生きて自分の分まで幸せになってほしい。

 本気で思っていたとしても、相手に伝わらなかったら意味がない。

 それが心残りになって、成仏することが出来なかった。

 だが恭一は死んだ場所に囚われてしまったようで、あまり長い間、橋の側から離れることができなかった。

 そして弟も両親も、恭一が死んだ場所に来るのが辛かったのか、橋にはあまり寄りつかなくなった。

 独りで長い時間、ほとんど表情を変えることのない川を眺め、見知らぬ通行人と行き過ぎる車だけを見ていた恭一は、しだいにあらゆる記憶が風化されていってしまった。

 弟の名前も、両親の顔も、自分が死んだ理由も、死んでいる事実さえも忘れた。

 辛うじて覚えていたのは自分の名前くらいだ。

 

 それでも言わなければいけなかった。

 伝えなければいけなかった。




「……(しん)()?」



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