友人の私も知らない彼の結婚と離婚
ガールズラブは主題ではありません。
「昔から結婚してて離婚してたんですって?」
私の大学からの友人である彼と、久し振りに飲む機会を得た。
学生時代と違い少しお高いバーで2人だけでだ。いや私が誘ったのだが。
私は経済学部、彼は医学部と学部は違うが同じ大学であり、私も彼も留年もしないで卒業し、彼は医学系の研究者の道を選び、私は外資系の商社で働き始めた。
そんな訳で彼は大学を卒業後に海外の研究室で数年を過ごし、一定以上の成果を得て凱旋帰国と相成った。
実は彼の研究が私の転職先にも有益なために、スカウトと言うよりも援助の話も含めての誘いではあった。
彼とは異性ながらウマが合った。当時から同棲していた私の恋人とも顔を合わせていたし、家の意向とは違う道を選んだために、充分な費用がない彼を招待して御馳走したりもしていた。
実家が金持ちだから奨学金がおりないとかなんとか。
だがなんとかお金は用意し必死で勉強していたが、裕福ではなかった。バイトは勉強の関係上そこまで入れられない。出来る範囲でやっていたようだが。
国立とはいえだ。医学部の資料代・教科書代はかなり高額である。
親も最低限の学費や生活費は出してくれたようだが、いつも貧乏で学食で素うどんか掛け蕎麦を食べていた。
ただ試験時になると勉強会を開き有料で勉強を教えていた。そこで世話になった者も多い。学部が違ってすら彼を頼った者もいた。
何やら面白い御仁ではあった。
私の年下の恋人も彼を兄のように慕い、色々と話を聞きたがっていたからしょっちゅう家に招待していた。一部では彼と私が付き合っていると思われてもいた。
得難い友人ではあったが、恋愛的には論外であるために互いに利用したりもした。
彼も恋愛を避けている風ではあったので、利用する事に心は痛まなかった。私の恋人も知っていたのだし。
「……結婚か。いやまあそう言えばしていたし、考えてみれば離婚していたな。何れにせよ海外に赴任する前……学生時代からの話だ。それにしたって君たち友人には一切話していなかったが。どこから聞いたのか」
少し驚く。いつのまに離婚してた事もそうだが、そもそも親しく付き合っていたころには結婚していたとは。
「同居はしていたが、そうした関係だったこともない。どころか会話すら殆ど無くて友人ですらない。ルームシェアだったと言えばそうなんだが。まあ訳有りだよ」
苦笑するように唇を歪める。友人は優秀な男だがあまり表情を変えない。
学部も違うが同年齢の私達と友人付き合いはしていたから人間嫌いまでではないだろうが、労力の大半を勉強に打ち込んでいた。
研究者になりたいとポツリと言ったのを憶えている。
「……言えることなら聞くわ? 私の時も話を聞いてくれたもの」
私の恋人は“女性”である。切っ掛けや理由に思い至ることがないでもないが、恋愛対象として男性は駄目だった……犬猫等の獣を対象とするのと同じ程度には。
だが恋人の方は生来のものではない。母親の虐待によって性癖を歪まされた。
彼女の事情につけ込んで、などと思わなかったわけでもない。だが当時の友人たちが後押ししてくれたのだ。
彼も後押ししてはくれたが「冷静になってメリット&デメリットを考えて話し合え。そうすれば例え破綻しても間違えても経験になるが、勢いで突っ走って追い込まれて壊れたら目も当てられない」と言ってくれた。
正直コンニャロと思わないでもなかったが、大学生の身で暴走しかけたのは否めない。冷静になって話し合い、家族に打ち明けたら、一応は祝福された――波乱なくとはいかなかったが。
「……そんな大袈裟なことじゃない。祖父母の代のロマンチックな約束って奴だ。私の祖父と彼女の祖母が戦後の混乱期の政略結婚で引き裂かれ、いつか孫の代でも結ばれましょうとか何とか。長男・次男は結婚が決まっていたので三男の私にお鉢が回ってきた。彼女の方も似たような事情らしいがよく知らない。高校で見合いさせられたが、彼女は好みで無かったからな、断った」
「これがお家のため……所謂政略結婚なら一考の価値はある。だが業種は違うしテリトリーも違う。俺の家は輸出メイン、彼女の家は国内メインで業種も販路も被らない。そもそも親父の会社に入るのなら平の社員からしか採らないと。それも自分で出世するのなら別だが特にポストは用意しないし、むしろ自力でも出世は通常よりも遥かに厳しくすると言われていた。実際次兄も官僚か何かになるために勉強していたしな。要はお家騒動などやらかす気は無いから社長一家からは直接入社するのは後継たる長男1人だけだそうな。彼女の家と業務提携とか合併とかの話しも一切ない」
「つまりは俺の祖父と彼女の祖母のロマンスを叶えたいだけの与太と言う事だ――援助は下さるそうだがな。要はペットを娶せる――いやいっそこう言った方が良いか、ご主人様が選んだ相手と番にさせていただけるだけの話だ。そんな話に付き合う道理はない」
きっぱりしているな、相変わらず。
「だから付き合ってられんと高校から家を出て下宿生活してた。大学に入ったときに爺様が激怒してな、承知しなければ学費から何から一切ださんと言われてしまった。奨学金も親父たちの関係で貰えるか怪しいし借金も保証人の成り手がない。爺様はまだ一族に権威だ影響だがありまくったから親類縁者はな」
それ以前に超一流の弁護士まで付いている、大企業の創業者一族でもある会長に逆らってまで海の物とも山の物とも知れぬ青二才を援助する物好きは多くない。
公的機関も含めて、とは予想できなくも無い。
水割りを優雅に男の色気たっぷりに飲む男。エリート医学者でこの美貌。大学時代の成績も凄かったからそらモテた。だが言い寄る有象無象に目もくれずに勉学の道に突き進んだ。
その裏で結婚してたのか。
「彼女も私と同い年でね、幼い頃からの夢らしく英文学を本格的に学んで研究者にならんと欲し、その方面の学部に進んだ私らと同じ大学の才女だったよ。ただ大学を卒業したら向こうに留学し、そのまま就職したいってな」
おお同類じゃないの。でもまあ恋だ愛だはそう単純じゃないからね。
「夢がなければとっとと学校辞めてどこかで暮らしていたろう。だが私は研究者になりたかった――だが現実の私は無力だった。親父たちのレールから外れたら学費すら工面できない。だから彼女と私が大学を卒業し、就職先を見つけるまで親の庇護下と結婚したとおままごとを続けるフリをした――その限りでは結構な生活費と学費をくれたからな」
おや? その割にはいつも貧乏そうだったが。
「彼女は卒業後の留学費用、私の方も医学部の学費も参考書代も結構かかる。私とて国内では安易に連れ戻されるから海外に就職先を求めるための勉学費も結構嵩むし、生活の基盤を固めるまでの費用も貯金しなくてはならない。私は良くも悪くもボンボンだしな」
海外で生活するために語学の勉学も手を抜けないし、自炊等も視野に入れる。海外に就職できたとしても安定した生活になるかは分からない。
場合によっては留学……無給期間の延長も視野に入れなければならない。確かに手元にある金は貴重だろう。
今思えば私に料理を習いに来ていた事もあった。彼が材料費持ちなので快く教えた物だが。
「逆らうだけ無駄だろうと結婚することにはした。一応は結婚式は身内だけで済ました……話し合ってな、彼女が大学を卒業して大学院に入って留学する予定の20代半ばぐらいまでは互いに我慢しようと。一つ屋根の下だが玄関二つにキッチンも二つ風呂すら二つの二世帯住宅のような家にした――どころか行き来できる場所は鍵付きで1カ所。悪いが友人を家に招くことはせずにな。特に君らには罪悪感がないでもなかった。だが実際、大学を卒業して向こうの研究所に就職出来たが、少しは先立つ物があったことは幸いだった。贅沢は出来なかったが数年の駆け出し期間に役だった」
両家とも名家で資産家である。援助金はちょっとした物だった。2人とも嫌がっていたから余計に援助は出た。
ちゃんとした結婚式と披露宴は学校を卒業してからと説き伏せた。彼の側の祖父と彼女の側の祖母は一刻も早く結婚させたかったらしい。自分たちが引き裂かれた年齢には一緒に暮らさせましょうと。
「……いや家同士に潰された付き合いで、なんで家同士の都合を孫に押しつけて潰すの? ……いや言ってもしょうが無いか」
ふと自分の場合を思い出す。
私の血の繋がった父との遺産の絡みは面倒だった。かなり大きな旧財閥系の創業者一族の会長の御乱行の果てが私だった。愛人だか援交だかの結果で、認知はされていたが、それなりの援助で放っておかれた。
いや結局はだ、父方の遺産相続騒動は大したこともなかったが、それは私が分を弁えていたからだ。母方はこれからだが正直鐚一文だっていらない。まあ友人の弁護士に相談済みで、一応全て放棄の方向である。母方だって疎遠の孫にまで遺産があるとは思えないが一応はね。
良くしてくれた伯父夫婦……義父母の遺産も実子で分けるように公正証書にして保管済みだ。勿論だが義父母が危急の際は出来る限りの事はしようと思っている。
女性を伴侶に選ぶ事といい、親不孝な面が多大にある。それを一応は許してくれた両親には感謝しかない。
「実はな……両家の親兄弟は味方になってくれた。私の祖父と彼女の祖母がまた影響力が強くて逆らえない。だから体裁だけはとな。2人で写った写真とかで騙されてくれた。……ちょうど私の方は20代半ば頃に海外留学というか分野で最先端の研究室に招かれたというかで、自立の道が開けた。彼女の方も院で学び論文が認められて博士号を取得しイギリスの大学に留学が決まったので離婚した」
まあ確かに友人には言えんわ。偽装結婚も良いところだ。何処でどうねじ曲がって広がるか分かった物じゃない。
「……でも結婚五年以上経ったのなら、ロマンスの一つもなかったの。それとも彼女は私の同類だとか」
格闘家のように鍛え抜かれた体躯に長身、貴族か騎士を思わせる美貌。客観的に見てこの友人は役者でも滅多に居ない美形だと思う。しょっちゅう顔を合わせたらどうにかなる女性も少なくないだろう。
いや顔だけが全てとは思わないが。それなりにノンケ寄りの私の彼女も美形と認めつつ、しかし異性として意識した事は一度もなかったようだし。
「月に一回帰宅途中で会うか会わないか。玄関が別なら生活空間も別。顔を合わせないように設計にも工夫もしている家だ。感覚的には長屋のお隣さんよりは遠いかね。確かに美人だったが脇目も振らずに勉強していた、それは私も同じでね。見合いの時点で痛感したが、姿勢は似ていても分野も違うから話も合わない。趣味も好みもまるで違う」
同類嫌悪はしなかったが、さりとて祖父への反発もあり敢えて近寄ろうとも思わなかった。それは彼女も同じだったのだろう。
だからこそ偽装結婚を提案し受け入れられたのだろう。
「実際離婚するときに彼女は産婦人科で妊娠はおろか処女だという診断を受けて祖母に見せたそうだ。私も同席したが中々痛快だった。私は私で必死だったからな、勉強に語学に身の回りの事を憶えることに。老人たちの玩具として人生を浪費したくはなかった」
懐かしむように水割りの琥珀を眺めながら友人は過去を紡いでいた。
「彼女がな、
「自分たちも親の都合で引き裂かれたのが悲しかったのに私達まで巻き沿いにしないで下さい」
「いっそ断ったら勘当してくれた方が良かった。奨学金が得られただろうから。青二才に弁護士までちらつかせて飼い殺しを示唆されたら言いなりになるしかない」
「だから最低限自分たちで出来る範囲で叛逆しました。ええもう勘当でも相続人から外れるでも結構です。自分の将来のための土台作りは終わりましたから」
と啖呵を切ったときは見とれたよ」
すこし微笑みながら、医学者として成果を手にして凱旋した友人は水割りを飲み干した。とはいえ日本では中々認められない分野の成功だけに、アメリカに帰るつもりかもしれない。
「正直その啖呵に惹かれたがね、今さら口説く程でも遠距離恋愛を覚悟する程でもなかった。私も祖父に言いたい事の一つ二つ言ってやったが、まあそこで終わりだ。彼女はイギリス、私はアメリカと旅立ってからは会ってないな。それから年に一~二度の手紙が届いたが、数年後に結婚したと写真付きの葉書が届いた。それから一年ほどして子供が出来たと届いてそれっきりだ」
「仮初めでも昔の亭主とやり取りもなんだと、最後にする旨を私から送ってね。まあ恋と言うよりも同胞意識だったと思うがね。だから何というか、彼女にだけは失望されたくないと思った。まあ彼女を失望したくもないのも確かだが。例えば元カノの誰かに失望されても構わないが、彼女にだけはね」
そんな恋愛だかどうかも微妙だが、生涯彼女にだけは――そう言って琥珀の液体で喉を焼くのを楽しむかのように一気に飲み干した。
恋というか何というか。妙に面白い話だ。
この仏頂面の貴公子にもそんな面白いロマンスがあったとは。何れ当時の友人達とそのロマンスを肴に一杯やりたい物だ。
彼は仏頂面で、でも友人達には分かるように照れて酒を美味しくしてくれるだろう。友人達もそれを肴に静かに楽しく美酒を楽しめるだろう。学生当時は手が出なかった美酒を。いやたまにはだ、皆でなけなしの金で出し合って買ったあの安酒を、私の節約料理で飲むのも良いかも――あの頃のように。
「……今付き合っている人はいるの? それともいたの?」
なんとなく聞いてみた。それ程深い意味もないが。
「向こうでは何人かいたな。結婚を意識する事もないでもなかったが……あまり上手くはいかなかったな」
彼は水割りのおかわりを頼むと空のグラスを揺らしながら呟いていた。
「……それは彼女が居たから?」
悪戯な気分で聞いてみた。そんな訳ないとも思いながら。
「まさかな。私は脂がのった研究が面白くてのめり込んでいただけさ。だからフラれたというか自然消滅が多かった、研究の進行次第では私のドタキャンも多かったし……それだけだよ。異性としての彼女のことは思い出しもしなかったさ」
苦笑しながら彼が呟く。まあそうだろう。別れ際に一度ときめいたからといって、その面影を追い掛け続ける程、この友人はロマンチックでもあるまい。
ただ友人でも恋人でも、勿論夫婦でもなくて、押しつけられた苦境を共有できる同胞なのだろうか。大切と言えば大切だろうが、慕情というのも違うだろう。
ただある意味胸の1番奥深くにいる相手で、思い出すと切ない存在。分かるような分からないような。
「でも良いわ。貴方の面白い話が聞けたから今日は私の奢りね。本当は家の社長、じゃなくて次期社長が貴方の研究に興味を持っていて、ちょっと生臭い話もしようと思ったのだけれど、素面の時にする」
そうして私もカクテルのおかわりをバーテンダーに告げて、久々の酒宴を楽しむ事にした。