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第七章 2枚の絵(2)

 「せんせー。何かコンペに応募するんですか?」

 美術準備室から顔を出した生徒が、そう言って茶色い紙封筒を振りかざす。別の生徒の絵を見ていた久志は、それを見て慌てたように駆け寄って、

 「こらこら。それ、俺宛てのだよ」

 「ごめんなさい。てっきり美術部宛てなんだと……」

 元々、美術部に来る郵便は部員が開封していた。本当なら顧問が受け取って開けるのだが、美術部は顧問がほとんど顔を出さないため、職員室に鍵を取りに行った生徒に直接手渡されていたのだ。

 「いや、ま、美術部宛てって言ったら美術部宛てなんだけど……」

 ちょっときつく言い過ぎたと思ったのか、久志は声のトーンを落としてもごもごと呟くと、

 「ほら、コンペに応募するのは君たちだ」

 と言ってA4版のチラシを取り出した。

 「白鳥美術館主催、青創コンペ2007?」

 チラシを受け取った生徒が、素っ頓狂な声でそう読み上げる。萌子もその背後に寄ってチラシを覗き込んだ。

 それは高校生以下向けの絵画コンクールの案内だった。美術館の名前は聞いたことがなかったが、下に名を連ねる審査員たちの名前の中にはいくつか聴き覚えがある。

 「これ、東京の美術館じゃん」

 萌子の傍らから覗き込んでいた男子が、そう声を上げた。

 「そうだよ。東京に知り合いに頼んで、送ってもらったんだ」

 久志は何だか自慢するような口調でそう言うと、

 「別に東京に住んでないからって、応募しちゃいけない訳じゃないぞ。資格は『高校生以下』ってことだけなんだから」

 「ふ〜ん」

 みんな関心があるのかないのか判らないような中途半端な声を出して、各々チラシを覗き込んでいる。

 「ウチの学校、県内のコンペの案内しか来ないからね」

 こんなぐうたらな部でも、一応年に数回コンペに出展している。広島県全域の高校から応募が集うコンクールで、萌子も1年生の時に優秀賞に選ばれた。

 ふと見上げると、久志と目が合った。彼は鳶色の瞳を細めて、穏やかに笑う。

 わたしのため、かしら。萌子の頭を、一瞬そんな不遜に似た考えがよぎった。

 「先生。でもこれ、応募〆切間近ですよ」

 目ざとく気づいた別の生徒が、そう疑問を投げる。

 「今までに描いたものでもいいんじゃないかな。応募規定には『発表・未発表を問わず』となっているから」

 「でも、そんなちゃんとした作品……」

 「そうだ」

 そう朋美が声を上げて萌子を振り返った。

 すでに岡山の美術専門学校に推薦が決まっている彼女は、今でもこうして時々部室に現れる。本当はもう『部長』の職から降りていなければいけないのだが、何故か美術部の場合は卒業まで3年生が勤める慣習となっていた。

 『来年は萌ちゃんで』

 先日、二人きりになった時に朋美からそう言われた。萌子が返事にためらっていると、

 『答えは、追い出し会までに決めてね』

 と肩をポンッと叩かれた。まるで、

 『あなたなら大丈夫よ』

 そう言っているみたいに。

 「萌ちゃんの絵は、どうですか?」

 「部長?」

 「ほら、水谷さんの肖像画……」

 「うん。僕もそう思ってたんだ」

 朋美の意見に、久志は一つ大きく頷いて、

 「あれなら、いけるよ」

 その刹那、萌子の胸に宿ったためらいの理由は、自信がないからではなかった。むしろ、その逆だった。自信めいた気持ちを悟られたくなくて、萌子はつい尻込みするような薄笑いを浮かべてしまった。

 「でも……」

 けれども、萌子がとっさに見せた謙遜の仕草は、久志に消極的な印象を与えてしまったらしい。彼はそれ以上押しつけることなく、封筒からもう1枚チラシを取り出した。

 「これなら、まだ時間があるよ」

 「全国街並み絵画コンペ?」

 5月〆切のそのコンペは、全国の『小京都』と呼ばれる街が結成した会が主催だった。その会に名を連ねる古い街並みが画題の対象で、その中には尾道や竹原の名前もある。大賞や優秀賞の他、主催した街別にそこを画題とした作品に贈られる特別賞が設けられているのが、いかにも特徴的だった。

 「尾道を描く奴なんかいっぱいいるかもしれないけどさ」

 少し離れたところから、萌子の瞳を覗き込むように久志はそう語り掛ける。

 「尾道に関しちゃ、負けられないだろ」

 彼の悪戯っ子みたいな笑顔を見た瞬間、萌子は訳もなくそう確信した。わたしのために、探してくれたんだと。

 「なんか」

 秋月はづきが、不服そうにそう小首を傾げる。

 「澤崎先輩のためのコンペみたいですね」

 「そんなことないよ」

 慌てた様子で、久志は取り繕うように笑顔を作った。

 「秋月君もほら、こないだ仕上げたのがあるじゃないか。あれなんか、いけると思うよ」

 あ〜あ。そんなに取り乱しちゃバレちゃうよ。

 些細なことで動揺を隠し切れなくなった久志を、呆れたような目で見ながら萌子は、

 (あたしたちに、忍びあう恋は無理かもしれない)

 そんなことを思って、そっと可笑しくなった。


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