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第五章 重なる想い(3)

 「萌子なの?」

 玄関を上がると、奥から玲子の呼び声が聴こえて来た。

 「うん。ただいま」

 「おかえり。今日も早いのね」

 玲子のその言葉に、萌子はその場に一人しかいないのに思わず舌をペロリと出してしまった。

 玲子にも、この頃萌子が部活をサボりがちなのは判っているはずだった。それでも小言を言ったりはしない。それは、萌子が志しているものに波があったりスランプがあったりすることを、彼女自身良く知っているからなのだろう。

 もっとも萌子が今陥っているものは、決して母が想像しているようなものではないのだが。

 「また『宿題』?」

 「うん。あ、でも平気よ。急ぎじゃないから。ご飯の支度、あたしがするわ」

 「ホント? ありがとう」

 障子越しに、顔も見ぬまま母とそんなやり取りをしてから萌子は2階へと上がった。そしてベッドに鞄を放り投げると、南向きの窓を開けた。

 小春日和の穏やかな一日が過ぎ去ろうとしていた。傾きかけた西日が尾道の街に優しく降り注いで、家々の屋根がぼんやりと白く光っている。

 見上げた11月の空は、対照的にどこまでも碧く澄み渡っていた。萌子はうん、と一つ小さく頷くと、鞄から帰りがけに寄った文房具屋の袋を取り出した。

 中から出て来たのは、どこにでも売っているような折り紙だった。

 「あてはないけど、紙ヒコーキに……♪」

 いくら天気が気持ち良いからといって、家の窓から紙飛行機を飛ばそうなんて、やっぱどうかしていると思う。

 そもそもこの窓を開けた本来の目的は別にあるのだ。

 もうすぐ薫が、二人の家の境にある階段を登って来るはずだった。薫の母に、彼女が帰って来たら萌子のところに寄ってもらうよう言づけてある。その階段が、この窓から見下ろせるのだ。

 今日、弓道部が休養日なのは前から判っていた。本当なら学校で待ち合わせしても良かったのだけれど、帰りがけ薫に、

 『ちょっと職員室に用事がある』

 と言われて、先に帰ることにしたのだ。

 それに、学校や帰り道の電車の中で話すにはちょっと気が引ける内容だった。

 別れ際に特に約束はしなかった。もしかしたら薫はあのままどこかに寄り道をして、帰りが遅くなるかもしれない。けどそれでもいい、と思った。こんな曖昧な気持ち、いつ現れるか判らない待ち人と同じで、待ちぼうけに相応しいのかもしれないと思う。

 (でも、ただひたすら窓辺に張りついているのも億劫だな)

 そんなことを思って駅舎を出た瞬間、見上げた空の碧に魅入られて萌子はついつい文房具屋に立ち寄ってしまったのだ。

 セロハンの袋をやけに丁寧に開封して、萌子は中からオレンジ色の折り紙を1枚取り出した。

 「紙ヒコーキなんて、何年ぶりだろ……」

 もともと萌子は手先が器用だ。もう何年もやったことのなかった折順も意外と正確に記憶していて、結構簡単に1機出来上がった。

 「こういうの、薫は苦手なんだよね……」

 萌子はそんなことを思い出して、一人笑いをした。

 昔、あの秘密基地の102号室から紙飛行機の飛ばしっこをしたことがある。萌子と、薫と龍太の三人で。あの時は龍太の紙飛行機も、萌子のやつに負けず劣らずよく飛んだのだ。

 三人で夢中になって、買って来た3袋分の折り紙を全部飛ばしてしまって、あとから下の住人にえらく文句をつけられた。

 「あんまりいっぱい飛ばすと、また怒られちゃう」

 忘れかけていた懐かしい記憶が、今ある感傷へと結びつきそうになって、萌子は一人で面白くもない冗談を言って誤魔化した。そうして窓際に立つと、2度、3度投げる素振りを見せてから、四角く区切られた尾道の街へ紙飛行機を飛ばした。

 紙飛行機は、眩い西日を受けて碧い空にふわりと舞い上がった。

 「くすんだレンガの、街を見下ろす、窓の形に広がる空へ……♪」

 街並みに向かって飛んで行くその軌道を追いかけていると、気持ちがすっと晴れていく気がする。

 何だか嬉しくなって、萌子はいそいそと次の紙飛行機を折り始めた。

 まだ、気持ちがふわふわしている。今朝からちょっとおかしい。それは萌子自身、何となく自覚症状があった。浮かれ気分のまま、ハイテンションで突っ走っているのが自分でも判る。

 2つ目に水色の紙を折ると、萌子は窓から身を乗り出すようにして紙飛行機を飛ばした。それは水谷家の屋根を越えて、尾道の街を見下ろすようにどこまでも飛んで行く。

 その紙ヒコーキに乗れば、本当にどこまでも行けそうな、そんな気がした。

 「あたし、どこに行きたいんだろ……」

 今日1日、ずっと龍太のことを思い出していた。小さい頃から見て来た、その仕草や、そのまなざし。それが胸をときめかせるものだったことは否定出来ない。龍太はいつだって憧れだったし、そのそばにいられるだけでもう十分に幸せだった。

 でも、小学生の時に萌子が好きになったのは、龍太とは違う男の子だった。龍太とはまるで正反対の、少し物静かな子だった。

 別に龍太が遠い存在だから、だから別の人を好きになった訳じゃない。それだけは、何度想い出を辿っても同じ答えに行き着く。

 龍太に恋焦がれるような想いをした記憶は、やっぱりない。けれどもその横顔にドキドキさせられた想い出なら、たくさんある。

 恋って何だろ。

 人を好きになるって、何?

 どんなに世界が変わったって、萌子の見る龍太は何も変わらない。

 (変わらない、はずなのに……)

 萌子は煮え切らぬ想いを断ち切るように、また1つ紙飛行機を空に飛ばした。

 (このまま、龍太君を好きになっちゃうのかな)

 それに抗おうとする気持ちも、ある。いや、まだその気持ちの方が断然強い。それがただの意固地なのか、断ち切れぬ未練なのか、萌子には判らなかったけれど。

 けれども、安易な安らぎに流されてしまいそうな気持ちが、萌子の中で徐々に膨らみ始めているのもまた確かだった。

 揺れ惑う萌子の気持ちにそ知らぬふりをして、紙飛行機は心地よさげに晩秋の空に溶けていく。

 ふと下を見ると、薫が階段を上がって来るのが見えた。まだ萌子には気づいていない。

 萌子はつい悪戯心を起こして、折り紙の最後の1枚を手に取った。

 そんなに上手くいくとは思っていなかったのに、最後の1機は見事に薫の鼻先を掠めるようにふわりと一舞いしてから庭に着地した。びっくり顔をした薫が、しきりに辺りをきょろきょろと見回す。

 「かおる!」

 やっぱり最後は、薫しか頼れない。萌子はふとそう思った。


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