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第三章 千光寺山(3)

 「ほら、やっぱりこっち見てるよ」

 斜め後ろの席を一瞬返り見て、萌子はその視線から逃れるように身をすくめた。

 日曜日の、もう夜の11時を回る時刻だというのに、福山駅のガード下にあるマックは萌子たちぐらいの年頃の若者たちでいっぱいだった。トーンの高い話し声が揺れるようなざわめきとなり、店内に独特のリズムを作り、漂っている。

 「気にすんなよ。別に見られたっていいじゃん、減るもんじゃないし」

 龍太は平然とした顔でそう言って、二つ目のダブルバーガーに噛みついた。

 「いやよ。そうでなくても、龍太君があんなところから呼び掛けたりするから、あたしみんなに凄い目で睨まれたのよ」

 萌子がプウッと頬を膨らませて睨みつけると、龍太はさも可笑しそうな口調で、

 「何だよ萌子。照れてるんじゃん」

 と笑った。

 こうして龍太と一緒にいると、薫が男の子を振り向かせるのと同じくらいの確率で、女の子が彼に視線を送って来る。もしこんなところをさっきのライブにいた娘たちに見られたら、またとんでもない誤解を受けてしまいそうだ。

 龍太の彼女になる人は、相当苦労するんだろうな。薫のことを思い浮かべながら、萌子は思わず一人笑いを漏らした。

 「何だこいつ。今度は笑ってやがる」

 ころころ表情を変える萌子の様子を、龍太は薄気味悪そうに眺めた。

 「ねえ、龍太君は彼女いないの?」

 フライドポテトを口に運びながら、萌子は何気ない口調でそう尋ねた。

 不自然なくらいの間があった。萌子が不思議そうに顔を上げると、龍太がそれこそ穴が空きそうなくらいじっと彼女のことを見つめている。

 「?」

 ポテトを口にくわえたまま萌子が黙って首を傾げると、彼は急に照れたように視線を逸らして、吐き捨てるようにこう答えた。

 「いねえよ。そんなもん」

 「ふ〜ん」

 釈然としない表情で、萌子は口を尖らせた形のままそう頷いた。

 「そういえばさ」

 萌子の分のポテトを横取りするようにして口に運んだ龍太は、口をもごもごさせながら、

 「最近お前らが仲良くしているっていう先生、今日は連れて来なかったのかよ」

 何でそんなこと知ってるの? しばらくぽかんとして龍太のことを見ていた萌子は、ふと気づいて薫を見やった。

 「そうなのよ。デートの予定があるって、あっさり断られちゃった」

 呆れ顔の萌子のことなどおかまいなしに、薫は涼しい顔でそう答えると、ストローを加えたまま上目遣いに龍太を見て、

 「気になる? 萌子がぞっこんな男のこと」

 「薫!」

 何を言い出すのよ。ぞっこんなのは薫の方じゃない。

 喉元まで出かかった台詞を、萌子は慌てて飲み込んだ。

 薫は久志のことをなんて説明したのだろう。龍太はそれをどう受け止めたのだろう。勝手に自分の『お気に入り』にされるのも何だか癪だったけれど、龍太のことを思うと薫の気持ちは迂闊に喋ってはいけないような気がした。

 気詰まりな雰囲気が三人のあいだに漂った。誰一人口を開くことなく、視線を逸らしたままでしばらくのあいだ時間が流れた。さっきまで心地よいBGMにすら感じられた店内のざわめきが、急に耳障りなものに思えて来る。

 とにかく何か会話の糸口を探そうと、萌子が考えもなしに口を開きかけた時だった。

 「そろそろ、行こっか」

 まるで気持ちの噛み合わない、互いの想いを素直に吐露出来ないぎくしゃくとした雰囲気を振り払うように、龍太は乾いた口調でそう言うとがたがたと乱暴な音を立てて席を立った。

 岡山方面へ向かう上り普通列車はすでにもうなくなり、23時35分発糸崎行きが発ってしまえば、後は数本の当駅止まりの普通と寝台列車上下三本の発着を過ごすだけとなる福山駅の改札付近は、しかしまるで真昼のような賑わいを見せていた。

 ただ、日中の気忙しさとは違う、何かの終わりを感じ取る時の一抹の寂しさのような弛緩した空気だけが、確かに日曜の深夜なのだということを教えてくれていた。

 「あ〜あ。8時間後にはまたここに来なきゃいけないのね」

 いかにも面倒臭そうな口調で、薫はそう首を振った。

 (そっか。明日の朝にはまた先生とここを通るんだ)

 薫が聞いたらカチンと来そうなことを心に浮かべて、萌子はすっと幸せな気持ちになった。

 「いいじゃないか。俺も尾道に帰りたいよ」

 薫の台詞に呼応するように、龍太はそんな意外な言葉を口にした。

 「へえ。龍太がそんなこと言うの、初めて聞いたわ」

 薫が茶化すようにそう言って、龍太の顔を覗き込んだ。

 「何? やっぱり生まれ故郷は懐かしいもん?」

 萌子も、龍太がそんな台詞を吐くのを初めて聞いた。少し気弱にさえ感じられる、らしくないその口調に彼女は悪戯な不安をよぎらせた。

 「別に懐かしいとかじゃないけどね」

 すっと視線を下に落として、龍太は左足でコンクリートの地面を払う仕草をした。

 「ほら、そうすればお前らと一緒に帰れるじゃん」

 (やっぱり龍太君は、薫のことが今でも気になっているんだ)

 その瞬間、萌子は龍太の心の内側をそんな風に解釈した。それから、薫の横顔をそっと見やる。

 「あら、そんなに私と別れるのがつらい?」

 あくまでも本音は覆い隠したまま、薫は相変わらずふざけた口調でそう龍太のことを茶化した。けれども龍太はそんな薫の挑発には乗らず、何かの覚悟を決めたように割と落ち着いた口調でこう言った。

 「……高校を卒業しちゃうとさ、お前らともなかなか会えなくなっちゃうからな」

 真剣味を帯びた龍太のその表情と口にした台詞の不透明さに、萌子たちはただ困惑して彼のその次の言葉を待った。

 けれども彼は、それ以上台詞を続ける気はなかったらしく、やけに穏やかな顔で、

 「……そろそろ電車、来るよ」

 そう二人を促した。

 「じゃ、また。打ち上げには、呼ぶからな」

 改札をくぐりかけた萌子たちに向かって、龍太は本当に優しそうな笑顔を浮かべて手を挙げた。

 そうして彼は、二人がエスカレーターに押し上げられて見えなくなるまで、改札の外でずっと手を振っていた。


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