第一章 他人(ヒト)の造りしモノ(5)
2015/09/24 内容修正及び、誤字の修正を行いました。
英語表記は機械翻訳です。管制塔のやり取りも独自に作文しています。まず間違いなく本来の用語と比べると間違っています。
もし用語の正確な表現がおわかりになる方がいらっしゃれば、コメント等頂ければ幸いです。
二〇三三年六月二十二日 日本時間午後十六時
宇宙軌道上 民間宇宙旅客機「JSL123便」
「A JSL123 service got on track. I change it to control from space station "MICHIBIKI" afterward.《JSL〈日本宇宙航空〉123便、軌道に乗りました。以後、宇宙ステーション『みちびき』からの管制に切り替えます》」
「Tokyo space control ward, the consent. A JSL123 service. Have a nice trip.《こちら東京宇宙管制区、了解。JSL123便。良い旅を》」
筑波にある宇宙港との通信を終え、建造中の宇宙ステーション『みちびき』との通信用に無線周波数を変更する。地上と同じ周波数では混乱が生じる事が多くなり、現在は軌道離脱までと宇宙用で無線周波数を変更する事となった。それでも、近年の宇宙開発により開いている周波数帯は少なくなっている。
「A JSL123 service. Space station "MICHIBIKI", please reply. Orbit secession completion. It is a plan of 2 hours until arrival to space station "MICHIBIKI".《こちらJSL123便。『みちびき』応答願います。軌道離脱完了。『みちびき』到着まで二時間の予定です》」
「"MICHIBIKI" control. The JSL123 service consent. Because there is a small debris obi on the way; to a window reinforcement protection measures. There is no trouble in the route for the moment. Because a return ship comes from a direction of upward 2:00, please be careful. Planned intersection distance is 5,000 kilos《こちら『みちびき』管制。JSL123便了解。途中に小規模なデブリ帯があるので、窓には強化防護処置を。今のところ航路に支障は無し。上方二時の方向より帰還船が来るので、注意されたし。予定交差距離は五千キロ》」
「A JSL123 service. The consent. The communication end.《こちらJSL123便。了解。通信終了》」
いくら日本人同士の通信であっても、地上及び宇宙では英語での通信が義務づけられている。通常の航空機とそれは変わらない。
「機長。客室には連絡しますか?」
「ああ、そうだね。佐々木君、客室への回線を」
副機長の佐々木は、航空機でのパイロット歴二万二千時間。宇宙では八千時間のベテランだ。まあ、そういう私も宇宙だけで二万時間をまもなく超えるが。
「こちら機長の高濱です。本日はご搭乗ありがとうございます。先ほど高度百キロを通過し、宇宙空間に入りました。現在高度百三十キロの地点を秒速五キロで上昇中です。宇宙ステーション『みちびき』までは、あと二時間の予定です。太陽光の関係で、今しばらく窓は閉めさせていただきます。シートベルトは外して構いません。無重力ですので、手荷物の扱いに十分ご注意ください。着席時は、シートベルトの着用をお願いします。以上です」
日本語で告げてから、同じ内容を英語で繰り返す。毎度の決まり文句。特にデブリがある時は、乗客を不安にさせないように窓外壁のシャッターを閉めたままにしておく。もちろん小さな破片ではそうそう損傷する事など無いが、乗客に不安を与える事は極力避けるのが鉄則だ。だからデブリの事には触れず、太陽光の問題と言う場合が多い。まあ、業界の裏用語と言うべきだろう。
試作機では、様々なデブリ対策が考案され設置されたが、費用対効果を考えた場合に、いくら宇宙往還船とはいえ、コストが見合わないという事で量産機では省略された物が多い。残った物の一つに、複合炭素素材強化板が採用されたくらいかもしれない。
特に最新技術であるゲル状物質で船体を覆うという案は、船体重量を著しく増加させ、打ち上げ時の燃料を今の倍にしても、積載重量が現状よりも三割ほど落ちるそうだ。
燃料となる液体水素と酸素はだいぶ安くなったとはいえ、搭載するための場所はどうしても限られる。なので、この案はかなり初期段階で量産機への搭載は見送られた。それに安くなったとはいえ、従来の航空燃料から比べればまだまだ高価だ。
また船体に使われている軽量アルミ合金だが、最初はカーボン系の素材も検討された。しかしカーボン素材はまだまだ値段が高く、いくら往還船とはいえ、四十回程度しか往還船は使用限度が想定されていない。コストの面からも、カーボン素材は大概が見送られたのが現実だ。
「それとクルーに連絡してくれ。客室に軽食の準備を。我々も、何か少し飲みたいな」
「了解です。こちら佐々木。クルーは機内サービスを開始して下さい。それと、パイロット室にも何か飲み物を」
佐々木がクルー専用の回線に切り替えてから、一通り伝える。
彼も今回の飛行と、次の地上帰還を終えれば、機長の資格を得る事が出来る。最初は小型宇宙船、かつ貨物機の任務だが、それが二千時間を超えれば旅客機の運航も出来るだろう。旅客船としての機長となるには、合計で一万時間が必要になる。
「エンジンは問題ないかな、福田君?」
「はい。全エンジン正常です。燃料も余裕がありますね。むしろ機長の操縦がうまかったせいか、通常よりも消費が少ないですよ。予定よりも十五%ほどゆとりがあります」
燃料を余計に消費せずに済むのは良い事だ。問題はそれをどうやって後の世代に引き継ぐかだが、経験則的な物もあって文章にし辛い。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。いくら日本とはいえ、燃料は高価だしね」
大気圏内で高度二万メートルまでは専用ジェットが運ぶが、それから先は液体酸素と液体水素の燃料のみ。
地球への帰還可能点、いわゆるPoint of No Returnは、切り離して点火後十秒程で通過する。事実上安全点は無いに等しい。それを過ぎてしまうと、再突入の為の装備を十分に持たない状態では、宇宙旅客機は大気圏で破損もしくは消滅してしまう。
さすがに大型機ともなれば、全てが燃え尽きる事は有り得ないが、恐らく空中分解して悲惨な結末を迎えるだろう。当然生存者は見込めない。十秒程度で出来る事など、たかがしれている。
「そういえば機長。確か機長は『みちびき』で二日滞在したら、月への旅客船でしたね?」
福田航宙機関士が聞いてきた。
「ああ、そうだが?」
「以前に比べ月への時間は短くなりましたが、はやり二日は結構ハードですか?」
今度は副機長の佐々木だ。
「ああ、そうだな。まあ、この手の任務で楽な事なんてそうそう無いよ。燃料さえ十分に積めば一日で到達できると聞いた事があるが、我々はあくまで民間船の乗務員。これが探査船なら別だろうが、そんな無茶は出来ないしね。軍艦ならまだしも、民間船ではコストが合わないよ」
アメリカと違って、日本はあくまでコスト重視を貫いている。特に民間機では顕著だ。
アメリカが一日で行く月往還船を運行しているが、座席はファーストクラスよりも上のプレジデントクラスが半分。残りの半分をファーストクラスとビジネスクラスが占めている。約二十二時間の行程で、費用はビジネスクラスでも片道二万ドル。プレジデントクラスともなれば、片道八万ドルだ。しかし、それでも急ぎで行かなければならない人々が利用する。
日本でも一時期検討されたが、コストの問題と利用者の問題を考えて先送りとなった。コストの問題はいつの時代も同じだろう。
いくら近年アジア諸国が力を付けてきたと言っても、所詮アメリカやヨーロッパの富裕層には数で及ばない。そしてなにより、重要なポストに就いている人間のほとんどは欧米人だ。
そのような理由を考慮した結果、現在日本が運行している月往還船は最速でも二日、格安の便だと四日かかる。しかし、その分搭乗率は高い。もちろん利益率は当然高くなる。特に四日かけて行く便だと、片道五万円だ。席や食事は最低限になってしまうが、仕事目的などで費用を抑えたい人には人気が高い。
それに最低限とはいえ、宇宙空間を想定した複数人用の個室。不便が無いと言えば嘘だが、そもそも値段相当と考えれば文句は特に出ていない。
無論、アメリカも通常の往還船は数多くあるが、一度アメリカ本土、またはハワイまで渡航する必要がある。金額的に考えれば、そこまでの費用を考えれば日本の往還船にアジアではまだ分がある。
「一日で行く事も出来るんですか……それは初めて聞きました」
福田はその事を全く知らなかったようだ。まあ機関士なら多少は仕方がないのか?
「君らも機長や宇宙貨客船の乗員に昇格して、月往還船の任務があれば知る事が出来るさ。それに佐々木君はもうすぐ機長の資格を得る事が出来る。そう遠くないうちに、その手の資料を目にする事が出来ると思うね。まあ、焦らない事だよ」
この業界は、焦りこそ事故に繋がる。いくら訓練をしたところで、それは変わりない。
「ですね……この飛行で、機長とはしばらくお別れになりそうです。正直残念ですよ。機長ほどの運行時間を持つ方は少ないので、色々勉強になります」
佐々木は素直に笑ってくれている。多少お世辞だとしても、悪い気分はしない。
「まあ、私はどちらかと言えば古株だからね。それにあと五年もすれば定年だよ。宇宙は行く度に面白いけども、宇宙放射線の影響は避けられない。大気圏内のパイロットより機長としての定年が早くなるのも仕方がないかな。どちらにしても、機長としての務めを果たした後は、しばらく地上勤務だ」
機長としての年収は下がるが、これまで十分すぎるほどの給与は得ている。それに宇宙船勤務だと危険手当もそれなりだ。なのでお金の面での苦労はまず無いだろう。年金にも通常より色が付くそうだ。
「これだけ技術が発達したのに、宇宙放射線の影響だけはどうにもならないみたいですからね。まあ、我々はパイロットですし、窓から直接受ける放射線も多くなるのは当然ですから」
福田は計器を確認しながら、今後の事を思っているようだ。
宇宙放射線の影響で、人体に様々な影響が出る事は広く知られるようになった。特に宇宙船操縦士などは影響が大きいので、勤務出来る年月も限られる。
しかし、宇宙開発者に比べれば余程マシだと言える。彼らの場合は退職後に放射線病を発症する率が桁違いだ。
「そういう事さ。そういえば、実験船で窓が無いタイプの宇宙貨物船が出来るらしい。そうすれば、また少し違うかもしれないな」
前に社内報に載っていたのを思い出す。確か宇宙船パイロットの機長のみ閲覧可能になっていた。二人は知らないだろう。社内報とはいえ、開示される内容にはそれぞれ制限が加えられている。
「窓が無いのですか? 全てモニターでの操縦ですよね? カメラが壊れたらまともに運行できないと思いますが……」
さすがに佐々木も不安なようだ。
「だから実験船なんだよ。それに、それが一般に運行できる頃には、きっと君も地上勤務だと思うね。どうせ実験船だけでも十年は検証するだろうし、それが民間船への装備ともなれば、さらに時間がかかるんじゃないかな?」
恐らくその前には、彼は民間船の機長になっているだろう。有用な人材は常に不足気味だ。
「そうですね……まあ、仕方のない事です」
「だな」
「その貨物船の話、我々機関士の方でも話題になっているようですよ。さすがに私の立場では内容こそ知りませんが、どうもエンジンを新規に設計するとか。貨物船なら燃費重視でしょうから、低出力でかつ、軌道に上がれるものが必要なんでしょう」
別に新型宇宙船の話は極秘でもないし、口止めされているわけでも無い。もちろん不用意に言う事は止めるよう言われているが、パイロット間などではたまに話題になる話だ。
その時、接近警報が鳴る。佐々木が瞬時にレーダーを確認する。
「例の帰還船のようです。しかし、最短で五千キロなら地上では遙か遠くなんですけどね。宇宙では五千キロでも『近い』というのは、正直今でも理解の範疇を超えます」
接近警報なので、まだ余裕はあると言える。これが接近異常警戒警報となれば話は別だ。
接近系の警報にはいくつかあるが、大まかに『接近注意』、『接近警戒』、『接近警報』、『接近異常警報』、『接近以上警戒警報』、『衝突警報』となっている。
最後の三つに関して言えば、文字通り衝突の危険含んだ警報になる。特に最後の『衝突警報』は極めて危険だ。最低でも、船体の一部が破損する可能性があるかである。
「ああ、私もだよ。肉眼ですら視認出来ない相手に、注意と言われてもな……少なくとも『警報』というのは、いまだに理解しにくいよ。それに、五千キロだと『近い』ではなく『接触の危険』とマニュアルにあるが、いまだに違和感を拭えないな」
確かに宇宙空間では、様々な物が秒速単位で移動している。むしろ静止している物の方が少ないくらいだ。それ故、たとえ五千キロといっても数分で接近する事すらある。希に数秒という事もある程だ。
しかしこちらはステーションに向かう船。あちらは地上に降りる船だ。当然高度が違う。衝突など考えにくい。むしろ高度差を考えれば、到底考えられない。
「帰還船……予定より少し軌道が上ですね。誤差の範囲内でしょうが。本船より二時方角、距離五千五百キロ。相対速度二百キロで接近。右舷下方二百キロを通過するようです」
これなら『接近異常警報』になる可能性もあるが、高度の問題でそこまでにはならなかったのだろう。
「何かあったのかな?」
聞いていたよりもはるかに近い。確かにこの距離なら接近警報も頷ける。それに最接近距離が二百キロとは、宇宙でいえばニアミス同然だ。地上とはあらゆる意味で距離と速度が違うからに他ならない。
「さあ。それに、あの位置でなら軌道修正は十分余裕ですし、我々が気にする事はないでしょう」
少なくとも交差軌道ではない。現状でも我々の方が上に位置している。衝突する可能性はないといえるだろう。もちろん監視を怠る理由にはならないが。
「そうか。他に何かレーダーに映っているか?」
「いえ、レーダーには何も。そういえば、デブリがどうとか管制が言っていましたが、レーダーには映るんですかね? 大型の物なら事前に出発時間をずらすでしょうし、定刻で出発しましたから影響はないと思いますが」
デブリ――スペースデブリの略で、日本語では『宇宙ゴミ』とも言われている。大抵の宇宙船にとっては、接触は命に関わると言っても過言では無い。それでも昔から見ればかなり改善されたとされているが……。
「デブリと言っても、大抵は一センチにも満たない物ばかりだと聞いた事はある。それだと、レーダーは頼れないな。確か一メートルを超えていなければ、レーダーには映らないはずだ。それに、みちびきはまだ建造中とはいえ、管制には問題ない。新型のレーダーも装備しているはずだ。何かあるなら連絡があるだろう」
とはいえ、レーダーも見通し線から外れたら役に立たないだろうが……まあ、周回軌道にいるのだから監視はしているのだろう。それにこの付近の中継衛星にもレーダーの一つや二つはあるはずだ。
何よりデブリの回収は日本が積極的に行っている。特に航路となるような場所については、かなり念入りに行ったらしい。
カーボン繊維を使った細かい網目の漁網のような物に、粘着性を持たせ、大抵の物は回収されたという。大半はそれで問題なかったようだ。無論全てでは無いようだが。
「失礼します。飲み物をお持ちしました」
後ろから客室乗務員で、チーフアテンダントをしている浅田君の声がした。
彼女も宇宙旅客機乗務では、比較的経験がある方。パイロットと違い、客室乗務員は地上での経験が短時間で済む。無重力さえ克服すれば、原則的にやる事に変わりは無い。
「ありがとう。今日は何かな?」
「持ってきたのはコーヒーとコーラ。それにオレンジジュースとグレープジュースです。食べ物もご用意できますが、何かお持ちしますか?」
一般的にコーヒーは好まれるが、個人差はある。なので数種類の飲料を持って来るのは当たり前の事だし、その日の気分によっても変わる。
「いや、私はコーヒーだけでいいよ。どうせあと二時間だ。それに、宇宙港に到着する一時間前には忙しくなるからね」
忙しいとはいえ、基本的にはオートパイロットになる。昔の宇宙開発時代とは違い、原則的にパイロットは計器の監視が主な仕事だ。無論緊急事態に備える必要があるが。
「そうでしたね。副長はどうされますか?」
「私はオレンジジュースで。客室の方は静かなのかな? 君がわざわざここに来たくらいだし」
忙しいときは、チーフアテンダントである彼女は、客室優先となる。しかし、ここに来たという事はトラブルはほとんど無いのだろう。それに彼女の部下達にも経験を積ませなければならない。
「ええ、とても静かですよ。今日は宇宙酔いの方もほとんどいらっしゃいません。いても軽症ですね。お薬をお配りしているので、問題ないと思います」
宇宙酔い――無重力に慣れていないがための症状だが、こればかりはどうしようも無いだろう。酔い止めで何とかするしか無い。
「福田さんはどうされます? コーヒーがもう一つと、コーラ、グレープフルーツジュースですが」
「じゃあコーヒーをもらおうかな。その様子だと、客室は無事なようだね」
「ええ。今回は特に気分が悪くなられた方も少ないですし、荷物の飛び出しもありません。子供達が何人か五月蠅くしているようですが、それ以外は順調ですね」
「なら良かった。酷いと、客室の方は悪夢だからね」
福田が頷きながら、コーヒーを受け取る。無重力空間なので、容器はチューブ形式だ。だが、ホットコーヒーも可能となり、あまり気にする事も無くなった。
「ああ、あれは見たくないな」
私もコーヒーを飲みながら頷いた。飲むというよりは、吸うと言った方が適切かもしれないが。
以前の飛行で、乗客の五人が激しく嘔吐した事があった。あの時は客室で大騒ぎ。いくら袋があっても、全てそれで対応できる訳ではないし、何よりすぐに対処できない人も多い。
地上とはやはり事情が異なる。それに無重力だからこその難題もある。吐瀉物が下に落下せず、船内を浮遊する光景は気味が悪い。
「では、私は戻ります。何かあればすぐにお呼び下さい」
「そうさせてもらうよ。ありがとう」
とはいえ、操縦関連の事で客室乗務員がする事はない。二時間で目的地に到着するのだから、呼ぶ事もないだろう。むしろ呼んだところで出来る事はまず無い。
「そういえば機長。客室乗務員の無重力訓練は今でも乗客として乗船しての訓練ですか? 私が初めて宇宙旅客機の免許を取得した際には、確か乗務員も訓練で乗客の一人として乗っていましたが」
福田が聞いてくる。彼のような機関士の場合は、地上でのシミュレーションが長く、実際の機体での訓練はパイロットよりも若干短い。主に機関関係の仕事なのだから、操縦とはあまり縁がないからとも言える。
「いや、最近は違うらしいよ。ほら、今では乗客数もうなぎ登りだ。だから、最初は貨物機で宇宙に慣れるらしい。さすがに地上の無重力訓練装置だけでは、訓練不足になるらしいからね。今日だって四百席あまりの席は満室だと聞いている。昔みたいな訓練は出来ないさ」
「なるほど……ほんの数年で確かに変わりましたからね。でも、その乗客の大部分は、みちびきの工事関係者でしたよね?」
工事関係者とは言うが、実は純粋な民間作業員で無い者も多い。
「そりゃ仕方がないさ。外郭が出来たとはいえ、中身はまだまだらしいからね。それに噂だと、まもなく自衛隊に宇宙部隊が創設されるらしい。今までは航空自衛隊の管轄だったらしいが、さすがに無理が出てきたのだろう。恐らく、この乗客の中にも関係者はいるだろうね」
自衛隊が軍に名称を変えるという噂もあるが、本当かどうかは分からない。それに乗客名簿はあっても、仕事まで記載されているわけでは無い。
一応地上にある乗客名簿には記載があるそうだが、我々の関知する事では無い。
「私達は乗客を選べませんからね。少なくとも、書類が問題なければ。自衛隊も、独自の宇宙往還船はまだ無いと聞いた事がありますし」
佐々木がなんだか溜息をついている。
「恐らく作らないんじゃないのかな? 少なくともしばらくは。彼らの予算だって限られているし、宇宙船の開発や導入ともなれば、かなりの額が動く。だったら、我々のような民間船を頼った方が楽なのだろう。事実、みちびきにある自衛隊用のドック建造も民間船の貨物機で物資を運んでいるらしいからね。おかげで本社はだいぶ儲けているらしいが、残念ながら我々の給与にはさほど貢献してくれていないようだ」
思わず苦笑してしまった。理由は知らないが、自衛隊関係者は定価で乗船するらしい。割引システムを使用すれば、半額にはさすがにならないが、最大で三分の二程度でも宇宙には行ける。さすがに六ヶ月前からの予約は難しいのかもしれないが、定価で乗る必要は無いと思う。
しかし、そのおかげで新しい機体を購入できるのも事実だ。今はまだ日本航空の子会社として、我々の日本宇宙航空があるが、あと五年もすれば子会社から完全分社化出来るらしい。自衛隊には感謝しなければならないかもしれないな。
しかし、よく国民が黙っているものだ。もう少し節税すれば、消費税だって二十パーセントにしなくても良いだろうに……。
そんな事を思っていると、また警報が鳴る。
「何の警報だ?」
「待って下さい……衝突警報です!」
佐々木が叫び声を上げた。
「先ほどの帰還船では?」
「違います……距離四百キロ。相対速度……二十キロ秒で右舷より本船に近づく物体あり。小さいです!」
「デブリか? 衝突コースだと?」
「大きさは……一メートルもないようです。レーダーは微弱にしか反応していません。大変です! このままでは機体中央付近への衝突コース!」
「自動操縦解除。私が操縦する。耐衝撃ダンパー緊急展開。メインエンジン最大噴射。仰角三十度、補助エンジン緊急噴射。右に緊急旋回。衝突までの時間は?」
すぐに非常ダンパーのスイッチを入れる。操縦桿の裏に付いたボタンを押すだけ。これで自動的に緊急信号も発せられる。しかし展開まで十五秒かかる。間に合えば良いが……。
いくらエンジンを最大噴射したところで、すぐに加速するわけでは無い。小型探査船ならいざ知らず、この船は大型客船に該当する。当然軌道修正には時間がかかる。
「残り十秒……駄目です、衝突コースから離れません!」
駄目だ、間に合わない!
「全隔壁緊急閉鎖。乗務員に緊急事態を通告。仰角四十度に上げ。左補助エンジン最大噴射」
右への急旋回になるだろうが、今は衝突を回避する事が重要だ。本来なら客室に通達する必要があるが、時間がなさ過ぎる。ここもそうだが、客室にかなりの疑似重力が発生するが、今はそれを気にしている場合ではない。
それにメインエンジンを緊急噴射しているので、機体後部は左に流れる。これで、衝突してもダメージが全区画に及ぶ事は防げる。しかし、根本解決ではない……。
「こちら副長。乗務員は緊急事態に備えよ。デブリとの衝突に備えよ!」
「残り何秒だ?」
「三秒……衝突コース、外れません!」
馬鹿な! メインエンジンも補助エンジンも最大だ。衝突コースから外れているはずだ!
「今です!」
瞬間、機体が大きく揺れる。警報があちこちで鳴り響く。各種警報ランプも点滅や点灯をしている。
「損害状況!」
「第六から第十一区画の応答なし。燃料流出。メインエンジン二番の反応ありません。あ……第六区画以降の全ブロック、全て応答無くなりました。全エンジンの状況不明です」
福田がすぐに計器板を見ながら伝えてきた。
第六区画以降? それだと、機首と前方の数区画しか反応がない事になる。
配線は主配線を含め、系統が四つ。それが全て破断など、到底考えられない。考えられるとすれば、機体が完全に分断した場合のみ。しかしそうならない為のモノコック構造とフレームの二重構造。
いくら支柱が軽量アルミ合金とはいえ、地上試験でも十五Gまでの衝撃に耐えられる構造。それを超々硬特殊チタン合金ワイヤーで接続している。このワイヤーは五十Gまで耐えられるとされている。さらにカーボン繊維を用いた強化も行っている。当然、そうそう船体が破断する事など考えにくい。
いくらコスト削減を行ったとはいえ、それなりに強度は備えているはず。
隔壁が破られなければ、それぞれが独立して最低二時間程度の空気はあるが、救助が間に合う保証など無い。むしろ、周囲に飛び散った破片で間に合わない可能性が高い。
「『みちびき』及び地上管制に緊急事態を宣告。副長、窓から何か見えるか? 福田君は機体の状況を正確に把握してくれ」
シートベルトを外した副長が窓を見る。瞬間、顔色が変わるのが分かった。
「乗客が外に流されています!」
彼の顔色は文字通り青くなっている。
「隔壁が破れたのか? 他に何が見える?」
副長が窓から周囲を見渡す。顔に焦りがあるのが分かる。冷静になれ……冷静に。焦っても解決しない。
状況を見極めなければ。今出来る事をしなければならない。そのためには情報が必要だ。
「機長、大変です! 胴体が破断しています。少なくとも、後部エリアが我々と分離。隔壁にも穴が開いているようです。空気が漏れているのが見えます」
馬鹿な……最大噴射で避けようとしたんだ。そんな事があるはずがないし、そもそも機体が分解するなど……。
そう考えた瞬間、窓越しに閃光が走る。
「機長、後部エリアが爆発した模様。燃料に引火したものと考えられます!」
窓越しの閃光は、他には考えられない。最悪の事態だ。
「副長、席に戻れ! 第六以降は、全ての区画の反応がないんだな? 機体の状態を知りたい。分かる範囲で損傷の程度を。それと、警報を切ってくれ」
副長が席に戻りながら警報を切る。とたんにコックピットが静かになった。嘘のような静けさだ。ただし警報ランプは相変わらず。
「第六区画以降の応答は全てなしです。どのチャンネルも反応がありません。燃料の残量ゼロ。後部アンテナ反応なし。レーダーは一つを残して全て反応がありません。第一区画から第五区画ですが……どこかで空気漏れが起きている模様。自動修復装置の作動が確認できますが、空気漏れは続いています。酸素マスクは降りている反応がありますが、第四区画の一部だけその反応がありません。しかし、第四区画にも空気漏れ反応あり」
すぐに福田が状況を伝えてくる。しかし悪い報告ばかりだ。一つでも良い報告は無いのか?
状況を整理しろ、状況を。
機体が分解した事は明らかだ。分解した後部は、今我々に出来る事はない。出来るのは、コックピットの後ろにある数区画だけ。第五区画までは、ここから二十メートル弱。全員が生存しているとして、八席が四つのブロックで一区画。五区画だから……百六十人分。いや、第一区画はクルーと食事提供用のシステムがある。クルーがそこに残っていたとして、二名。三十二名を百六十から三十二を引いて二名を足す……焦るな、焦るな。百三十人だ。クソッ、こんな簡単な計算すらパニックで出来ないんだ。
「機長、大変です!」
「焦るな!」
クソッ。私の方が焦っているかもしれない。福田に怒鳴っても仕方がない。
「す、済みません。しかし……」
一度だけ、軽く深呼吸する。
「報告は? 冷静に状況を報告しろ」
「全無線システムダウン。外部との交信不能です。非常用バッテリー作動していますが、ダメージを受けているようです。電圧が三分の一もありません。第二から第五までの各区画酸素残量、二十五%で、生命維持可能時間は二十分」
数少ない情報から、現在分かる範囲の状況を福田が洗い出す。
「コックピットの酸素タンクは無事ですが、供給システムに異常が見られます。損傷箇所は不明。主回線は無事ですが三番と四番の予備反応なし。二番は無事です。ですが、各区画への主共通電力及び酸素供給ルートが全てダウン。三番の主回線で各区画の情報を確認していますが、酸素の共通ルートは断絶。機首レーダーは正常ですが、電圧不安定のため広域スキャンは不可。事実上、目視以外での状況確認は出来ません」
目視での確認……極めて危険だ。
「しかし、全システムがダウンはしていないのだな?」
「はい。少なくとも、コックピットの生命維持機能と、第一区画の生命維持システムだけは無事です。非常用バッテリーはかなりのダメージを受けていますが、燃料電池残量はまだ何とかあります。残量五十リットル。ですが、漏れている可能性があります」
状況を整理しなければ……私まで混乱しては、救える命すら救えない。まず何をやる?
乗客の生命維持だ。そして、信号のある後部隔壁の調査。
「宇宙服を着よう。それと、客室の電源を最小にして、生命維持を最優先だ。二人は宇宙服を着たら、後部を直接見て欲しい。後部の酸素漏れが止められないようであれば、救命ボートの準備と、乗客の移動だ。機体の状況は私が見る。我々が宇宙服を着たら、コックピットへの直接酸素供給を止めるぞ。コックピット内では宇宙服直結酸素システムで呼吸する。これで少しは時間が稼げるはずだ」
多少損害を受けていたとしても、まだ燃料電池は余裕がある数値だ。非常用バッテリーは無視するしか無いだろう。衝突で配線が切れたと考えるべきだ。
もしかしたら、非常用バッテリーがコックピットの損傷を最小限に抑えた可能性もある。非常用バッテリーは、機体の外壁すぐ内側に配置されている。何か衝突があった際に、バッテリーを犠牲にすることで内部破壊を免れるための処置だ。ただし、これはコックピットのみの装備でしか無い。
「了解しました……救難信号、届いていますよね?」
「余計な心配はするな。今は出来る事だけをしろ」
すぐに私もシートベルトを外し、席の裏側に備え付けられている宇宙服を取り出す。簡易式なので長時間は宇宙遊泳など出来ないが、それでも三十分までは大丈夫だったはず。
宇宙服の酸素タンクは最大二時間。出来るだけ宇宙服の酸素は使いたくない。
頭上にある宇宙服酸素供給用のホースを伸ばし、宇宙服の胸元にある装置に繋いだ。これで宇宙服の酸素は、ホースからの供給がなくなるか外れるまで使われる事は無い。コックピット全体に供給するよりも、はるかに長く生命維持出来るはずだ。
宇宙服は赤色で、上下に分かれた少し厚めの合羽のような物。鉛が入っているので地上では重いが、宇宙なら関係がない。前半分だけ透明な強化プラスチックになっているヘルメットを取り出し、ヘルメット後ろの着脱装置と繋ぐ。これを被ると後ろを振り返っても見えなくなるが、危険を冒すわけにはいかない。それに、腕に着いたいくつかのミラーで後方確認も出来る。ヘルメットの透明部分は、手で開放する事も出来る。当然その場合は、宇宙服と船内酸素の供給は止まる。開いていない事をしっかりと確認してから、透明部分へサンバイザーが後ろから手で引き出せる事も確認した。これで一応船外活動も可能だ。
横を見ると、副長が宇宙服を着るのに手間取っていた。
「副長……いや、佐々木君。焦るな。一度深呼吸しろ。きちんと確認して宇宙服を装着するんだ」
あえて名前を呼ぶ。以前の教習で、焦った時の対処法の一つとして教わった。緊急時には、名前で呼んだ方が焦りが軽減されるらしい。
「は、はい」
彼が焦るのは無理もない。
こんな状況で焦らない方が無理だ。しかし、我々コックピットクルーは乗客の命に対して責任がある。だからこそ訓練もある。それを思い出せ。
冷静になるため、相手への声のかけ方……クソッ。こんな時に思い出せない。私だって焦っている証拠だ。彼の事を非難など出来ない。
「機長、宇宙服の装着が終わりました。宇宙服の生命維持システムに問題ありません」
副長の宇宙服を確認した福田が報告した。福田も宇宙服の着用が終わっている。
「よし。コックピットへの室内酸素供給を止める。ヘルメットのバイザーは大丈夫だな? それと酸素供給ホースをもう一度確認するんだ。極力、酸素ボンベを使用しないよう注意してくれ」
そう言って私も再度宇宙服を確認した。宇宙服にある無線で、話は聞こえているはずだ。
「酸素止めるぞ。いいか?」
「はい、機長」
今度は佐々木が答えた。少し冷静になったような気がする。
すぐさまコックピットのパネルにある、室内酸素供給システムのスイッチを切った。それと同時に胸にある酸素供給のランプが緑になる。緑の時は船内酸素タンクとの直結。これが薄い緑となると、宇宙服にある酸素ボンベからの供給と分かる。訓練は受けているが、実際に目にするとなると寒気が走る。
「君らは後ろの第一区画に行った後、そちらの酸素供給システムにホースを繋いでくれ。そしたらハッチを閉じるんだ。それでしばらくは双方の酸素を温存できる。私はコックピットを減圧して、タンクに戻す。これで時間がさらに延びるはずだ」
酸素はたとえ数ミリリットルでも無駄にしたくない。
「了解しました」
佐々木が宇宙服の酸素残量を見ながら言う。
「人命については、君らの判断を優先してくれ。信頼しているからな、二人とも。それともう一度言うが、無理だけは絶対にするな。最悪の場合も考慮して行動してくれ。それと宇宙服の救難信号を入れておけ。出力は弱いが、それでも希望にはなる」
「了解です。では、後部の確認に行ってまいります。機長も無理はなさらずに」
福田がコックピットのハッチを開けながら言った。
宇宙服の緊急信号は出力が弱い。しかし、今はそれを考えるときではない。
「ああ、そのつもりだよ……ん、あれは!」
それは、私が目にしたくない光景の一つだった。
恐らく中央部付近からだろうか、破断した後部の機体が今まさにコックピットの左の窓から見える。距離は目視でおおよそ二百メートルか?
周囲には、明らかに投げ出された人の姿もある。あの機体部分に生存者はいるのだろうか? しかし、たとえいたとしても助ける手段がない。
我々が持っている装備では、今残っている機体の乗客全員すら助けられないかもしれない。なのに、生きているのかどうかも分からない、そして数が限られた救命ボールを使用する訳にもいかない。
所詮、訓練は訓練でしかないと思い知らされる。
つくづく情けないなと思う。宇宙船のパイロットとなって十年ちょっと。細かな事故は今までもあった。その中には、当然デブリによる事故もある。しかし、今までどのフライトでも死者だけは出さなかった。きっと生きて戻っても、責任は免れない。
「行ってくれ。彼らの事は忘れるんだ。今の我々には、何も出来ない」
「機長。ボイスレコーダーにこの会話が記録されている事はご存じですよね……」
「ああ。しかし、出来ない事は出来ないんだ。今は、確実に助けられる乗客を優先しなくては」
査問委員会でも開かれるかな。そんな事がよぎる。まあ、生きていればの話だ。そして、正直その可能性は低い気がする。
「佐々木君、福田君。早く行ってくれ。君は、まだ残っている可能性がある乗客を救うんだ。私はどうにか通信系が回復できないか試みる。あと、残ったこの機体だけでも、救助が来るまでに最善な方法を試みたい」
「分かりました。では、また後ほど」
彼らが私の視線から消え、ハッチの閉まる音だけがした。まだコックピットには空気が少しだけある。だからこそ音が聞こえる。ヘルメット越しで、多少音が小さくなったとしてもだ。
すぐさまコックピットの計器を操作し、減圧の状況を確認した。軽い空気の吸い込まれる音がするが、それも次第に小さくなる。
目の前の計器を何度も確認する。ほとんどの計器が、警告や注意、異常事態を示している。いやむしろ、正常を示している計器を探す方が大変な事は一目瞭然だ。
しかし今は、この状態で最善の策を行う必要がある。たとえ一人であっても乗客を救う事が使命だ。それが機長の私に与えられた使命だ。
機体後部のブラックボックスは、破断した時点で記録が止まっているだろう。しかし機体の情報は多少残っているはず。見つかれば原因究明の役には立つ。
ブラックボックス自体にはバッテリーが搭載されていない。電力は全てエンジンで賄っているが、その時発生した余剰エネルギーを一部電力に変換している。そして、それらのバッテリーの多くは機首から中央部にかけてバッテリーに充電される。胴体が破断すれば、船尾のあらゆる動力源が喪失してしまう。そして、同じ所にあるボイスレコーダーも停止する。
しかし、宇宙用旅客機は中央部と機首にもそれぞれブラックボックス、ボイスレコーダーが備わっている。特に機首には大型の非常用バッテリーを予備として備えている。それと燃料電池もだ。両方が一度にダウンする事は考えたくない。
非常用バッテリーは機能していない可能性が高いが、燃料電池はまだ生きている。これで少なくともコックピットの会話や軌道は現在も記録されているはずだ。もし完全に電力を喪失していれば、今頃ここも真っ暗な闇の中。酸素の供給も行われていないはず。
第一、機体がこのように破断する事など想定されていない。打ち上げ前に軌道上の観測を行っているし、レーダー網で常に監視が行われている。
「今は考えても仕方がないか……」
緊急時マニュアルを開き、該当しそうな項目を探す。
ヘルメットごしにページをめくるが、案の定このような事態を想定しているはずもない。無理もないか……。
「残りの燃料電池残量は……四十九リットル。すでに生命維持有線の最小限の電力使用に切り替わっているので、これ以上は削減できないか。電力喪失まで、仮に燃料電池に問題が無かったとしても、一時間も無いはずだ。燃料電池は一分あたり五百ミリリットルで減っている。しかも、どこからか電力漏れがある。機体破断した際に、電線も破断しているのだろうし、安全回路があるとはいえ抜け道があるな」
言葉にしているのは、わざとボイスレコーダーに残すため。ボイスレコーダーを調べれば、この事はすぐに分かるはずだが、そのボイスレコーダーが正常に稼働している保証もない。まあ、それを言ったらブラックボックスもだが。何せ、警告のランプばかりで確認がすぐに出来ない。宇宙服越しなのもそれに拍車をかける。
しかし、二つのレコーダーはそれぞれ別回線の電力系統。片方でも生きていれば、記録は残るはずだ。
「コックピット残り酸素量……五百リットル。マスクをしているので、これは十分に余裕があるか。しかし、電源喪失すればその酸素の供給も止まる。全ては電力に頼っているがための弊害でもあるな」
燃料電池の残量から考えて、供給可能時間は一時間を切るだろう。計算する余裕が無いので、残量からおおよその数値だが。
その時、窓に閃光が走った。そして機体が激しく振動する。同時に、船体からの酸素供給が止まった。燃料電池が破損したのは間違いない。もしくはその配線系統だ。
「くっ、爆発か。一体どこで……」
今の振動で、ほとんどの計器から光が失われた。光っているのは蛍光塗料が塗布されている物だけだ。コックピットは途端に暗黒に包まれる。
慌てて窓を見る。よく見ると、エンジンがあった最後尾部分が、バラバラになっている。
「破断したエンジン部分が爆発したか……なっ!」
思わず息をのんだ。大気圏内での安定翼の一つが、こちらに向かっている。爆発したときに破断したのは明らかだ。
「不味い、このままでは衝突してしまう!」
しかし、安定翼はこちらの意思とは関係なしに接近してくる。しかもこちらは動く事が全く出来ない。
機首にアポジキックモーターは複数あるが、メインエンジンと同期している。なので動作はしない。当然回避行動は不可能だ。
「ぶつかる!」
彼がそう言った瞬間……。
しかし、彼は死ぬまで気がつく事は無かった。安定翼の他にもう一つ何かが衝突したことを……。
「以上が解析したボイスレコーダーの大まかな内容です。ブラックボックス、ボイスレコーダーは機体前部及び中部の物のみ回収できました。後部の物は発見されておりません。詳しい解析にはもうしばらく時間がかかるとの事です」
報告しながら気が重くなる。
今回の事故調査で、その悲惨さがあまりに浮き彫りになった。今後宇宙用旅客船の設計が、大幅に見直されるだろう。
宇宙への民間進出が本格化して最も悲惨な事故。いや、初期の宇宙開発と比べても比較にならない程の大事故だ。
「中間報告どころか、最初の調査でこの有様か……生存者は何人だった?」
今回の事故調査で責任者を務めている細田主任は、頭を抱えながら質問してくる。
「四名です。ただし、四名とも重度の酸素欠乏症になっており、特に一名に関しては植物状態になる可能性が高いと報告を受けています。現在も捜索は行っておりますが、時間的にはすでに絶望的かと」
自分で言いながら、思わず悔しさがこみ上げる。
「JSL側は何と言っている?」
「公式には何も。非公式には、生存の区別無くかなりの額を用意しているようです。ただ、銀行側もかなり難色を示しているようですね。全員分で三百九十二人の慰謝料ともなれば、無理もないでしょう。何より、遺体すら見つかっていない方もいらっしゃいますし。一部は大気圏で……」
乗員乗客併せて三百九十二人。宇宙での事故では過去最悪。
昔あった、御巣鷹山の事が一瞬だけ頭をかすめた。
「大気圏の事は出来るだけ口にしないように。君だって分かっているはずだ。我々が口を挟む訳にはいかないが、何か出来る事があったら相談くらいには乗ると言っておいてくれ。君はブラックボックス周辺の調査を引き続き頼む。『みちびき』には、残存機体と遺体の回収作業を急がせているが、地上のようにはいかないとぼやいていた。こちらから送る要員に不足は?」
「あと三名の予定です。明日の便になりますね」
「分かった。私も遅くとも一週間後にはそちらに向かうつもりだ。それではまた後で」
そう言って画面が切れる。いくら事故調査とはいえ、その責任者が常に宇宙にいるとは限らない。
なんだかため息が出た後、私もモニターの電源を切った。