第四章 監視対象 (17)
二〇六五年七月二〇日 UTC〇二時
地球・月周回軌道上 ユナイテッド・スペースライン201便
「こちらユナイテッド・スペースライン201便。静かの海管制塔の管制圏内に入った。現在予定に変更無し」
『了解、201便。こちらへのコースは全てクリアだ。四時間後にまた会おう』
201便の機長をしているシルベスター・オルセンは、通信回線を切ると手元のボードに現在時刻とアメリカの静かの海宇宙基地へ定時報告を入れたと記載する。
「機長。二時方向より間もなく日本軍の警戒艦艇が接近します。予定通りです」
副機長のマーク・ボットが、予定表を確認して報告した。
日本以外では当たり前であるが、日本の軍事組織について、わざわざ自衛軍――Self Defense Force――と呼ぶ者は殆どいない。一般的には日本軍――Japan Force――であり、航宙自衛軍はJapan Space Forceと呼ぶのが通常で、一部の識者が『希』に使う程度である。
「日本もご苦労だな。まあ、そのおかげでこっちは安心できるが」
実際の所、過去に起きたJSL123便の事故について、一部では通常の事故では『無い』と認識されており、特に軍から民間に転職したような者の中では、公然の秘密ですらある。
またアメリカのような国であっても、宇宙船のパイロットは不足しており、軍でのパイロット資格を満たせなかった者が、民間に行く事は当たり前のように行われている。
そもそもアメリカの場合は、軍のパイロット基準と、民間のパイロット基準に大きな差が出ており、それが軍のパイロット不足に繋がっていることもあるが、一度決めた事を修正する事は、そうそう容易な事ではない。組織が大きくなればなるほど、それは顕著になる。
「ビーコン信号を確認。日本軍のもので間違いありません。距離五〇〇〇。相対速度一二。再接近距離まであと三〇秒。最接近時の距離、四八〇〇」
副操縦席にあるパネルの一つに信号が灯ったのを確認して、予定していた方向へ双眼鏡をボットが向ける。双眼鏡には相手との距離や速度差などが表示されているので、それを読み上げるだけだ。
オルセンはレーダーで一応位置を確認すると、他の計器に異常がない事を確認した後、二次方向を見た。しかし距離五〇〇〇とは五〇〇〇キロの事であり、宇宙空間ではニアミスに近いような距離かもしれないが、現実には肉眼で見る事など出来ない。
「月まであと一一時間半か。余計な監視は日本に任せ、我々は月までのんびりしよう」
そのまま機長席にあるパネルを操作し、機内呼び出しを選択した後、乗務員に何か飲み物を機長は頼んだ。
その時、警告ランプの一つが点灯したが、何故か同時に鳴るはずの警告音は発せられず、しかも警告ランプまでもが数秒後に点灯を止める。機長、副機長の二人はそれに気が付く事が出来ず、船内通信機で飲み物を頼むと、計器に異常が無さそうである事を確認した後、お喋りに花が咲き始める。
後ろのハッチから女性乗務員が飲み物を持ってきた瞬間、それは破局となって突然訪れた。
三人いたコックピット部分が瞬時に蒸発すると、その直後に後部のエンジンも『消失』し、燃料が宇宙空間へと漏れる。蒸発した直後の熱気に触れた燃料が壊滅的な爆発を瞬時に起こし、無重力の中、球体として現れた白く輝く炎と熱が瞬時に機体全体を覆いつくし、全ての逃げ場を塞ぐ。熱の球体が最も膨張した時に、どこからともなく何かがその膨張した熱の塊に吸い込まれ、次の瞬間、音もなく炎と熱の球体がバスケットボール程度まで収縮したかと思うと、元の十倍はあろうかという巨大で白い火球が再び現れ、数秒後には何事も無かったかのように深遠の宇宙がそこには広がっている。そしてそこにあるはずだったユナイテッド・スペースライン201便は、文字通り影も形も失ってしまうのだった。
まるでその様な物など、最初から存在していなかったかのように……。