第三章 艦と人と組織 (9)
前回からだいぶ時間が経過してしまいました(_ _ )/ハンセイ
今後ともよろしくお願いします。
二〇六五年六月二十二日
やましろ艦内
『やましろ』と『しなの』がランデブーを行った十二時間前、予定通り月の『かぐや』から来た運搬船が潜水艦に似た物の残骸を回収するためにランデブーした。
運搬船は『かぐや』に常設された輸送船六隻と、本来は『みちびき』との補給物資を運搬する船三隻の計九隻。どれも船内及び船外に物資を固定できる仕様なので、運搬そのものには問題ない。
回収された物は順次リストになり、それは同時に渡辺中将の元へもデータとして送られている。
「思ったよりも多いようですね」
ランデブーポイントに到着し、今は待機中の加藤航海長が一緒にリストを見ている。
戦闘があった事は、既に士官レベルであれば周知しており、艦橋の主要クルーもデータは閲覧できる状態だ。
ランデブーポイントに到着はしているが、まだ『しなの』から第二戦隊司令官の太田は来ていない。
設備的には連絡用通路を連結も出来るが、今はまだ運搬船とのランデブーも続いており、連絡用通路を連結できる状況ではない。同時に、連絡用シャトルを発進できる状況でもないため、直接会っての報告は受けていない。まあ、記録はキチンとされているとの事なので、危険な物資輸送の合間を縫ってシャトルを飛ばす程、彼女もバカでは無いという事だ。
ちなみに運搬船は補給物資も運んでいる。
本来なら必要ないはずだったが、意図しない戦闘と、この先行う主砲の試射訓練などのため、追加で物資を補給するためだ。
それに数日とはいえ、新鮮な野菜類などの補給はいつでも歓迎される。いくら冷蔵、冷凍技術が発達したとはいえ、鮮度の高い野菜類は今でも好まれるからだ。
何より、人工栄養食を艦内で製造可能だが、原料は廃棄有機物の再利用なので好む人などまずいない。
「しかし、吉村司令艦長代理も落ち着きがありませんね。確かに第一戦隊の指揮は任されましたが、現状補給中ですし、さほどやる事もないかと思うのですが……」
加藤が空席の艦長席を見ながら呟く。
確かに彼女の言う事も分からなくは無いが、そもそも第一戦隊司令任命されたのは三日前。
ランデブー中の『しなの』にいる太田と同じであり、先遣隊として出発した第二戦隊よりも第一戦隊の方が隻数は多い。
そもそも人員不足で、艦長と戦隊司令を牽引するのにも無理があるが。
「まあ、まだ慣れない仕事だ。寧ろ今回は太田の方が今回は負担が大きかったと思う。本来なら艦長は別にいた方が良いのだが、慢性的な人員不足だからな。それに、未知の敵との戦闘。現場判断にしては、彼女はよくやったと思う」
しかし、太田を第二戦隊にしたのは……いや、正確には吉村を第一戦隊に残したのには理由がある。
今のところ情報は不足しているが、艦の乗員を含めそれなりの人数に疑念がある。そして吉村は立場的に太田と同じ扱いをする必要があった。ならば、吉村を目の前に置いておく方が都合が良いはずだ。
「そうですね。確かに今回の太田少将の行動は、かなり的確だったと私も思います。ところで、その太田少将にあのことをまだ連絡していないとか? 私も正直驚きましたし、早く知らせた方が良いかと思うのですが。まさか、地球の近似惑星が、太陽系にあるなんて」
加藤航海長の言う事も尤もだ。私だってはじめて聞いた時は驚いた。
「もしや、以前出会ったあの謎の物体は、そこの物だったのでしょうか?」
「分からないな。情報が不足している。安易に結びつけて良い物ではないはずだ。かといって、警戒はする必要があるが。今回鹵獲したこの潜水艦状の物に、なにかアレと一致する物があればはっきりするが」
一応は、太田から類似状の物があったと報告は受けているが、実際に確認が取れるまでは安易な事はしたくない。
「吉村、戻りました。航行中に機関室の第三エンジンで、原因不明の出力不足があったと聞いていたので、少しばかり機関室で機関長と相談をしました」
「ああ、それで結果は?」
「予備回路の配電盤の一つにエラーがあったようです。それが直接の原因かは分かりませんが、基板交換をすると言っていました。交換はもう終わっている頃かと」
別にここに来るまで、最大戦足で航行したわけではない。最大戦速時には加速度21.7 km/sで、機関は百%出力だが、実際には加速度25 km/sである最高速度の一杯も使える設計だ。ただし、エンジンの寿命に問題が出る可能性が高いが。
今回は最大でも第三戦速までしか出しておらず、速度としては加速度14 km/sでしかない。エンジンの性能からすれば、三分の二ほどの出力しか使っていないはずだ。
しかし、航行中に第三エンジンから発熱異常の警告が出たのも事実。元々一旦足を止めて、慣性航行に切り替わるタイミングだったので、予定通りにエンジンを停止させた。ランデブー前には第三エンジンを使用せずに、残りのエンジンで速度調整を行う事で、その間に第三エンジンの調査をさせた。
まあ新造艦であるし、実質的な処女航海でもある。エンジンテストは『みちびき』の専用施設で行ったが、施設の関係で加速度13km/sまでしかテストが出来なかった。第三戦速には若干及ばないし、きちんとエンジンを組み合わせた上でのテストでもない。
ある程度の事態はこの航海が終わってから、再度港かドックで再調整や修理が必要だろう。
そもそもこの『やましろ型宇宙護衛艦』は、今も六隻が建造中で、六隻がさらに建造予定。
さらに初代『あまぎ型』の八隻が、ドックで改修作業を行っている。自衛隊港のリソースは、ほぼ限界に近い作業のはずだ。
人員不足も問題ではあるが、艦の数も必ず重要になるはず。
今回の航行で同じ不具合が他の艦にも出た場合は、早急に対策をとるように指示するしかない。この艦だけの問題であれば、事故調査票を関係各所に提出すれば問題も減るだろう。
「他のエンジンには、同じ症状は出ていたのか?」
「いえ、第三エンジンだけのようですね。ただ、もう一度該当部分を中心に、全エンジンを調査させると機関長は言っていましたが」
「なら問題ないはずだ。加藤の方でも何か問題はありそうか?」
機関部の問題は、そのまま航行の問題に直結する。ミサイル等の発射にも関連するため、CIC長の新井田や砲術長の遠藤にも関連するが、二人とも今は席を外している。
ただ、この艦の主要兵装はミサイルでは無い。新造の荷電粒子砲とレーザーであり、それぞれの砲塔には、専用の小型核融合炉を備えている。なので、最悪機関部を全損しても、砲撃だけは一応可能だ。
「ここから先は第二戦速までしか出しませんし、恐らく問題はないと思います。予備の部品も積んでいますので、さしあたって大きな問題になる事はないでしょう」
加藤がそう判断できるのであれば、大丈夫であろう。
「一応、エンジンだけでなく、時間が空いたときに他の動力系も簡易検査は最低限するように伝えてくれ。主砲は動力系と直結している。無いとは思いたいが、動力系のトラブルで事故は起こしたくない」
系統が別とはいえ、基本となる核融合炉の設計は同じだと聞いている。もし同じ問題があるのであれば、この艦の致命傷になりかねない。
そもそも、主砲それぞれに核融合炉を搭載するのは、正直怖い物がある。
緊急停止システムはもちろん、各種安全対策はもちろんされている。しかし砲塔などを貫通して炉心に直撃した場合は、一体どうなるのか心配でしかない。
砲塔用の核融合炉は、機関部の核融合炉に比べ小型だが、基本設計が同じであることは同じ問題を起こす可能性を否定できない。
確かに全天型の砲撃システムは魅力だが、それにしても方の数が多すぎではないかと思ってしまう。
「もちろんです。まだ機関部はエンジンの検査で忙しい状況ですので、後ほど伝えておきます」
機関部を見てきた吉村がそう言うのであれば、今は無理をさせない方が良いだろう。
慣れない新造艦で、乗員に過度な無理をさせたくない。過度な無理は事故に直結しかねない。
早急な慣熟訓練は必須だが、焦って事故を起こしては意味がない。
「分かった。他に何かあったか?」
「新人がまだ艦はおろか、宇宙に慣れていないこともあり、予想よりも負傷者が出ています。訓練はしているはずなのですが……」
予想していた事ではあったが、やはり簡単に解決できる問題ではなかったようだ。
そもそも地上の訓練設備では間に合わない状態。事実上、ほとんどの者が訓練無しで宇宙に上がっている。当然地上とは違い、宇宙では慣性の法則などが無視できない。
「医務室は常に満員の状態です。今のところは軽傷者のみではありますが。ですが、これでは今後の訓練にも支障をきたします」
「そこまでなのか?」
「はい。今も医務室に行列が出来ています」
これは早急に対策が必要になるな……。
「司令。意見具申です。通路の使用に関して提案が」
加藤には何か考えがあるようだ。身振りで発言を促す。
「この艦の通路は、艦の軸に対して四本の主要通路が整備されています。他に緊急用ではありますが、もう一つの通路もあります。そこでなのですが、四本をそれぞれ艦首方面用と、艦尾方面用に分け、予備の通路は慣れている者を中心に使用しては如何でしょうか? それで少なくとも人と人との衝突はある程度防止できます」
確かにその方法を使えば、一時的には改善するかもしれないが……。
「しかし、君の案だと一時的な効果しか期待できない」
すぐに吉村が反論する。
「確かにそうですが、今回の訓練期間だけでも負傷者は減らせるはずです。以後は帰港した後、順次再訓練を行うのが良いかと」
加藤が近くのモニターに艦内見取り図を出し、艦内にある四本の主要通路だけを黄色く点灯させた。
「私も苦肉の策であるとは認めます。ですが、負傷者を増やさないためにも、一時的に制限を設けるのは、この際致し方ないかと。何より今は、目の前に迫るテストもありますので」
彼女はそう言いながら、見取り図にある通路の二つに対して艦首側に向かう矢印をアイコンで置き、残りの二本の通路を艦尾側に向かう矢印のアイコンを置いた。
「私達は隊員の数も不足しています。その中で怪我人を無駄に増やすのであれば、一時的にでもこのような処置を取るべきではないでしょうか?」
加藤の考えには、確かに一理あるだろう。予備通路は主要通路に比べ狭いが、既に慣れている我々のような者であれば、非常事態における通路使用の訓練にもなるかもしれない。
「分かった。艦隊に通達してくれ。おそらく他の艦でも同じ状況だろう。改あまぎ型でも主要通路は二本常備されている。多少不便になるが、今は怪我人をこれ以上出さない事が上策だ。通信員は聞いているな? すぐに通達してくれ」
当直通信士に命じる。加藤は少し安心したような顔をしていた。
「司令、しなのから通信です。第二戦隊の太田少将が、こちらに向けて発進したとの事です」
「了解した。格納庫に迎えをやるように伝えてくれ。到着次第、こちらに来るようにと」
色々と一段落したのであろう。早く彼女とも話をしたい。
三十分ほどして太田が現れた。
第二戦隊を任せてはいるが、吉村と同じく艦隊の指揮となると経験はまだまだ浅い。さらに艦長兼任と無理もさせている。
しかし現状では贅沢を言えないのも事実だ。
すでに艦隊の主要メンバーを、旗艦艦橋後ろに備えられている作戦室に呼んでいる。
「第二戦隊太田少将、旗艦しなのより参りました。不明艦の収容は八割方終了しています。補給も時間内には終わるかと」
彼女は敬礼した後、すぐに状況を報告する。
「ご苦労。先ほど艦隊に通路使用の事で命令を出したが、聞いているか?」
「はい。こちらでも若干問題になっていましたし、判断は妥当かと思います。先任士官や乗員はさほど問題はありませんが、新人はやはりまだ慣れないようですし」
太田は少し苦笑していた。
「そうだろうな。しかし、今回はとんでもない物を拾ったな」
「ええ。こちらがデータです」
彼女はSDカードを手渡す。
この中に戦闘の詳細が記載されている。すぐにでも分析したいが、いくら最新鋭艦とはいえ、ここの設備では処理能力に限界があるだろう。『みちびき』に帰港するまでは、最低限の情報を見るにとどめるしかない。
全員に着席を促す。吉村と太田が最前列の左右に座り、後は適当に近くの空いている席へ座る。机はコンピュータを内蔵した大型の物で、縦に長い会議室に良くあるような形だ。ただし地上で一般的に使われているような、折りたたみ式の会議机ではない。
とりあえず手元の端末にSDカードを挿入する。写真の項目を見つけ、船体が撮影された物を選びモニターに映した。
「これか……確かに古い型の潜水艦だな」
「はい。撃沈後にも再確認しましたが、形状はアメリカのガトー級で間違いないようです。船体内部を確認した者によると、いくつか特定の記号及び番号も発見したとの事です。アメリカ側に照会すれば何か分かるかと」
「分かった。それから、ここにいる全員に告げる。この件に関しては、以後命令があるまで口外を禁止する」
全員が神妙な面持ちで頷く。理由を説明せずとも、これがどの様な意味か分からない者はいないだろう。こんな事が無闇に知られれば、大騒ぎでは済まない。
「さて。ここに集まってもらったのは、この先に行う砲術試験の事ではない。これを見てくれ」
テーブルにあるタッチパネルを操作し、背後にある大型ディスプレイに写真を映した。ディスプレイに映る写真は、一見地球のように見える。
「地球……ではないようですね。これは一体?」
吉村はすぐに地球でない事が分かったようだ。
「陸地の配置が地球とは異なりますね。南半球から撮影したとしても、この形はおかしいです。それに、地球にはない小さな月のような物が見えます」
太田はすぐにそのおかしな点を指摘してきた。
流石にだいぶ宇宙に慣れてきたのだろう。的確な指摘だ。
「この写真は三年前――62年の七月に撮影された物だ。位置は地球の公転軌道のちょうど反対側。それまでは一度も観測されていない」
その場の全員が、思わず息を飲んだようだ。まあ、私もこれを見たときは同じだったと思うが。
「そして、この写真を見て欲しい」
すぐに次の写真へと切り替える。今度は白黒写真で、二人の男と黒い物体が並んで撮影された物だ。
「1927年に撮影された写真で、場所はロシアのツングースカ。一緒に写っている二人は、当時の調査隊のメンバーらしい。同時に映っている黒い物体は、高さ一メートル、幅四〇センチ、厚さが一〇センチだそうだ」
誰かが後ろの方で『モノリス』と呟いたのが聞こえた。
「この物体はその発見地点から、当時は『TKHB……ツングースカ・クーリック・未知物体』と命名されたようだが、研究者の間では、現在モノリスと呼ばれる事が多い。正式には『TUC』と呼ばれており、意味は『ツングースカ・アンノウン・立方体』とされている」
「ツングースカ事件の後に見つかったという事でしょうか? 確か半世紀ほど前に隕石の欠片が見つかったとネットで見た記憶があるのですが。それに、初期の調査では、何も見つからなかったと発表されているはずです」
前の方の席にいるこの艦の観測長を務める、渡瀬が質問してきた。彼はこの中では比較的近代史に詳しい。
「当時のソ連は、この物体の価値を調べるために隠蔽したそうだ。今ではごく一部の科学者がこの存在を知っているらしく、調査も行われているらしいが、いくつかの発見があった」
次の画像に切り替える。今度は四枚の写真を並べた物。
「一番左側の写真は、この物体に初めからあった文字だ。二十一カ国語で記載され、その中には日本語もある。日本語は『我々は常に見ている。君らの意思に関係なく』とあり、他の言語でもほぼ同じ内容だそうだ」
「比較的簡潔な上に、意味を考えたくないですね」
吉村がすぐに感想を述べる。
「その横にある三枚の写真は、その後の調査で分かった物だ。モニター上の一〇センチが、おおよそ一ミリだと考えて欲しい」
そこにはまるで幾何学模様のような物が描かれた物、何を意味するか不明だが、明らかに文字と考えられる物、そして何らかの設計図と考えられる物がある。
「解読は出来たのでしょうか? 特にその文字のような物ですが」
この艦の砲術長である佐々木が質問してくる。
「それについては、私には知らされていない。どこかで把握はしているようだが、総合幕僚長が箝口令を受けているか、そもそも知らないのかすら不明だ」
部屋の中が一瞬にして静まる。
「まあ、現状で我々は『与えられた情報』だけが頼りだ。そしてこれが最後の写真だ」
手元を操作して、惑星の拡大写真に切り替えた。
「不明瞭な点もあるが、石田航宙幕僚長は、これらは戦闘艦でないかと推測している。根拠は数の多さ。単なる宇宙開発なら、ざっと数えただけで千を超える宇宙船の意味が分からない」
「千ですか……」
太田が息を飲んだ。その他の皆も、かなりの驚きを隠せないようだ。
「現状では、我々は専守防衛に変更はない。しかし、これらのほとんどが宇宙艦であり、しかも戦闘艦であるとするなら、我々に対抗できるのか不明だ。いや、はっきり言えば戦力差で相手にすらならないだろう」
会議室を重い空気が包む。
分かっているのは、相手が大艦隊であるという事だけ。しかも、我々と数を比較するのも嫌になる数値だ。
「そもそも、ご指摘の艦隊ですが、我々に対して敵対行動を取ると渡辺中将はお考えですか?」
「吉村、何が言いたい?」
「映画や小説では、大抵の場合地球に攻め込む事が多いのは承知しております。しかし、今回もそうだとは限らないのではないかという事です」
まるで、そうではないと言いたげ。何を言いたいのか?
「しかし、我々は戦闘を前提に今回は対処しなければならない。それとも吉村、君に何か策があるのか」
「いえ、そのような物は。しかし、もし相手が単にコンタクトを取りたかった場合、我々がそれに攻撃で対処すれば、自ずと結果は破滅的になる事もあるかと」
「それを考えるのは政府だろう。我々は、与えられた命令に従うだけだ」
なぜ吉村は、急にそんな事を言ったのだろう。
「まあ、吉村少将の言う事も分からないでもないですね。それに、相手が我々よりも技術レベルが上なら、そもそも我々は手出し出来ないかもしれませんし」
佐々木戦闘指揮長も嫌な事をいう。それでは最初から我々が敵わないと言っているような物ではないか。戦闘指揮長である以上、もう少し考えて発言して欲しい。
「実際、全ては推測の域を出ないですね。アメリカはこの事を知っているのですか?」
遠藤通信長の問いに、勿論と答える。
「しかし、私たち現場に何も知らせないだなんて、上も何を考えているのでしょう」
加藤はどことなく不機嫌。これが乗員に伝播しなければよいが。
「君らの懸念も分かるが、私だってどうすれば良いのかはまだ分からない。どちらにしろ、訓練は強化するぞ。しかし、目の前の敵が何か分かれば、それに対して心の準備も出来るだろう」
まだ『敵』とは断定できないが、そのつもりで行動しなければならないと命令を受けている。
「主砲や機関の諸元表もやっと手に入れる事が出来ましたし、これならまともな戦略や戦術も考えられます。やっと公開されてホッとしました」
加藤は機関関係の書類を手にしながら、いつになくホッとした顔をしていた。
「今回の砲術訓練は、これを見越した物だ。出来れば失敗はしたくない。なので、砲術科及びCIC、機関部は可能な限り整備とチェックを行ってくれ。通信科は我々の周波数だけではなく、他の帯域にも可能な限りチェックを行って欲しい。人数が人数なので、まずは帯域を出来るだけ訓練中には記録を頼む。観測科は現段階を持って、可能な限りの索敵を頼む。慣れない交代要員も多いが、観測科についてはローテーションについても一考しよう。今出来る事は主にそれだけだろう」
「何とかしてみましょう。出来ませんでしたでは済まなそうですからね」
吉村の答えに、その場の全員が頷いた。
やはり、敵が何なのか知っていた方が士気は上がるようだ。
「今より艦隊に通達。現宙域からの出港はUTC明朝〇七〇〇だ。訓練中に限り、今から戦時準備特例を適用する」
戦時準備特例は、自衛隊が自衛軍に名称変更が行われた時に作られた規則だ。
本来なら、明らかに戦闘が行われる事が予想される事態に直面したとき、民間にも協力を取り付け、軍の活動を優先するための命令となる。
しかし、航宙幕僚長からすでに月の『かぐや』には知らされており、『かぐや』の民間人に対して補給が圧迫しないギリギリまで、自衛軍に対してのあらゆる優先権が与えられる。
これが『戦時交戦特例』となれば、『かぐや』はもとより、他の民間人や民間業者も、自衛軍に対して協力する事が義務付けられた状態となる。
無論、その様な事態だけは何としても避けなければならないが。
「まだ戦いになるとは限らないのに、戦時準備特例ですか?」
吉村がまた怪訝な顔をする。
「上からの通達でもある。その方が、君らもやりやすいだろう」
「まあ、その通りですが。この艦も含め、他の艦はどうなさるおつもりですか? まだ宇宙に慣れていない者も多いのですが……」
「状況を再確認してからだな。」
まあ納得はしたのだろう。それ以上は吉村も何も言わなかった。
「明朝までに、各艦の兵装を可能な限り完全にしておけ。補給部の人員を使っても構わない。甲板員も協力させて構わないだろう。他の部署の人間が必要なら、私から命令を出しておこう。特に補給船に関しては、『かぐや』から優先して補給物資を用意させる。質問がなければ、これで一旦解散する」
質問は無かった。
「君らに期待している。結果で答えてくれ。それと最後になったが、訓練が終わったら君らに休暇を与える。一度に全員とはいかないが、一週間程度の特別休暇だ」
それを聞いて皆の顔がほころぶ。これで、後は訓練さえうまく行けばよいが……。




