第一章 他人(ヒト)の造りしモノ(2)
二
一九九二年七月六日 G7開催直前
第一八回 ミュンヘン・サミット主要国首脳会議
レジデンツ宮殿
「今回はロシアからエリツィンとガイダールがロシアから来ていると聞いているが、具体的な用件は知っているか?」
アメリカ大統領ブッシュが、隣にいる秘書官に聞く。
「我々が把握している限りでは、今後サミットへの参加する為の下準備と聞いています。ですが空輸で不審なコンテナを運んできているとの事です。こちらの情報員によれば、放射性物質等は検知されていません。機密保持との理由で中身の確認までは出来なかったそうですが、X線検査では箱状の立体物が一つ確認されているだけです。銃器及び爆発物を思わせるような物もなかったそうですが、X線検査では中の箱を透視する事は出来なかったとの事でした」
「透視出来なかった?」
中身が全て鉛や重金属の塊ならともかく、普通の箱が透視出来ないとは考えられない。
「コンテナの重量は約百キロ。X線で検査した結果、内容物は高さ約3フィート。幅は1.3フィート。奥行きが0.3フィートとの事でした」
「子供くらいの大きさか。しかし重量は重いな」
「はい。金属の塊かと思われますが、X線検査で特に異常もなくすでに現物は近くの倉庫へ運び込まれています。気になるのは警備ですね。かなり厳重な警備が行われているようです。事実、大統領や首相の警備よりも厳重な警備と報告を受けています」
首脳陣よりも厳重な警備を行うとは、一体どういう事だ?
「ロシアからは何も公式発表はないのだな?」
「はい。少なくとも我々へのアクセスはありません。ただ、日本の代表とロシアが接触したとの報告があります。しかし未確認で現在調査中です」
「CIAは何も掴んでいないのか? 日本如きに後れを取るとは思えないが……」
「それが、ロシアがかなり厳重な警備体制を行っており、日本も過去に見ない程の情報統制を行っています。正直驚きを隠せません」
日本が情報統制? あの国にそんな力があるとは思えないが。
「大統領の仰りたい事は分かりますが、現状は不明なままです。しかしG7終了後にロシアが我が国を含めて各国にアクセスしているので、遅くともその時には分かるかと」
「気に入らないな。ロシアもそうだが、日本が情報を漏らさないのは納得がいかない。他に接触があった様子は?」
「今のところ確認出来ません」
日本とロシアははっきり言えば仲が悪いといった方が良いだろう。まあその責任は我々にもあるが、少なくとも領土問題は我々が大きく口出しする事は無い。
何より下手に刺激してクリル列島の事まで持ち出されては敵わない。せっかく四島だけの話題になっているのに、列島全部となればロシアもそうだが我々の戦略にも影響してしまうだろう。
そもそも当時のソ連が条約に署名していないので、日本が下手な事を言い始めると収拾がつかない。それだけはなんとしても避けたい。
「とにかく情報収集を優先してくれ。所詮日本だ。早々秘密を保持出来るとも思えないからな」
「分かりました。それでは今回開催される内容です」
「それでロシアはなんと?」
宮澤は戻ってきた担当官に聞く。
ロシア側から極秘に接触があり『見せたい物がある。くれぐれも情報が漏れないようにして欲しい。サミット終了後には各国に解放するが、我々はまず日本に意見を求めたい。可能であれば科学者が好ましい』と日本出発前に大使館経由で連絡があった。
ロシア大使館は大使が来たのではなく、秘書官だった。しかし持っていた手紙はロシア大統領――エリツィン大統領の直筆サイン入り。通常であれば大使が直接持ってくると思うのだが、持ってきたのははっきり言って駆け出しの書記官。最初はあくまで就任の為の挨拶と聞いていたが、内容は全く異なっていた。
「不思議な物体を見せられたとの事です。写真及びメモ等は一切禁止されたそうですが、高さ一メートル、幅四十センチ、奥行き十センチの黒光りした石版だそうです。また文字の記載もありました。いくつかの言語で表記されていたそうですが、日本語で『我々は常に見ている。君たちの意思に関わりなく』との事です。発見された場所はツングース地方。当時ツングース事件……ツングース大爆発とも言われている地点のほぼ中央との事です。隕石が落下したのではないかと言われている場所になります」
「石版か……ロシア側からの情報は?」
「色々なテストを試したらしいですが、どれも失敗したとの事でした。何をしても傷一つ付かず、温度変化……極度の高温や低温にも耐え、尚且つ形状に変化がなかったとの事です。驚きましたが、彼らは水爆の爆心地に置いて試したとか。しかしながら、放射能及び放射線の反応は検出できなかったとのことです」
「水爆か……」
思わず険しい顔になってしまう。日本人であるが故だろうか? それに、あと一ヶ月もすればその手の式典も控えている。
「ロシア側の説明では『ツァーリボンバ』の時にもテストを行ったそうです」
担当官の顔色も正直良くない。
大体『ツァーリボンバ』などという名称に良いイメージを持つ日本人は少ないだろう。
世界最大の威力を誇る水爆。威力こそ忘れたが、それ一発で一つの国を滅ぼすのに十分な威力がある。
「二度と使って欲しくはないな。まあ過ぎた事は仕方がない。それで、ロシア側は何をして欲しいと?」
担当官が何枚かの資料を取り出した。手書きのようだ。聞いてきた事をメモしたのだろう。
「まずは現物をG7終了後各国の首脳に見せるそうです。その上で、まずはアメリカに調査を依頼。次に我々に調査して欲しいとの事でした。さすがにアメリカの顔を無視する事は出来ないでしょう。ですが、詳細なロシア側の資料は我々側に先に送るとの事でした。『アメリカの調査能力は信頼しているが、我々ロシアは純粋に日本の技術力に期待したい』との事です」
「我々にも限界がある事を伝えた上でか?」
「はい。アメリカを信頼出来ないとまで言っていないようですが、やはり冷戦の影響は大きかったようですね。かといって、技術力がある国は限られています。我々の後にドイツへ送るように指示がありました。それは妥当かと思います」
アメリカの機嫌を取りつつ、実際の調査は日本とドイツか。現実を考えれば分からない話ではないな。
「アメリカ側の調査期間は半年。我々には二年の猶予が儲けられています。すでに書面は出来上がっているようで、アメリカが反発してもロシアは押し切る構えですね。また我々の二年については、あくまで暫定との事です。調査内容を多少ロシア側に伝える必要がありますが、それさえ守られれば必要に応じて期限を延ばしてもよいと言っています」
あまりに待遇が良すぎる話だ。連中の狙いが気になる。
「見返りは求めているんだろう?」
「はい。調査データの全面開示が主たる物ですが、これについては調査した機器についてまでは公開せずとも良いようです。それともう一つの方が難題ですね。北方領土絡みです」
「やはりか……彼らの狙いは?」
「さすがに全島譲歩などと言った無茶ではありませんが、今回のG7では帰属についてのみの言及にとどめて欲しいと。まあ、彼らからしたら引けない要求でしょうね。その代わりに、ロシア太平洋艦隊の縮小を提案しています。もちろんこれは内密ですが」
悪い話ではないな。自衛隊を動かすわけにもいかないし、現状維持という事か。
「まあ、宣言だけなら問題ないという事だな。こちらも下手に刺激はしたくない。冷戦が終わったからとはいえ、他の問題も抱えている。焦る事もないか」
それよりも、日本国内の問題が気になる。
バブル景気が一段落したが、むしろ今は急激な株価暴落が始まっている。これを何とかしなければならないが、良い対処法が現状ない。このままだと政権維持も難しいといえる。
「分かった。ロシア側には『全面的に同意』と伝えてくれ」
「よろしいのですか? 領土問題も絡んでおりますが」
「今は『領土の帰属でロシア側との対立がある』とだけ声明が出せれば十分だ。経済問題の方が最優先だな。それにロシアは我々を頼りにしている。うまく使えばこちらの交渉材料にもなる」
「なるほど……分かりました。そのように伝えます。では、G7の件についてですが――」
「日本はやはり侮れないな」
思わず呟いてしまった。それを聞いたガイダール首相が少し驚きの顔をしている。
私の正面に座っているロシア首相は、日本から送られてきた書類に目を通している。
枚数はあるが、内容は実に簡潔だ。我々の意見をほぼ全て飲んでいる。それだけに我々の行動にも責任が伴ってくる。
「彼らはやるべき事をしっかりと認識しているんだよ。目先の領土問題よりも大局を見る目は侮れない。だからこそ戦後の奇跡的な経済発展があったのだろう。我々には真似出来ないな」
「そうでしょうか、大統領? 私には単に目の前の餌に食いついたように思えますが」
まあ、彼がそう思うのも仕方がないだろう。
日本は多くの国から情報戦に弱いと言われているのだから余計だ。悪い意味で『スパイ天国』とすら言われる始末。
「私は彼らを評価しているだけだよ。日本が情報戦に弱いというのは間違いだと思っている。本当に情報戦が弱い国であれば、第二次大戦初期の快進撃は難しいだろう。私から言わせれば彼らは、情報戦に弱いのではなく、情報に振り回される癖があるといった所だ」
そう、彼らは情報をあまりに多く持っているが為に、その情報のどれが有効なのかを見極める事が難しいのだ。
現に日本はアメリカに対して部品という形で武器を輸出しながら、その実我々にも同じ事をやってのけている。
その上彼らの軍備はすでに我々を超えているのではないかと思える。しかもそれが民生品として使われていたりもする。我々には到底真似など出来ない。
確かに日本は核兵器を保有していない。しかしすでに世界は日本の技術抜きでは成り立たなくなり始めている。恐らく近い将来日本抜きの技術革新など考えられなくなるとすら思える。
「彼らはアメリカという足かせがあるからあの程度で済んでいるんだ。もしそれがなければ、彼らの技術に追いつける者はいなくなると思う。その上で上手く各国とのやり取りをしている。今後彼らが対立するとすれば中国だろうが、恐らく中国が自滅する形で終わるだろう。彼らは技術革新をするだけで兵器そのものの性能を上げる。数で押し切ろうとしても、その技術の前には意味がなさなくなると思う」
ガイダールが黙る。彼にも心当たりはあるのだろう。
「彼らは有人宇宙飛行船こそ打ち上げていないが、彼らにはすでにその技術はあると思う。アメリカの宇宙船――スペースシャトルに使われている耐熱用の素材がそれを物語っている。彼らがそれを行わないのは、単に人的コストの問題だろう。昔我々が行ったような人を使い捨てにするような事が出来ないのが日本だ。確かにそれは足かせになるが、その足かせは自ら付けた物。当然彼らはその鍵を持っている。はずそうと思えば自らの意思で外せる」
「なるほど。そう考えれば侮れないどころか驚異ですね」
彼らに問題がないなどといった事はもちろんない。しかしそれは些細な事だろう。
あの国が本領を発揮した時、それを止められる国はあるだろうか? 甚だ疑問だ。