第二章 それは訓練なのか?(5)
3月18日(水) 修正
二〇六五年五月十五日 UTC(協定世界時) 〇九時五〇分
ラグランジュ三近域 通称『暗礁宙域』
「状況は?」
そう言って新しく設けられた司令席に座る。いくら艦隊司令になったとはいえ、艦の人員は不足している。
司令席とは名ばかりで、実際は余った椅子を急遽取り付けただけ。当然専用のモニターも何もない。艦内電話すらないのは、緊急時にどうしたものか。予算が限られているとはいえ、早急に私が司令になる必要があったのか疑問に思う。
とはいえ正式に艦隊が発足する事になった以上、今さら逃げられる物でもない。それに航宙自衛軍初の艦隊だ。
あまぎ艦橋には、航海長の加藤と観測長の渡瀬、艦長の太田がそれぞれの持ち場にいる。その他に、新人三人がそれぞれいた。
機関長の吉田は途中の通路で会ったが、行き先は機関室のようだ。今頃機関室で、新人に檄を飛ばしているに違いない。
「現在ラグランジュ三の指定ポイント、三千キロ手前です。全てオールグリーン。命令通り半速にて竿で進入し、くらまが露払いを、いぶきが殿を務めています」
太田が機械的に答える。彼女はこの艦に乗り込んでから、だいぶ成長した。これなら安心して艦を任せられる。人選に間違いはないと思いたい。
「半弦休息で警戒中です。進路上に障害はありません。到着予定時刻は一〇一五です」
あと二十分で到着か。
戦闘状態ではないこともあり、全員が白い作業服だ。船内用宇宙服を着ている者はいない。
つなぎの白い服なので飾り映えがしないが、宇宙船の中での行動を考えた服装だ。これが海自ならもっと見栄えのする服装なのだが、服ですらまだまともに決定していない。一応儀礼用の制服があるだけだが、それで航海をするには邪魔なだけだ。
エンジンが進化したとはいえ、月までの片道は一日かかる。もし何もなければ、ラグランジュ三までなら、みちびきから約半日で到着出来る計算だ。
しかしこの周辺宙域はスペースデブリと呼ばれる漂流物が多いため、通常の航行は出来ない。近づくに従い、どうしても減速するため、予定ポイントへの到着は二日もかかる。
地球軌道上にあった大型の廃棄物――ロケットから切り離された部分、コロニー建造時の余剰建造廃棄物が、ラグランジュ一と三に集められたのは、当時としては仕方がなかったとは思う。破棄された人工衛星も、この軌道に移動させられた事も大きい。特に何らかの事情で再突入が難しい衛星や廃棄物は、まとめてこれらの軌道に移される結果となった。
月への直線コースはだいぶ前に掃除されたが、その分ラグランジュ一と三の掃除は後回しになった。そもそも、ここまで投棄した物が増えては、今さら回収などできないのではないだろうか?
それにしても、なぜこんな危険な宙域で射撃試験をしなければならないのか理解に苦しむ。確かにこの軌道なら、下手な監視は出来ないが、実験する事にもリスクが多い。そのリスクを冒すだけの理由はあるのか。
間違って目標以外に当ててしまえば、それが新たなデブリとなり、最終的には連鎖的にデブリを生み出す。それを一般にケスラーシンドロームと呼ぶ。宇宙空間における最悪の死の連鎖と言っていいだろう。
見た目には止まっているように見えるデブリでも、実際には銃弾よりも速い速度で動いている場合が多い。それらが互いに干渉すれば、破壊的な力をも生み出す。
そういった事情もあって、この宙域は許可無く立ち入り禁止になっている。
特にこの放置されたラグランジュ三は、ラグランジュ一のデブリも一部だが集められた。理由は、月への航路を確保するため。そして、ラグランジュ一に予定されたコロニーの建造のため。
その為、別名『サルガッソ』と欧米では呼ばれ、我が国では『暗礁宙域』と呼ばれる。もしこの宙域で遭難したとしても、誰も助けには来ない。そのような宙域だ。
宇宙空間でも海事法と似たような規定が有り、遭難者の優先救助が求められる。しかしこの暗礁宙域のような一部に限っては、それが適用外になっている程だ。
外の開放部がほとんど無く、厚い装甲に守られたあまぎのような軍艦なら良いが、通常の宇宙船なら瞬時にデブリの仲間入りをしてしまうだろう。
「監視を厳に。コースそのまま」
「コースそのまま、ようそろ」
太田の命令を加藤が復唱した。この光景も、これが最後だろうか?
「正面のモニターは、艦首映像か?」
そう聞くと、すぐさま渡瀬が「はい」と答えてくれる。
見る限り、進路上には大きな障害物は見あたらない。しかし、左右を投影しているモニターには、無数のデブリが映っている。
「露払いのくらまより入電。進路上にめぼしい障害なし。目標エリア進入まであと五分との事」
渡瀬が報告してきた。今は通信の席に誰もいない。その代わりに、渡瀬が通信も行っている。
くらまが後五分なら、本艦が目標エリアに到着するのはさらにその五分後か。さらに目標ポイントまで十五分ほど。思ったよりも順調に進んでいる。
「殿のいぶきより入電。後方にも障害はないそうです」
そういえば、定期報告の時間だった事を思い出す。
「観測長、本艦の周囲はどうか」
「進路上には目立った障害物はありません。周辺の電波状況もクリアです。暗礁宙域と呼ばれるだけの事はありますね。周囲はデブリの山です」
「そうだな。艦長、準備の方は」
「実験用装甲は、格納庫で待機済みです。到着後、すぐに実験可能です」
装甲の耐久テストであることは分かるが、なぜこんな場所で行わなければならないのかが分からない。ステーションの無重力実験室でもテストは出来たはずだ。いや、しているだろう。ではなぜここで行うのか?
「戻りました」
遠藤と新居田が来た。
遠藤は仕方ないとして、新居田は特に行う作業はない。今回はCICに出番は無い。単に見ているだけになるだろう。さらに後ろを追うように三人が入ってくる。佐々木と新人二名。これで、今回の訓練に必要な人員は艦橋とCICに揃った。
「通信、代わります」
遠藤が渡瀬に言いながら、ヘッドフォンをつける。
渡瀬はそれを確認してから、自分のヘッドホンを外した。ヘッドフォンをマジックテープで止めようとするが、手が滑ったのかヘッドホンが宙を舞う。慌ててヘッドホンを掴むと、今度はきちんと止めることに成功したようだ。これが宇宙でなければ、ヘッドホンはそのまま床に落ちていただろう。高価な物だけに、もう少し丁寧に扱って欲しいものだ。
「もう少し丁寧に扱いなさい」
太田が見ていたのか、私の言いたいことをそのまま代弁する。
「失礼しました」
どうも無重力という環境は、やはり長時間人間には辛いのかもしれない。重力があるところと無いところで、注意力が違う気がする。
大きな影響はないといわれているが、それをどこまで信じてよいものか。
「減速運動に入ります。進路そのまま、後進半速」
加藤が言うとほぼ同時に、少しだけ疑似重力がかかる。とは言っても、本当に僅かだ。
すぐにまた無重力と同じになる。
「上方二五度、左舷三二度、距離三千に大型デブリ多数。相対速度十二。進路に問題はありません」
渡瀬がレーダーを注視しながら、デブリの方角をパネルに投影した。
最大望遠ではないが、大きなデブリがいくつかあるのが見える。小さなデブリも多数あるだろう。
「レーダー、他に障害物となる物はないか」
すぐに無いとの返事が来た。まあ暗礁宙域とはいえ、宇宙は広い。小さなデブリは周囲にあるだろうが、大きな物はそれほど無いだろう。
それに、艦の中にさえいれば、デブリで負傷する事は考え辛い。巨大な構造物でない限り、装甲が守ってくれるはずだ。巨大デブリに対しては、対デブリダンパーも展開出来る。
「CICです。右舷一二〇、上角三五、距離五千に発光体。他のデブリで観測できませんでした。現在、発光のタイプを確認中。救難信号ではありませんが、定期的なパターンです」
CICにいた吉村から報告が上がる。
右舷一二〇、上角三五だと、後方やや上側か。
「第二種警戒態勢。他の艦は観測していないのか?」
「おそらく無理です。発光体の前に、大きな構造物がいくつも投棄されています。発光タイプのパターン判明。赤と青の連続信号です。赤コンマ五秒ごとの点滅を十回、青が二秒の発光を一秒ごとに一回を繰り返しています。該当する国際信号無し」
「至急、パターンから予測出来る信号を解析しろ。それと他艦にも連絡を入れろ」
まったく、こんな所で生きた衛星があるとは。場合によっては、無力化しなくてはならない。
「解析パターンに一致する物は依然ありません。望遠で捉えていますので、主モニターに回します」
太陽光パネルのない、箱型の衛星のような物が出る。外見は箱形だが、奥行きが若干あるようだ。余計な凹凸などは見られない。国籍を示すようなマークも見あたらない。見た感じは、太陽パネルのない衛星だ。発光がなければ、周囲のデブリとはあまり区別が付かないだろう。
「サイズは大型トレーラーほどです」
CICから報告が来る。かなり大きい。
「前世紀の投棄衛星でしょうか?」
太田の予測もあり得るが、もう少しデータが欲しいところだ。
「それにしては大きすぎる。他に何か分かった事は?」
「待って下さい。標的の様相が変化。発光パターンに変化があります。赤の点滅に切り替わっています。間隔は一秒。緊急事態を進言します」
「上甲板主砲一番、一二〇、三五に照準。発射態勢で待機。別命あるまで発射は控えるように」
すぐさま太田が命令を飛ばす。敵と認識せねばなるまい。
「電波管制。他艦との通信はレーザーで行え!」
すぐに通常の電波通信から、レーザー通信へと変更させる。これで電波による目くらましには多少なると思いたい。
「目標を敵と識別。管制、射撃準備!」
監視衛星の可能性が高い。ならば、排除しなくてはならない。
「発光体よりレーザーが当てられています。レーザータイプ識別中……」
急に吉村が怒鳴った。
「照準レーザーの模様。現在、当艦の右舷前部二十六番装甲に照準されています」
「主砲撃て!」
怒鳴るように太田が射撃指示を飛ばす。一刻の猶予も与えるべきではない。すでに、標的にこちらの情報が漏れている可能性もある。
「発光体および、レーザー照準が消えました。変です、残骸の形跡なし。衛星が消えています」
「蒸発したのでは?」
太田の指摘に、吉村は違うと返答する。
「レーザー砲で消滅出来るサイズではありませんでした。まるで最初から無かったかのように、消えています」
「それはあり得ないだろう。もう一度、良く観測しろ。観測班、全天球観測。戦闘指揮所、警戒怠るな。次弾用意!」
思わず強く反論してしまった。しかし現実に起こるはずがない。こちらが発射したレーザーは、さほど口径は大きくない。相手の大きさから考えて、蒸発するには大きすぎる。
「CICです。左舷三〇〇、下角五十五、距離三千に再び発光体。突然現れました。現在観測中……先ほどと同じ物です。再度照射レーザーを当てられています。左舷七十六番装甲」
今度は前方やや下側。一体どういう事だ?
「左舷一番砲、照準定め。発砲可能になり次第、迎撃を許可する」
太田の命令直後、すぐさま外部カメラで、砲が旋回しながら砲身が仰角を定め、レーザー砲を発射する。
「変です。再度目標を消失。爆発ではありません!」
CICからまた報告が上がってくる。
「再び捕捉しました。艦前方です。上下角、左右角共に0度。距離二千。正面です。先ほどまで、前方には何もありませんでした。くらまと本艦の中間にいます」
「馬鹿な!」
思わず叫んでしまった。
「艦首ミサイル一番及び四番。照準、撃て。艦首全レーザー砲、発射準備で待機。二番及び三番も発射準備」
すぐさま太田が、ミサイルによる迎撃に切り替える。これならたとえ外れても自爆させることで、前にいるくらまには被害が及ばない。レーザーよりも時間はかかるが、贅沢は言えない。
「くらまにミサイルを発射した事を伝えなさい。急速回避運動を準備」
「ミサイル発射しました。目標まで五秒」
サブモニターの一つが、ミサイル弾頭に付けられたカメラに切り替わる。
目標に近づき、次第に大きく表示される。
「命中……変です、ミサイルが起爆しません。信管作動していません!」
「近接信管のはずよ。ミサイルのデータリンクはどうなっているの!?」
「近接信管および、直接信管共に作動せず、原因不明。信号は届いています!」
ミサイルのカメラは、目標のすぐ手前で止まっている。細かく振動しているが、そこから動く気配がない。ミサイルのカメラには、表面に何もない巨大な箱状の漆黒の物体が映っている。
「自爆信号を送れ! 衝撃波で無力化出来るはずだ」
すぐさまミサイルが自爆する。サブモニターの画像がノイズとなった。
「CIC、観測出来るか」
「そ、それが……」
「どうした」
「ミサイルは自爆しましたが、ミサイルの破片は確認出来ません。目標は依然健在。くらまより入電。艦尾エンジンに照射レーザーを受けているそうです!」
すぐに頭を切り換えなくては。ミサイルでダメなら、方法は一つ……
「艦首上甲板スラスター一杯、艦尾艦底スラスター一杯。機関一杯。射線から出るんだ。後続の艦にも伝えろ。くらまに、レーザー砲の発射準備を指示! 我々が離れたら、すぐに発砲させろ!」
我々が後ろにいる限り、くらまはレーザー攻撃が出来ない。ミサイルの効果がない以上、レーザーで迎撃する以外にない。
すぐさま艦が下に動き出す。多少デブリに当たるかもしれないが、今はそれどころではない。
「衝撃ダンパー緊急展開用意しておけ。観測班、全天怠るな。火器管制、発射準備で待機!」
少しだけ疑似重力がかかるが、そんな事よりも標的の殲滅が最優先だ。機関一杯だとエンジンに負担をかけるが、今はそれどころではない。
「くらまの射線から外れました!」
「くらまに迎撃するよう伝えろ。機関後進微速。停止と同時に、くらまに速度を合わせろ」
メインモニターには、目標が映し出されている。瞬間、目標にレーザーが当たるのが分かった。
しかし、レーザーは目標に対して何ら効果を与えていない。それどころか、レーザーが目標の前面で、吸い込まれるように消えてしまう。
「目標は依然健在。光学でもダメージを与えていないのが確認出来ます」
吉村は冷静だ。なぜ冷静でいられる?
「射撃管制、目標を再捕捉しました。いつでも撃てます!」
化け物だ。レーザーの直撃を受けても、ダメージが与えられないなど、考えられない。
「くらまに通達。艦尾主砲で再度迎撃せよ。本艦も、上部二番及び両舷後尾主砲で迎撃。同時に、艦首ミサイル二番、三番発射。レーダー妨害開始!」
命令直後、十字でレーザーが目標に直撃する。しかし、それでも目標に変化は何ら無い。
「司令、艦長! 上甲板二番装甲及び一番砲塔にレーザー照準を受けています!」
「馬鹿な……」
思わずそう呟いたときだった。モニターに映っていた目標が、急にその場から消える。
「目標ロスト。現在索敵中」
CICのレーダー担当の報告が、まるで虚しく感じる。一体どこの衛星なのか。あり得ないことばかりが起きている。
最初はレーザー照射をした直後に消失。しかも爆発した訳でもなく、最初からそこになかったかのよう。その後はミサイルもレーザーも効果無し。しかも突然消えた。一体あれは何だったのだ……
「司令、どうされますか?」
吉村がCICから聞いてきた。どこか落ち着き払っている。同じ光景を見ていたはずだが。
「しばらく全天索敵を続けろ。艦隊、探索用マストを全て出せ。曳航マストもだ。艦隊を散開させ、全方位索敵。百二十分して変化無ければ、反転帰還する」
「テストは中止ですか?」
「当然だろう。この状況下でテストを行うのは危険が多い。上には今回の事を報告しなければならないな。副長、今までのデータを詳細にまとめておいてくれるか」
CICにいた吉村なら、もっと詳しく分かっているはずだ。
「了解しました。しかし、あれは何だったのでしょうか」
「私が聞きたいよ」
全く予定外もいい所だ。何と報告すればよいか考えるだけで、頭が痛くなる。
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