第一章 他人(ヒト)の造りしモノ(9)
二〇六二年七月 ラグランジュ四
宇宙ステーション『みちびき』 中央第二大会議室
同時刻、ラグランジュポイント四にある日本の宇宙ステーション『みちびき』で通路を走りながら会議室に向かう男がいる。
まだ四十代前半の彼だが、運動は得意ではない。なので、少し息が上がり始めている。もっと運動をしておけばと思うが、最近はそんな暇が無いほどに忙しい。ここは人工重力が働いている。無重力なら、こんなに疲れなかったかもと思ってしまう。
宇宙ステーション『みちびき』は、中心に巨大な円柱があり、その周囲を巨大な円筒が回転している。そのため輪の部分では、地球上とほぼ同じの疑似重力がある。俗に言うスタンフォード・トーラス型の宇宙ステーションだ。ただし開放型宇宙ステーションではないので、居住部分は完全に密閉された宇宙ステーションになっている。窓のある区画も僅かにあるが、そこには一般人は立ち入り出来ない。
窓にはいくら放射線防御策が施されているといえ、地上よりも放射線量は確実に多い。宇宙放射線については分かっていない事もある。一般の民間人を、安易にその様なところに近づけるべきではない。
『みちびき』もまだ完全に完成したわけでは無い。
最も重要な居住区画の第一エリアは完成したが、月や地球に物資を効率よく運ぶための施設はまだ未完成。二つ目と三つ目の居住区画となる円筒部分も、三割ほどしか完成していない。少なくとも居住出来る状況ではない。
しかし、今はそれよりも優先されて建造されている物があるらしい。
噂で聞いたに過ぎないが、宇宙艦隊が建造されていると聞いた。正直必要なのか今まで迷っていたが、今持っている書類の重要性を考えれば必要性が高くなったと思うだけに、どこか納得がいかない。
地球と月の共鳴軌道上には、アメリカがスペースステーションを建造したため、日本はトロヤ点のラグランジュ四を選択した。
最初はラグランジュポイント一と二の計画もあったが、重力の安定を考えれば、ラグランジュポイント一と二は候補から外さざるを得なかった。
本来なら、地球からの距離が近い位置を確保したかったが、それらの多くはすでにアメリカかロシアがステーションや衛星を配置しており、日本としては地球と月の共鳴軌道上は諦めるしかなかった。それにラグランジュポイント一と二には、塵や廃棄された衛星なども多く、建造場所として適さなかったというのもある。
今は、ラグランジュポイント五にヨーロッパ連合がステーションを建造中だ。ラグランジュポイント一には中国がステーションを建造する計画もあるが、こちらはまだはっきりとしていない。そもそも、中国の技術でどこまで建造出来るのか疑問もある。大体、大量の廃棄物をどう処理するのか謎だ。今でもラグランジュポイント一と二には廃棄された大型衛星が投棄されている。
廃棄される衛星は、事前にロボットや人の手により機密部分は除去される。なので残った部分は大半が旧世代の遺物のようなコンピュータと衛星そのものの外殻。ほとんどの物は軌道変更エンジンさえ除去される。文字通りのゴミでしかない。
ラグランジュポイント四にステーションを建設したことにより、地球からの物資輸送においては手間がかかってしまう結果となったが、こればかりは今さらどうしようもない。しかしほぼ月と地球の中間点に近いので、月へ行くのは申し分ない位置だ。
しかしながらラグランジュポイント四はトロヤ点であるが故に、同じくラグランジュポイント五と同じように軌道が安定して運用しやすいといった利点がある。
みちびきの大きさは円柱部分が直径五百メートル、回転している円筒に至っては直径二キロある。円柱と円筒の距離は千メートル。その円筒と円柱は当然約千メートルの回廊でいくつも繋がれていた。
以前に軌道エレベーターの計画があったが、結局の所実現しなかった。建設費用があまりに膨大すぎるのだ。年々能力が向上しているロケットの方が安上がり。単に物資を輸送するだけのロケットなら、一機当たり四十億円程。それで二十トン弱の貨物を軌道百キロの位置にまで輸送出来る。そこまで輸送したら、待機している運搬船が回収するだけだ。
男は『二層会議室五』のプレートのあるドアの前に来ると、一度深呼吸をする。プレートは銀色でアルミ製。しかし文字はシールだ。
乱れていた息が少しは整う。この区画は、一般人はおろか、ステーション管理部門でも入室が制限されている。それだけ大切であり、機密保持が重要な場所だ。
各種盗聴防止などはもちろん、セキュリティ関連においては厳重すぎて手間がかかりすぎる程の設備。ここに来る為だけに、セキュリティエリアを十五カ所、セキュリティチェックを人の手によるものと自動で三十以上受けなければならない。
これから話す内容は、私自身信じられなかった。しかし、事実は変えられない。変えられないからこそ恐怖もある。
その扉を開ける。さすがにここまで来ると、最後のセキュリティは静脈認証と指紋認証だけ。厳重なセキュリティを通過しているので、最低限で良いという判断らしい。装置に手を置けば同時に行われるので手間は一回で済む。中に入ると何人もが待っていた。多くは、政府関係者と自衛隊関係者がほとんどだ。
「お待たせいたしました。間違いなく惑星です。しかも、地球に酷似しております」
私が入室してすぐ発したその言葉に、それまで響めいていた会議室が静まる。まあ当然だとは思っていたが。
すぐに資料の一つをプロジェクター台に置く。観測した惑星の写真だ。紙ベースの書類はほとんど姿を消したが、それでも無くなったわけではない。特に大人数の前で即座にプロジェクター投影する場合などは今でもよく使用される。
周囲のざわめきがさらに広がる。その間にプロジェクターへパソコンを接続した。紙ベースの書類は基本説明する為の予備資料。周囲がプロジェクターで投影された写真を見ている隙に、パソコンからデータを呼び出せるようにしておく。急ぎでない時はパソコンを設置してからの説明でも良いが、今回は緊急を要する。まずは何が起きているのかを人目分かってもらう為にも、写真は一番都合が良い。
「こちらの映像を見て下さい。速度は早めております。自転速度は地球とほぼ同じです。正確な自転速度は現在計算中です。地軸は地球と異なりほぼ垂直です。地形こそ地球のそれとは異なっておりますが、陸地も海もあります。こちらの観測では、静止軌道上に人工物も多数見つける事が出来ました。明らかに、我々とは別の何者かがいると思われます。もちろん、知的かつ文明を持った生命体です」
「昨日までは、そこには何もなかったのだな?」
会議室の奥にいる一人が質問してくる。
石原航空将補で、噂されている航宙自衛隊の最有力幕僚長候補だ。現在は空自のナンバー二でもある。宇宙からの攻撃に備えて新設される自衛隊の新戦力は、まだ戦力こそともないらしいが、それでも将来を期待されている。
「はい。信じられませんが、昨日の日本時間一五時頃までは、そこには何らありませんでした。それは、定期レーダー観測と光学観測で間違いありません。また、我々の地球と同じように、月のような衛星も確認できます。我々の月よりも小型ですが、全部で三つ確認できております。詳細は現在確認中です。早ければ明日にも大まかな事はご説明出来るかと思います」
私の言葉に、会議室の全員が響めく。
「現在、レーダーと光学観測により、詳細を調査中です。しかし、今のところどのデータも、今まで無かった惑星の存在を裏付ける物と、知的生命体が存在する可能性が高い事ばかりです」
「地球の公転軌道の反対に、新たな惑星か……しかも、知的生命体のいる可能性が高いとなれば、事はただ事では済まない。アメリカや他国は、もう観測していると思うか?」
政府関係者の一人から質問。私に注目が集まる。
「各国への確認については、正式にはまだ行っておりません。ですがアメリカはおそらく分かっていると思われます。他の国はまだ何とも言えません。しかし、気が付くのも時間の問題かと……」
奥にいた者が手を挙げる。座っている位置からして、自衛隊関係者。
「可能性としてだが、我々に接触してくると思うか?」
「状況からして間違いないと思われます。しかし、技術の面では彼らが上の可能性が高いとしか言えません。何せ、惑星ごとその存在を隠してきたとすると、我々よりも遙かに高い技術を持っているとしか考えられません。本来あるはずの、惑星の重力の影響すら隠していたのですから、我々には想像も出来ない技術です。そもそも、地球公転軌道の反対側に惑星があるなど、否定されていたはずです」
「では今の我々で、彼らが侵攻してきたとして、対処できると思うか?」
「石原将補、それを私に答えさせるのですか? 答えは既に出ていると私は思いますが?」
私の言葉に、石原将補は黙る。軍人としては当然な質問だと思うし、当然の反応だろう。
「鈴木君、とにかく今は観測を続けたまえ。我々は、引き続き対応策を考える。何か分かったら、すぐに知らせて欲しい」
奥にいた責任者にそう言われると、私は一礼をして会議室を後にした。
これからしばらくは、この会議室を往復する事になりそうだ。
約束していた妻の誕生日には、とてもではないが戻れそうもない。あとで色々面倒になるかもしれないと思うと、思わずため息もでる。せめて、ここでしか売っていない土産物でも先に送っておくのが良いかもしれない。
しかし、それ以上にこの発見は一大事だ。それくらいは分かっているつもりだ。
そもそも、惑星の存在自体隠すなど、どう考えても不可能に思える。昔の観測や計算では、地球公転軌道には他の惑星がないと証明されたはず。しかし、重力場の観測を行ったところ、明らかに惑星の存在を示している。理解できないことばかりだ。
とにかく、今は観測室に戻るしかないだろう。
一体これから何が始まるのか。嫌な予感しかしなかった。