初恋
●第二部:Lent et triste
13 初恋
わたしは地味で恥ずかしがり屋で、駄目な女の子だった。存在感がないって言われるどころか、そんな言葉すらかけられないくらい存在感の薄いタイプだったと思う。特に、やりたいことも見つからず、習い事も長続きした試しがない。打ち込めることなんて当然無い。そんなダメダメな女の子。そんな私を見かねた親友の城戸彩が誘ってくれて入部した文芸部も、結局、すぐ辞めてしまった。
彩とは、本がきっかけで知り合った。中等部一年の時、初めて声をかけてくれたのが彩だった。うまく周りに馴染めず、孤独だったわたしに、彩は、
「その小説、面白いよね。あたしもその小説、好きなんだ。」
と、話しかけてくれた。わたしは、突然話しかけられて、びっくりして、なかなかうまく受け答えができなかったけど、彩は、わたしのペースに合わせてくれて、わたしは、なんとか会話をする事ができた。もう、こんな極端な恥ずかしがり屋な性格なんて、どっかに言ってしまえばいいのにって、いっつも思っているけれども、なかなか変わることができない。
でも、わたしに話しかけてくれた彩は、〈それでもいい〉と言ってくれたみたいで、自分自身を肯定された気分になって、とっても嬉しかった。でも、わたしは、自分の恥ずかしがり屋な性格や、打ち込めるものがないということをコンプレックスとして抱えていた。そのことを彩に打ち明けると、彩はわたしが変わるきっかけになれば………と考えて、文芸部に誘ってくれたのだ。
そんな、彩が誘ってくれた文芸部を辞めるのは結構申し訳無かった。折角、わたしの現状を見かねて、変わるきっかけを与えてくれたのに………。彩に、わたしを文芸部に誘ってくれた理由を尋ねると、自分自身が所属している部活というのもあるけれども、いつもわたしが本を読んでいるから、そういうのがいいかなあといった感覚だったそうだ。
でも、わたしにとって、本は、外の世界と自分の世界の間に立てる壁の役割が主だったので、自分自身で、何かを創作するっていうのはなかなか考えられなかった。小説の世界に埋没することで、自分自身を保っていたと思う。文芸部では、課題があって、部長が出すテーマを元に、掌編小説を書くという課題があったのだけども、わたしはさっぱり書けなかった。なんとか書いたはいいものの、どうにもおもしろみがない。どこからか借りてきたようなものしか書けなかった。これは自分の人生の中で、習い事が長続きせず、何かに打ち込むことがなかったわたし自身の人生経験の薄っぺらさが露呈したのだと思う。
小説の創作をすることで、そういう、自分の嫌な部分をまざまざと見せつけられる事態に陥ってしまい、わたしはとても辛くなってしまったので、文芸部を辞めることにしたのだ。
結局、わたしは何も変わることができなかった。
そんなダメダメな女の子のわたしにも、好きな人ができた。羽多野塔也くんだ。塔也くんとは中等部二年の時に同じクラスになった。そして、同じ図書委員になった。とはいえ、うちの学園には独立した図書委員会があって、クラス委員は名前だけでほとんど仕事がない役職だった。なので、特に塔也くんと一緒に、クラスの図書委員の仕事をすることは殆どなかった。
けれど、陸上部で活躍する塔也くんを遠くからずっと眺めていている内に、わたしは、塔也くんに惹かれていった。もしかしたら、一目惚れってやつだったのかもしれない。これって、運命?やだ、恥ずかしい。でもちょっと嬉しい。こういうのも悪くはないかな?わたしも女子だし。地味で普通だったわたしの人生にもこんなに華やかな気持ちになれるイベントが有るなんて。
とはいえ、何事も長続きしないのがわたしの性格だ。こんな恋心も一過性のものなのかもしれない。この感情も時間が経つに連れどんどん冷めていってしまうのかな?なんて悲しいことも考えてた。好きという感情は、わたしにとって、あまりにも簡単に、早く消え去ってしまうものなのだ。習い事が長続きしなかったのもそういう面がわたしの性格にあるからなのだと思う。ずっと、変えたいなとおもっていても変わらないこの性格はどうしたら治るんだろう?変われるんだろう?ずっとそう思って生きてきた。
そんな私にも唯一、ずっと好きなものがある。それは、ピアノを弾くことだ。と、いっても、習い事としてのピアノはやっぱり長続きしなくて辞めてしまったのだけど。わたしの家にはピアノがなかった。さすがに、既に辞めてしまった習い事であるピアノを親にお願いして何とか買ってもらうのは難しい。電子ピアノだってそこそこするものなのだし。
なのでわたしは、学園のピアノを何とか弾けないかと考えるようになった。とはいえ、放課後の音楽室は吹奏楽部や軽音楽部が使っている。音楽室が複数あるとはいえ、空いている音楽室はなかったのだ。
でも、わたしは空いている音楽室のありかを見つけた。入学時のオリエンテーションで回った旧校舎にある音楽室だ。わたしは、早速、音楽の先生に頼み込み、いろいろと、小間使いを頼まれることを条件にして、旧校舎の音楽室の鍵を手に入れた。そして、わたしの放課後は旧校舎でピアノを弾くことが日常になっていった。
もともと、一人が好きだっていうのもある。いや、友達付き合いというのが苦手だというのが本音だ。わたしはやっぱり地味で恥ずかしがり屋で、なかなか友達ができないタイプの人間だ。彩は別だけれども。とはいえ、中等部二年になってからは別のクラスになってしまって、わたしは昼休みになると、しょっちゅう彩のクラスまで行ってお弁当を食べていた。友達と言える人は、彩くらいしか居なかったのだ。そんなわたしを癒してくれたのがピアノだったのだ。
ピアノを弾いている時はとてもリラックスできる。誰の目も気にせず、好きに、自由に弾いて楽しんでいられる。今思えば、ピアノを弾くことは、教室にいるときに本を読むことで、孤独を紛らわしているのと同じ行為だったんじゃあないかなあ。
学園に居場所がなかったわたしにとって、旧校舎の音楽室は唯一の居場所になった。終礼が終わり、放課後の時間が始まる。わたしは早足で教室から離脱し、旧校舎に向かう。旧校舎の扉を開け、旧校舎の階段を昇る。三階にその部屋はある。鍵を鍵穴に差し込み、引き戸を開け放る。誰もいない、一人だけの空間。窓を開け放ち、風を入れる。カーテンが揺れる。わたしはピアノの天蓋を開け、ゆっくりと椅子を引き座る。鍵盤の蓋をあける。黒と白の鍵盤が現れる。ドレミファソラシドと両手でオクターブ違いのユニゾンで弾く。少しバイエルなどを弾いて、指慣らしをしたあと、わたしは色々な曲を弾いた。いろいろな曲といっても、たくさん弾けるわけではないけれども。
お気に入りの曲は、エリック・サティ作曲の〈ジムノペディ〉だった。わたしは、他人が聴いたら飽きるんじゃあないか?というほど、繰り返し、ジムノペディを弾いていた。
エリック・サティの音楽は、〈家具の音楽〉と聞いた。ジムノペディそれ自体に冠せられるものではなく、別作品なのだけど、エリック・サティの音楽思想・哲学として捉えられることもあるそうだ。その上で、〈家具の音楽〉とは、〈家具のように、そこにあっても意識されない音楽〉を指すそうだ。ただそこにあるだけで、何の邪魔にもならない、日常の一部として溶け込んでいる音楽。
まるで、いつものわたし自身を指しているような気がした。わたしはクラスでは空気も同然なのだ。特に特定の誰かと騒ぐわけでもなく、かといってずっと黙っているわけでもなく、浮いているわけでもなく、いじめられることもなく、ただ、七瀬未果という人間が居るということだけが認識されている状態にとても似通っている。そういうのもあって、わたしは、ジムノペディにシンパシーを感じていて、ずっと弾き続けていたのかもしれない。ずっとずっと、飽きることもなく、ずっとずっと。
旧校舎は、上から見るとロの字型になっていて、中庭がある。そこの木々と花々は、よく手入れされていて、とても綺麗。特に、秋頃は紅葉がとても綺麗なので、わたしはピアノを弾く前によく中庭を眺めていた。
ある日、いつものように中庭を眺めていると、人影が見えた。誰だろう?こんな旧校舎に来る人なんて滅多に居ないのに。なんて思いながらよく見てみると、その人影は、私の好きな人。羽多野塔也くんだった。わたしはびっくりして、思わず身を隠した。心臓がバクバク鳴っている。こんな場所で、自分の安寧の場所でわたしの好きな人に遭遇するなんて。
そっと、向こうから見えない様に気をつけながら覗いてみる。と、塔也くんは、軽くストレッチを始め、その後、中庭を走り始めた。いつもなら、塔也くんは陸上部の練習にでているのになんで?ってわたしは思った。そこで、塔也くんのことを彩に聞いてみると、どうも、陸上部を休部しているらしい。膝を故障したからだそうだ。コーチからはしっかり休養を取るようにと言われているらしいのだけど、塔也くんは、こっそり自主練をしているとのことだった。なるほど。だから人気のない旧校舎を選んだのか。わたしは納得した。でも少し、心がざわついた。
彼の陸上に対する情熱の凄さにわたしは圧倒されたのだ。
もし、私が塔也くんの立場だったら、コーチの言うとおりに休養するか、故障でくじけてしまって、それを理由にして陸上部をやめてしまっていると思う。でも塔也くんは違う。辞めるなんて選択肢はなくて、そして、休むなんていう選択肢もなくて、必死に、自主練をして自分自身を鼓舞しているように見えた。彩は、「あんなの単に無理してるだけよ。つまらない意地だよ」って言ったけれども、わたしには塔也くんの陸上に対する姿勢がとてもまぶしく見えた。
こういった一つの物事に打ち込む姿勢は、わたしにはないものだ。わたしは、塔也くんにますます惹かれていった。自分にはない何か、ある一つのことに打ち込める情熱というのを感じて。
毎日、放課後、私は旧校舎の音楽室から、自主練に熱心に取り組む塔也くんを見ていた。彼の姿を見ると胸は高鳴り、顔がかあっと暑くなるのを感じた。彩にこの感情を相談すると、それはやっぱり〈恋〉だと言った。そうか、わたし、やっぱり塔也くんのことがすごく好きなんだな。彼にどんどん惹かれているんだなと、彩に言われてようやくこの感情が〈恋〉だと認識した。
わたしの、塔也くんに対する感情が〈恋〉だと再認識したところで、わたしは恥ずかしくてたまらなくなった。いや、何も恥じることはないんだけれど。やっぱり生来の恥ずかしがり屋気質が邪魔をして、告白なんて大逸れたことはできなくって。そうしている内に、時間は流れ、わたしは中等部三年生になっていた。
中等部三年生に進学してから、塔也くんは、旧校舎に全く来なくなった。わたしは気になって仕方がなくて、毎日、毎日放課後に中庭を覗いてみたけど、一向に現れる気配はなかった。膝の故障が治って、陸上部に復帰したのかな?そう思って、彩に聞いてみると、塔也くんは陸上部を辞めてしまったらしい。どうやらコーチと大喧嘩をしたのが原因らしいけど………。そうなんだ………。怪我が原因なのかな?あんなに頑張ってたのに辞めてしまったのか………。わたしは、自分でもびっくりするくらい、そのことに対してショックを受けていた。
わたし、とてもがっかりしている。自分のことじゃあ無いのに。他人ごとに思えない。やっぱりわたし、彼のことが好きで、彼の一挙手一投足が気になって仕方ないのかな?
これで、もう、塔也くんとの接点はなくなっちゃったな。もう彼が旧校舎に来ることもないんだろうなあと思っていると、彩から、とんでもないことを聞いた。彩は、文芸部の顧問の先生から旧校舎の蔵書の整理作業を頼まれていて、その作業に塔也くんを引き込んだそうだ。
その塔也くんが作業をする図書準備室は、わたしの居る音楽室の隣の教室だった。わたしはすぐとなりの教室に塔也くんがいると思うと、心臓がバクバクして仕方がなかった。心を落ち着かせるために、ジムノペディを弾いてはみたけれども、普段よりテンポが早かったように思える。
放課後。旧校舎。わたしがジムノペディを弾き、塔也くんが蔵書を整理する。壁一枚隔てた距離で。そんな日がしばらく続いた。と、ある時、口笛が聞こえてきた。 ジムノペディのメロディだった。耳を澄ます。隣の図書準備室からだ。つまり、塔也くんが口笛を吹いている。わたしの好きな曲を塔也くんが口ずさんでいてくれる。とても嬉しく思った。
塔也くんの口笛によるジムノペディは、同じメロディをずっと繰り返している。時間を開けず、断続的にずっと吹き続けている。それも、こちらに向かって呼びかけるように吹いている様に感じた。
ふと、わたしは、塔也くんの考えている事がわかったような気がした。きっと、彼はこういうことがしたいんだ。直感的にそう思って、わたしは、塔也くんの口笛に合わせて、ピアノで伴奏を当ててみた。すると、塔也くんの口笛の音は大きくなり、私の伴奏にあわせて、違うメロディも吹くようになっていった。
しばらく、こんな日々が続いた。塔也くんが口笛を吹き始める。同じメロディの繰り返しだ。そしてわたしが伴奏をする。すると、塔也くんがメロディを繰り返すのを辞め、先に進む。私も伴奏を先に進めて合奏する。そんな日々が続いた。わたしはとても幸せだった。面と向かっては、未だに塔也くんとは話せないけれども、こうして、間接的に塔也くんと一緒に合奏をできる。それはとても心地よくて幸せだった。ずっと、こんな関係が続けばいいなあとなんて思ってた。
ある日、塔也くんに窓越しに声をかけられた。わたしはびっくりして、動けなかった。え?どうしよう?返事?いや、恥ずかしくてできないよ。どうしよう………。と考えていると、ガラッと扉が開く音がした。そして、音楽室の扉がガタガタと鳴った。
わたしは、音楽室の内鍵をかけていた。一人っきりの空間に居たかったから。それが功を奏したみたいだ。よかった………。いきなり顔を合わせてしゃべるなんて、わたし、できないよ。
音楽室の扉はまだガタガタいっている。どうしよう………。返事は恥ずかしくてできないし………声で誰だかバレたら困るし………。って、そんなに会話したこともないんだけども。そうだ。と、わたしは思い立って、鞄の中からルーズリーフを一枚出して、『お返事できなくてごめんなさい。』と書いて扉の隙間から差し出した。半分までつきだしたルーズリーフは、ゆっくりと塔也くんが引きぬいた。ルーズリーフ越しに、わたしと塔也くんはつながった。ちょっと嬉しかった。
そのあと、わたしは、続けて、自分自身が筆談をしなければいけない理由を書いて差し出した。自分がとっても恥ずかしがり屋だってこと。そして顔を見られるのも声を聞かれるのも恥ずかしくてこういう形でしかコミュニケーションをとれないということを。
わたしは、きっと、変な子だと思われるだろうなあと思った。自分でも、こんな人間がいたら変だと思う。でも塔也くんは、扉越しに、
「そうかあ、じゃあ仕方ないね。でも、君との合奏は楽しみで仕方ないんだ。僕の仕事はもうすぐ終わっちゃうけども、それまで、たまにまた、合奏してくれるかなあ?」
と言ってくれた。自分自身のあり方肯定された気がして、すっごく嬉しかった。わたしは、急いでルーズリーフに『よろしくお願いします!』と書いて、塔也くんに差し出した。
こうして、塔也くんは、わたしのことを知らないまま、ジムノペディを一緒に合奏するという関係を了承してくれた。そして、この関係は、変わることなく、日々は過ぎていった。
中等部からの卒業が近づいてきた頃、彩がわたしに提案をしてきた。それは、
〈高等部に入学したら一緒に、好きな人に告白しよう〉
というものだった。わたしはびっくりして、とても恥ずかしくなって、思わず両手で頬を覆った。顔が真っ赤だったと思う。突然そんなことを言い出すなんて。
彩に、尋ねると、彩には昔からの幼なじみである三木良太くんという人が居て、その人に告白したいという。でも、幼なじみという関係から一歩踏み出すにはちょっと勇気がいるから、わたしと一緒に好きな人に告白する。という約束をすることで、自分を奮い立たせたいとの事だった。
彩はこう言ったけれども、本当は、わたしと約束なんてしなくても、彩は一人でちゃんと告白できる子だと思う。きっと、わたしと塔也くんの遅々として進まない関係を見て、やきもきして仕方がなくて、わたしに発破をかけるためというのが本音なのかなあと思った。
実際、そうなんじゃあないの?とイタズラっぽく聞いてみると、彩は、
「………バレたか。まあ、でも、実際、ミカとトウヤの関係を見てたらさ、幼なじみのリョウタとあたしの関係 変わり映えがないってことね と重なるところがあってさ。で、同じ境遇なら一緒のタイミングで告白イベントってことにしてしまえば、あたしもミカも後には引けなくなって、覚悟を決められるかな?なんて思ったの。」
と言った。
変わり映えしない関係かあ………。そういう意味では似通っている部分もあるかもだけど、幼なじみとしてやりとりのある彩と三木くんの場合と、わたしと塔也くんのケースでは大分違う気もするなあ………。なんて思ったけども、彩が勇気を出すって言ってるんだから、わたしも覚悟を決めて勇気を出して一歩進まないとなあと思って、わたしは、彩の提案に乗ることにした。
こうして、わたし達は〈高等部に入学したら一緒に好きな人に告白する〉という約束をした。そして、中等部の卒業式の日はあっという間に来て、わたし達は、その約束を確認し合った後それぞれの帰路につくために別れた。
それが、わたしが〈七瀬未果〉として彩と過ごした最後の時間だった。




