その二
もう少し厨房を見ていたい、と渋る少女をどうにか外へと連れ出し、今二人は、放牧場を取り囲む柵に並んで腰掛けていた。
柵はラキの胸の高さまである。先によじ登って腰を落ち着けたのは、少女の方だった。お行儀がよいとはとても言えないが、地べたに座らせるわけにもいかず、ラキも黙ってそれに倣った。見た目と違ってなかなか活発な少女なのだ。
柵沿いの道の先、木立の間から、先程までいた厨房の一部が見えている。このあたりまでなら外にいても大丈夫だろう、とラキは思った。
もっぱら少女が何かを尋ね、ラキがそれに答える、という形で会話は途切れる事なく続いた。日差しは強かったが、背後にはよく枝を伸ばした樹木がそびえ、大きな影がすっぽりと二人を覆っている。時折、心地よい風も吹いた。
「まあ、木の実も多いですし、薬草も採れますから。そんなに不自由じゃなかったですよ。知識は必要ですけど」
「知識?」
「薬草だけでなく、毒草もあるので。それに、獣が出す警告も見分けられないと、森の中は歩けません」
「警告って、どんなものなの?」
「そーですね…熊なら、爪の跡とか、背中をこすりつけた跡とかです。あと足跡とか」
「ラキは、そういう跡を見ただけで、何の獣か分かるの?」
「まー、大体は」
すごいわねぇ、と少女はしきりに感心している。先程からずっとこの調子なので、ラキとしてもそう悪い気はしないのだが、同時に多少気まずくもあった。
なにしろ、昨日の今日だ。
「…ねえ、ラキ?」
「はい?」
「ラキはずっと森で暮らしていたのよね?」
「はい」
確か今年で十四才になるはずのこの少女は、ラキよりもずっと小柄だ。同じ柵の上にいながらも、ラキの顔を見上げるようにして、不思議そうに問いかけた。
「どうして城へ来たの?」
言ってすぐに、言葉が足りないと思ったらしく、付け加えた。
「お義母様の供で、ここへ来た事は知っているわ。でも、ラキは森での暮らしを楽しそうに話すのに…何故、森を出たの?」
予想外の質問だった。
確かに--森にいた頃は楽しかった。今もこうして語っていると、懐かしさが込み上げてくる。
「森は……好きですよ。今でも」
視線を少女からはずし、前を向く。しばし、放牧場を眺めた。
遠くでのんびりと、馬が草を食べていた。
「父が死にまして」
小さく息を呑む気配がした。ちらりと隣を見ると、少女は沈痛な表情で俯いている。--別に気にしなくてもいいのに。
「そのあとすぐに王妃様に拾われて--ご結婚なさる前なんで、王女様ですか。まー、色々とよくしていただいて」
話しながらも少女の様子を窺うが、なかなか顔を上げてくれない。これでは逆に、少女の方が気の毒に見える。
ラキは重い空気を追い払うように、勢いよく柵から飛び降りた。
「…で、輿入れ先にもついて来て、こうして居座ってます。お給金も結構いいですし、猟師をしていた頃より暮らしは向上しているかと。王妃様万歳、です」
そこでようやく少女が顔を上げた。口を開きかけ--何かを話すよりも先に、ラキはその足元を指差す。
「白詰草が咲いてますね」
「えっ」
少女は目をぱちくりとさせ、ラキの指の先--自分が腰かけている柵の下へと視線を落とした。さっきまで下を向いていたのに、さっぱり目に映っていなかったようだ。
その小さな白い花に気づくと、
「まあ…本当ね」
ふわりと、可憐な微笑みを浮かべた。よし、と内心でラキは頷く。
たいした事でもないのに、失言だったと気にされてはこちらが困る。このまま話を逸らしてしまおうと、ラキもにっこりと笑ってみせ、
「知ってます?この草は土を肥やすんです」
白詰草の豆知識を披露する事にした。
「土を、肥やす?」
「土の栄養が増えるんです。だから、白詰草の周辺にはほかの草もよく生える。その草を食べて、馬も丈夫になる。…いい馬ですね、あれ」
「お父様の馬よ」
「あれ呼ばわりはまずかったですか」
そんな事はないわ、とくすくす少女は笑った。