その一
王城北棟の厨房、下働きの女達が昼食の準備に取りかかっていた。
王とその家族の食事ではない。彼等の食事は別の厨房で、専属の料理人達の手によって作られる。最上級の食材をもって。
彼女達が作っているのは、同じ下働きの食事だ。内容こそ簡単なものだが量は多い。
その女達の中に混じって、ラキは食材の下拵えを手伝っていた。
首を切られた、丸々と太った鶏の体を逆さに持つ。血抜きされているため思ったほど生臭くはない。それを桶に張った湯にひたしながら、手早く羽をむしっていく。
鶏は城の家畜ではなく、下働きの一人が差し入れとして持ってきたものだった。
「ああ、今日はいい日だ。久しぶりに肉が食べれる」
「このところは干し肉の切れっぱしだったからねぇ」
それぞれが野菜を切ったり、芋の皮を剥いたりしながら、女達が嬉しげに声を弾ませていた。おしゃべりこそ多いものの、彼女達の手が休まる事はなく、手際よく食材が刻まれていく。
その中でも年嵩の女が振り返り、
「ラキ、さばくのまで全部、任せて大丈夫かい?」
「いーですよ」
ちょうど最後の一羽を丸裸にした所だったラキはうなずいた。
「流石は猟師をしていただけあって、あんたは肉の扱いが手慣れたもんだからね」
頼りになるよ、と女--ナージャは言う。すると周りの女達も同調し、
「そうそう、そこいらの男衆より役立つよ」
「この間は蜂の巣も片付けてくれたし」
「若いのにえらいよね」
「ウチの子もお前さんみたいだったらねぇ」
「厩舎のじいさんから聞いたけど、猟師の腕も悪くないんだろ?」
「あらそうなの?」
「そんなら是非ともその腕前を見せてもらわなくちゃ」
「そうだねぇ、アタシらのために、鹿でも一頭狩ってきとくれよ」
「そりゃあいい!」
「…ほめといて魂胆それですか」
ラキは呆れかえった。妙によくほめると思ったら、そう来るか。
「なんならウサギでもいいよ」
「わたしは綺麗な毛皮が欲しいわー」
「それならアタシは…」
話は盛り上がり、女達は次々と勝手な事を言い始める。
ラキが狩りに出る事はすでに決定事項らしく、放っておくと際限なしに要求が増えていきそうな気配だった。
仕方なしに、
「まあ、鹿でもイノシシでも熊でも、見かけたらとっ捕まえておきます」
などと適当に言ってみたのだが、その言葉に反応したのは下働きの女達ではなかった。
全くの逆方向から、声は聞こえた。
「…熊?熊が出るの?」
柔らかな、それでいてどこか無邪気さを感じさせる少女の声だった。驚いた全員が、厨房の入口へと顔を向ける。
「姫様!」
大きな明るい緑の眼が、厨房の中を興味津々にのぞいていた。ふっくらとした頬にほっそりとした顎、ついさっき言葉を発したのは、その桃色の唇だろう。
濃い栗色の髪をそのまま背にたらした、可憐な容貌の少女がそこに立っていた。
皆が慌てて平伏しかけたが、少女が止める。
「ああ、ごめんなさい。邪魔をするつもりはなかったの。そのままでいいわ」
「ですが姫様」
困惑する女達にはかまわず、少女は厨房の中へと入って来る。興味深そうに調理台や食材を見て回りながら、話の再開をうながした。
「それよりも、熊の話よ。ねえ、ラキ、熊を見た事があるの?」
名指しされてしまったラキは、ひとまず鶏を台に置いた。包丁を握りながら答えるわけにもいかないので、作業は中断するしかない。
「えーと、子供の頃になら、森で何度か」
「まあ…怖くはなかった?」
「見たのは遠くからなので」
本人に邪魔をする気はなくとも、女達の手は、今完全に止まっていた。皆、困った様子で少女とラキのやり取りを聞いている。
はっきり言ってしまえば、そこにいるだけで十分邪魔になっていた。
ラキがナージャへと目をやると、仕方がない、といった表情で相手はうなずいた。
「あー、姫様」
少女は可愛らしく小首を傾げた。
「今日は天気もよろしいので、外、行きませんか?」