始まり
頑張ります…多分。
南向きの全面が窓になった部屋の外は、色とりどりの花が咲き乱れていた。
小さいながらも、よく手入れの行き届いた庭である。この離宮を利用する事などそうないだろうに、いつでも万全に整えられているのは流石だった。
「よく来ました、ラキ」
サラサラと衣擦れの音と共に、その女性は姿を現した。
美しく結い上げられた黒髪、卵型の小さな顔。少々気の強そうなきらいはあるものの、整った秀麗な顔立ち。豪奢なえんじ色のドレスは彼女の白肌に映え、存分にその美貌を引き立てている。
シェルナン国王妃ユゼリカ。
こうして直に会うのは、彼女の輿入れに付き添って以来、一年ぶりになるだろうか。
以前の少女めいた面影は消え、王妃としての威厳がその美しさに深みを与えていた。
「どーも、お久しぶりです」
平伏するでもなければ、膝をつく事すらもせず、突っ立ったまま、ラキは適当な会釈を返した。普通ならば許されるような態度ではない。
だが王妃はおかしそうに赤い唇の端を吊り上げ、
「相変わらずね、あなたは」
それだけで済ました。
供の者はいない。いればそちらがラキを咎めていただろう。もしくは逆に、人払いしているからこその、ラキのこの態度だともいえる。
部屋の中には長椅子があったが、王妃は座ろうとはしなかった。窓へと近寄り、庭を眺める。当然、ラキも立ったまま、その王妃の行動を見守った。
天気は非常によかった。水を撒いたのか、花々は露できらめいている。穏やかな初夏の風景だ。
だが--ラキは視線を室内へと巡らせた。換気はしてあるようだったが、これほどの快晴でありながら、窓がひとつとして開いていない。
それにラキがここへ来るまでの間、そしてここで王妃を待っている間、部屋の中はともかく、庭にさえ--庭師なり衛兵なり、その姿を見かける事はなかった。
これらの事をラキはたまたまだとは考えなかった。
窓が閉まっているのは、声が外に漏れないように。
人の姿を見かけなかったのは、徹底的に人払いをしたうえで、王妃がラキを呼び出したからだろう。
問題はその呼び出した理由なのだが、あまりいい予感はしなかった。
王妃の沈黙は長かった。
そのまま黙っててほしい--ラキはこっそり思った。しかし願いはかなわなかった。
ぽつりと王妃が言った。
「…白い花が目障りなのです」
唐突だったため、思わず庭へと目を向けてしまった。白い花はいくつか咲いていたが、「目障り」なのは別のものなのだと直感した。
王妃が振り向く。逆光になり、ラキはわずかに目を細めた。
王妃の表情はよく見えなかった。
「ラキ、あなたに命じます」
ひどく静かな声音だった。
「王女リリア・トーラス・シェルナンを」
一片の迷いも感じさせない声で、王妃はその命令を告げた。
「--殺しなさい」
王妃を部屋に残し、ラキは退室した。
人気のない廊下を歩き、衛兵のいない扉をくぐる。ここはあらかじめ指定されていた通用口だった。
外に出る。
高くなった日差しが視界を白く灼いた。足元にはくっきりと黒い影。
その影の中から、囁くようないくつもの声が響いた。
「…いやはや、恐ろしいおなごよのう」
「ほんっと、とんでもない事、言うわよねえ」
ラキは足を止め、周囲を見回した。
使用人の出入り口なので、こちらには花のたぐいは見当たらない。ただ綺麗に刈り込まれた生け垣だけが連なっている。 ここにもやはり、人の姿はない。
「よくある話ですよ」
「そーか?」
「わかんなーい」
「…ム」
「それで?どうする気だ、お前は」
それらの小さな声に、ラキはただ一言、
「うるさい」
ぱたりと声が途絶える。
ラキはまた歩きだした。