「心配だね」
雨夜が好きで雨夜の一番になりたい女の子、小坂井さんの一人称スタートです!
せつなこと、小坂井せつなはいじめられています。過去形ではなく、現在進行形で、いじめられています。
事の発端はありません。ただ単に普通に、一人ぼっちでいた所を目をつけられただけ。
学校という一つの組織では、一人でいることが悪とされるみたい。せつなみたいに、コミュニケーションが苦手な人もいるのに。
学校が、社会に出る前に、コミュニケーション能力を手に入れて、人間関係構築の練習の場だと考えれば、確かにせつなの存在は異端かもしれません。
でも、たかが高校です。
ここでの交友関係がいつまでも続くわけないし、クラスが分かれただけで、人は話さなくなっちゃうものです。
『私たちいつまでも友達だからね』略してずっ友が完遂されたことはないのに。
他人に合わせて、無理してまで、友達なんていらない。自分を押し殺してまで、つくりたいものではないのです。
一人でも良いじゃないですか。一匹狼、カッコいいじゃないですか。
……一匹狼って本当はそんなにカッコいい訳じゃないんだね。テレビで事実を聞いて、虚しくなった。
ともあれ……ともあれの使い方はこれであってるのかな?
閑話休題。
せつなをいじめてる、いじめっ子の名前は首藤小凪。
親は十人議会という、外でいう国会のようなもののメンバーで、外の世界でかなりの権力を持つ人で、娘のために十人議会に入ったと噂されるぐらい親バカで、娘を甘やかしています。
そんなバックを持っている彼女が相手だからか、誰もイジメを止めようとはしません。誰もかもが、我が身が大事なのです。
当たり前です、自分より大事なものがある人なんて、いるわけないのですから。
この十人議会。十人と住人をかけているんじゃないかと思っているんですが、真意はどうなのでしょう。
あ、また話がそれてしまった。いけないいけない。話を戻しましょう。
つまり、まあ。せつなは首藤小凪と、その仲間達にいじめられています。
***
転機は最近起こりました。
今日もまたいつも通り、髪を引っ張られたり、トイレの床を舐める羽目になったり、荷物をぐっちゃぐちゃに引き裂かれたり、燃やされたり色々ありましたけど、これを話すと色々ナイーブなので、割愛。
そんな日の、今日はなんだか大人しげだなと、麻痺した脳でそんなことを考えていた昼休憩。
人気の少ない廊下に髪の毛を引っ張られながら連れ込まれたせつなは、首藤とその仲間たちに囲まれています。
頭皮が引っ張られたせいで痛い、今度髪を切ろうかなとか考えていると、もう一人の仲間がバケツを持ってやってきました。
首藤はそれを受け取ると予備動作も説明もなく、バケツの中身をせつなにかけてきます。
中身は汚水だったようで生臭い臭いが鼻孔を侵してきます。口の中に入ってきたのを吐き出しながら、せつなはまたこうなるのか。と達観していました。
そりゃ最初は泣きわめきましたし、先生にも相談しましたし、逃げようと躍起になりました。
しかし先生は注意をするだけで、解決しようとは微塵も思ってませんでしたし、逃げようとしたり泣きわめいたりするのを、彼女たちは楽しんでいるのです。
だったら、この状況を受け入れるしかないじゃないですか。
泣きわめかず、逃げず、受け入れて終わるのを待つ。飽きられるのを待つしかありません。
最低な選択肢だということは分かってはいます。けど、これが一番、楽なのです。対抗するのもバカげてますし、死ぬのもアホらしい。
「…………」
涙が溢れそうになりますが、唇を噛んでぐっと我慢します。
そんな時。
彼は突然現れました。
「……あんたなに、なんか用?」
「いや別に。食堂に向かおうとしたら、お前等がワイワイやってんの見つけちゃってさー」
そんな話が頭上で繰り広げられていることに気づいたのは、涙をぐっと呑み込んだときでした。
なにごとかと、頭を上げます。
首藤が向いている方向を見ると、男の子が立っていました。
身長は高い方で、身体は痩せこけていて、不自然に手足の長い針金細工のような男子です。
色素の抜けた薄い黒髪の上にはアホ毛が立ってます。肌は白いというか青白く、不健康そのもの。黒く濁った目の下にははっきりとクマがある。
あ、雨夜くんだ。
そこまで見てようやく気づきました。隣の席の雨夜維月くん。
中学の時からの同級生で、中学の時はどうしてか感情を表にださず、人と話すことがなかった彼ですが、高校デビューでも企んでるのか、今はちゃんと笑うしちゃんと泣くしちゃんと怒るしちゃんと呆れるしちゃんと楽しんでいます。
しかしその実、それ全てが嘘のように見える。過剰過ぎて、キャラを演じすぎて、本気に見えない。
どこか演出過多のきらいがあって、生きていることがわざとらしい。
死んではいないだけの人。
そんな不安定感がある人です。
「なに、イジメはダメだよー。とか良い子ぶっちゃうつもり? 私達は遊んでいるだけなんだけど?」
腰に手を当てて、嫌みったらしい笑みを浮かべながら首藤はそう言います。
これがどうみたら遊びに見えるのか分かりませんけど。
「ひひひ、そんな事言わねーよ」
と、彼も彼で中々卑屈な笑みを浮かべます。張り付いたような笑みを、浮かべてます。
「お前等が暴行罪や傷害罪や侮辱罪で、十五年ぐらい牢屋に入ったって、僕には関係ないし、そいつがイジメが苦で自殺したって僕には関係ない。本人の自由だ」
好きなだけすりゃーいいじゃん。飽きるまで。と彼は冷たく言い放ちます。
……。なんだか、珍しい反応だな、と思いました。だって、誰もがせつなのことを可哀想だと言いたげな目で見るのに、彼はつまり、死にたきゃ死ね、と言い放ったのです。
せつなは少し、あっけにとられてしまってると、だがな。と雨夜くんは付け足した。
「僕の目の前でんなことしてんじゃねえよ。気分が悪くなるだろーが」
「は──」
はぁ? とでも言いたかったのでしょうか。しかし、その前に、首藤の頭は、床に叩きつけられていました。
いつの間にか。瞬き一つした合間に。
床には少しヒビがはいり、首藤はピクリとも動きません。
「「「え?」」」
「そこのお前等もだ。キーキーキャーキャー騒ぎやがって、耳が痛いんだよ」
残った取り巻き二人も、自身の身の危険に気づいたのか、蜘蛛の子を散らすように逃げようとしましたが、雨夜くんはポケットの中にいれていた一円玉を取り出すと、指の間に挟んで、細長い腕を引き一気に前方へと振り、手首のスナップを利かせて一円玉を投げました。
飛んでった一円玉は計八枚、その内三枚は逃げている取り巻きに当たり、おおよそ、一円玉がぶつかったとは思えない音が鳴り響き、遠巻きは床に伏しました。
当たらなかった一円玉は、壁とか天井に突き刺さってます……。どれだけの力で投げたらそうなるの?
その間、せつなはただただそれを呆然と、口をポカーンと開けて傍観していました。
えっと、あれ、もしかして、助けられた……の?
「えと、大丈夫か?」
そんなせつなに彼は照れたように、はにかみながら手を差し伸べてくれました。
……初めてだ。
男の子に手を差し伸べられるなんて、初めて。
それにこんな気持ちも初めて。胸がきゅうっとしめつけられるみたい──
頬が上気しているのが、自分でも分かります。きっと、今せつなの顔は真っ赤なんだろうな。
ひょっとして、これが恋……?
せつなは、何度も首を縦に振りながら、そう思いました。
そうです。その時、せつなは恋に落ちたのでした。
***
それが恋などではなく、依存だということ。
恋に恋してるだけだって気づいたのは、そのすぐ後でした。
しかし、そんな事は些細なことです。恋愛なんてものは結局互いに依存しあってうまれる感情なのですから。
結局どうであれ、彼に恋していることになんら変わりありません。
彼の名前は雨夜維月。同じ中学出身で、同じクラスで、席はなんとお隣さん。おおっ、これは正に運命ですっ!
彼は少し不思議な人ですが、そんな事は気にしません。恋愛というものは、相手を認めるところから始まるのです。
しかし、最近少し困ったことが。
いつも通り、一緒に朝食を食べて、一緒に通学路を歩いている最中でした(最近また、学校に行くようになりました。首藤がどうしてか、長期入院する羽目になったからです)。維月の隣を占拠して、くだらないながらも、楽しいお話をしていたときでした。
せつな達の前に、彼女が現れたのは。
「お、委員長。オハヨー」
「おはよう。どうしたの、最近元気じゃないか」
「そりゃまー、多分食生活が改善されたからじゃないか?」
「ふふーん?」
「……なんでニヤニヤ笑ってんだよ」
「フフフ、なんでもないよ。それより雨夜、宿題はちゃんとやった?」
「小坂井のを写させてもらった」
「自分でしなさいよ。彼女に何でも任せっきりじゃないか」
「うん、まーそうだな……」
「……ぁ」
そりゃあ、同じボロアパートに住んでいるのです、必然的に通学路は同じ道になります。
しかしどうして、同じ時間帯にいるの? 少しぐらい気を使って、時間をずらしてもいいでしょうに。
委員長──汐崎さんを維月が眼下に捉えると、せつなは一気に蚊帳の外に追い出されてしまいました。
さっきまで維月の隣は、せつなの場所だったのに、せつなの物だったのに、そこを追い払われて後ろから追いかける羽目に。
なぜでしょう。どうしてでしょう。
せつなと彼女の違いなんて、出会った時期だけなのに。
過ごした時間が違うだけなのに。密度なら、きっとこちらの方が勝っているというのに。
どうして彼は、せつなといるときよりも、良い笑顔を顔を張り付けているのでしょう。
いやいや、本当。
どうしてなのでしょう──どうして?
***
「……そういえば」
「……?」
いつも通り、せつながつくった夕ご飯を、維月と囲っている時でした。
維月は箸を咥えたまま天井を仰いで、せつなは首を傾げます。
どうでもいいけど、加え箸と嘗め箸はマナー違反です。
ホントにどうでもいいことですけど、マナーを家の中でまで気にする必要はないですし。
「最近委員長が学校に来ていないんだよな。どしたんだろ」
そう言って、おかずを口の中に放り込む。
せつなは少しだけ眉をひそめました。女の子と会食してる時に他の女の話をするのは無粋だと思いますけど。デリカシーないといいますか。
「なに、二人でいるときに他の女の話をするのは無粋? 他の女って……他に言い方はねーのか」
「……」
「ないのな」
ありませんね。
維月ははあ、と息を吐きます。
「委員長のことだから、サボリってのはないんだろうけど、こうも無断欠席が続くと気になるな」
まだ二日だけどさ。となんとなく、話のネタ程度に維月は話します。もっと他に話すことがあるでしょうに。
例えば、今日で同居生活二週間目だとか。それよりも、彼女が学校を休んでる方が、気になる話なんだ。
「……許せない」
目を反らして、誰にも聞こえないような小さな声で。
「ん? なんか言ったか?」
「…………」
せつなはにこりと笑って首を横に振りました。
維月は特に言及することもなく、ふーん、と言うとジャガイモに箸を刺しました。刺し箸。
「……維月」
「ん?」
「……ひ、ひとつ……聞いていい?」
維月はきょとん、とした顔で首を傾げました。
「いいけど、どうしたいきなり」
「今幸せ?」
維月の目を見据えながら聞きます。濁っていて、腐っている目を見ながら。
「……」
維月はゴクリと息を呑みました。なぜここで、こんなタイミングで、そんな質問をされたのかは皆目見当がついてないようですが、答えが分かったようでにこり、と笑って。
「幸せだな。去年までに比べると、見違えるほどに」
と、言いました。
嘘でしょうね。
維月は、幸せがなんなのか、分からないのですから。幸せだと思える感情がないのですから。
例えば、映画を見に行ったとき、恋愛モノの感動シーンを見ても、維月は泣きません。周りが泣いてるのを聞いて彼は初めて、泣きました。ややオーバー気味に。
しかし、どうしてみんなが泣いてるのかは全く理解できていなかったようで、映画が終わった後、彼はこう言ったのです。
『いやー、あのシーンは恐かったな。思わず泣いちゃったよ』と。
彼は泣くことはできます。
オーバーに、目薬のような涙を流すことはできます。
しかし、どうして泣かなきゃいけないのかは、分からないのです。
感情がないから。泣く意味が分からない。
しかし彼は今、幸せだと言いました。分からないなりに、今が幸せだという事を理解しようとしている。という事でしょうか。
「…………」
せつなは、維月からは見えない机の下で拳を握った。
確か彼がこうやって、感情を、ないなりに理解しようとして、真似事を始めたのは今年に入ってから──より詳しく言えば、一月頃だったと思います。
その頃はまだ、せつなは維月と出逢ってません。維月という人がいることは知っていましたが、面識はありませんでした。
その時、彼が変わって、変わろうと思ったその時。
彼の隣にいたのは──汐崎です。
今思えば、この嫉妬も訳の分からないものです。
とにかくせつなは、彼女に嫉妬して、身狂いしていました。
なんだかよく分からない理由で、衝動的に、狂ったように、嫉妬していました。
殺したいぐらい、嫉妬していました。
もし、もしこの時。思いなおすことが出来ていれば、話は、変わっていたかもしれません。
「……維月」
「ん?」
「汐崎さん、心配だね……」
「そだな……今度見舞いにでも行くか」
しかし、せつなは、選択肢を間違えてしまったのです。
とっくの昔に、今更戻ることなど、できるわけがないのです。
次回、ようやくラブコメ編終了。
正直、もっと短い予定でした。