「髪留め……?」
《small lull land》
テーマは愛と夢と希望溢れる楽園。
らしいんだけど、その広大な敷地に入る前から『急降下』『音速を超えた』『旋律』『恐怖』『記憶を失う』と危なっかしい文字が視界をよぎり、愛とか夢とか希望とか、全部千切って破ってゴミ箱に投げ捨ててるようにしか見えない。
まあ、元より遊園地には絶叫系のアトラクションは必須だし、そんな文字が踊りに踊っていてもなんら、おかしくはない。
入場料は大人五千円。子供は半額。三歳以下は無料。ペットは二百円となっている。
一回入ってしまえば、一日中どのアトラクションも乗り放題なのだが、余りの盛況っぷりに、今まで五つ以上のアトラクションに乗ったお客様は殆どいらっしゃらないという。待ち時間が長いこともさることながら、体力と精神力が保たないのも理由の一つなのかもしれない。
ちなみに、この遊園地、カップルで来るとその半数が別れることになると、彼氏彼女無しの間で、まるで呪言のように、まことしやかに囁かれている。
そんな人気遊園地に僕らは遊びに来ている。
「維月、はやくいこ……」
「落ち着けよ」
バスケットケースを持った小坂井は、少し浮き足立って、うきうきしたオーラを醸しだしながら入園口を指さしている。
いつもと違って、少し化粧をしてるし(けど髪でよく見えない)服装も地味なのではなく、少し頑張ってみた感じ。スカートも、心なしかいつもより短く見える。
「い、維月……」
「うん?」
「これ、似合う……?」
目の前でくるくると、まるで見せびらかすように回転してみせる小坂井。いつもなら、絶対恥ずかしくて着ないはずの少し短めの、ミニとまでは言えないぐらいの長さのスカートがひらひらと舞う。
「似合うと思うぞ?」
「やった……」
ガッツポーズを決める小坂井。正直言うと、ファッションの善し悪しは分からないから、褒めておけばいいかなー。と思って褒めたんだけど、選択肢は正しかったみたいだ。
「さてと、ここにずっと突っ立てても意味は無いし、さっさと並ぼうぜ。ファストパスは、この長蛇に並ぶ必要はないらしい」
それでも並ぶには並ぶけどなー。と、僕は言った。
入園口の長蛇は、既に敷地内から溢れでんばかりの長蛇で、空から写真を撮ったら、それこそ蜷局を巻いた蛇みたいになっていると思う。
そこを大幅に短縮できるというのだから、これ以上ありがたい話があるのだろうか。
「それで、お金ちゃんと足りるのか? 昼とか奢る気ないからな」
「甲斐性無し……」
「貧乏じゃなかったら、あんなボロアパートに住んでねーよ。もっとマシな所を探してる」
「大丈夫、用意はある……えへへ……」
笑いながら小坂井が僕の腕にしがみついてきた。体重を僕に預けて、できるだけひっつこうと躍起になってる。
「動きづらいだろ、離れろ」
「せつな、人混み、苦手……」
「あー、はいはい」
そう言えばそんな設定あった……か? 初めて聞いたぞ。けれど、周りに対して少しびくびくしてる辺り、嘘ではないらしい。
嘆息して、小坂井の頭をなでてやった。気持ちよさそうに、目を細めてノドをならす。
「猫かよお前」
ひひひ、と苦笑い。
こうして、僕と小坂井のデート……ではなく、恩返しというか、一週間のお礼は始まったのだった。
しかし思い返すと、思い返してみると、この時、この瞬間が、僕と彼女、つまり雨夜と小坂井の距離が一番近かった時だったのかもしれない。
ピークだったかもしれない。一番の山場だったかもしれない。
登りに登り詰めた、頂点だったのかもしれない。
山は登り詰めたら、今度は降りないと。
***
まず最初に乗ったのは『スプラッシュフォレスト』というアトラクション。もちろんのことだけど、絶叫系だ。
「これ使えますかね?」
「はい、ファストパスですね。ではこちらへどうぞ」
さすがファストパスと言うべきか、通常なら軽く一時間半待ちのこのアトラクションも、たったの五分で、丸太を模したボートに乗り込むことが出来た。
「何名さまですか?」
「ああ、一名です」
「……!?」
後ろで小坂井が驚いていた。もちろん本気だ。しかし、二人乗りのイスだから、結局小坂井が隣だった。
「……♪」
小坂井はあからさまにワクワクソワソワしている。柄にもなく鼻歌を口ずさみそうだ(鼻なのに口とはこれいかに)。
「安全バーの確認をさせて貰いますねー」
ぐっぐっと、従業員の人がバーを強く押す。小坂井は胸がつっかかっていた。従業員の人が親の敵をみるような目で、脂肪の塊を睨んでいた。
しかし、僕の安全バー、すっかすかなんだけど、大丈夫なのかな。
『それではみなさん、幻想的な森の探検に、行ってらっしゃーい』
暫く待っていると、ボートはゆっくりと進みだし、なだらかな坂を落ちて、森の入り口についた。
『おや、お客さんとは珍しい。ワシはこの森のリーダーをしておる、長老じゃ』
入り口にそびえ立っている大木に開いてる穴の中にヒゲの生えたフクロウが入っていた。船は一端ここでストップ。
『この森にも昔は地面があったのだが、十数年前におきた大洪水でごらんの通りじゃ。それでも動物たちは少ない土地で楽しくやっているのだから大したもんだのう。して、こんな森になにかようかの?』
『なに、探検に来たと? ほっほー、なにやら楽しそうだがの、森の中というのは中々危険なこともある。ワシが案内してやろう』
そう言うと、フクロウは穴の中から外に飛び出し、それについて行くように船も森の奥の方に進んでいく。
森の中では、様々な動物をデフォルトしたキャラクター達が手を振ったり、音楽を奏でたりしている。
どうやらこのアトラクション、最後に一回思いっきり落とすタイプの絶叫系らしい。
それまではヒマなので、釣りをしていたカメが、予想外の獲物に逆に引っ張られて海に落ちたのを見て笑っている小坂井の顔をカメラにおさめたりしておこう。
やっぱり、髪が邪魔で顔は見えないけれど、楽しそうに笑っていることだけは分かった。
『おや、お客さんとは珍しい──』
後ろから次の丸太船の話が聞こえる辺り、まだ改修の余地はありそうだ。
そんなこんなで、探検も佳境。森の最深部へ近づき、明るかった雰囲気や音楽も、段々と暗くなり、明るかった動物達が消えて、頭上に沢山設置された蜂の巣から蜂の羽音が聞こえてくる。
『ふむ、少し雰囲気が悪いのう。早めに移動した方がよさそうじゃ』
などと、長老が頭の上を旋回しながら言う。
「…………」
ハシャいでいた小坂井の動きも止まり、少し不安そうな顔をしだした。安全バーをしっかり握って、小動物みたいにプルプル震えてる。
同学年とは思えない怯えようだった。こいつ、精神年齢が少し幼すぎる気がする。
「……わっ」
「……!!」
小坂井の背中を叩いてみたら、ビクン! と肩を大きく揺らして、長い髪を逆立てるというオーバーリアクションを見せてくれた。なんだその髪、針金でも仕込んであるのか?
「……!」
髪の間からも分かるぐらい、今にも泣きそうな潤んだ目で睨まれてしまった。
「ワルいワルい、ついイタズラ心が芽生えちゃってさ──」
と、怒る小坂井を手で制している最中に、落っこちた。
いつの間にか、最後の方まで進んでいたらしい。
『しまった、滝に巻き込まれてしまったか!?』
なんて、案内係失格のセリフを吐くフクロウの声を尻目に、落下。
滝を模した下り坂を、滝壺に向けて落下。
スタートの時みたいな、なだらかな落下──ではなく、垂直な落下。
「「「キャアアアアアアアアア!!」」」
「…………!!」
周りから、楽しげな悲鳴があがる。小坂井はというと、不意のことだったからか、安全バーを掴めず、体は勢いに負けて、藍色の髪や腕が後方へ飛んでいく。いつもは見えない、おでこや顔がしっかりと見えた。白目剥きそうだった。
しかし、そんな事どーでもいい。どーだっていい。
それよりも、そんなことよりも、だ。
安全バーの規格外だったらしい、僕の矮躯がボートから弾きだされている方が問題だ。
「お、お、おおぉぉぉぉぉ!?」
幸いにも、そんなに高くない場所で弾きだされているようだし、落下地点は大きな水たまり。うまく入水すれば、ケガをすることはないと思う。
けど。
「僕、泳げなあぁぁぁぁい!!」
バシャーーン! とドデかい水しぶきが、二つあがった。
ぱしゃり、と撮られた写真にはしっかりと、腹から入水している僕の姿が撮られていたらしい。
***
前回のオチ。溺れて、従業員さんのお世話になりました。
「し、死ぬかと思った……」
全身水浸しになった僕は、何回も頭を下げる従業員さんから、タオルと粗品を貰った。ソフトクリームが買えるチケットだ。
百六十円。
はっは、僕の命ってやっすーい。
「大丈夫……?」
心配そうな顔で小坂井は僕をのぞき込むようにする。その手は、濡れている服のスカートを絞っていた。
この後に『フラッシュバーン』とかいう炎のアトラクションに入ると良いと、パンフレットに書いてあったのが納得できるぐらい、小坂井はしっとりと濡れていた。
長い髪が湿気を吸い取り、シワシワになっていて、前髪の先端からは、水が滴り落ちている。このままお化け屋敷で働けそうだ。
「だいじょーぶ、だいじょぶ。それより、アトラクションのオチはどんなのだった?」
「落ちた先でいなくなってた動物たちが明るい音楽をならしてた……長老が『ホッホッホー、驚いてくれたかの? これはワシらからのほんの些細な仕返しじゃよ。なんせ、この森が沈む理由となった大洪水を起こしたのは──人間だからの』だって……」
長老の声マネまでして、説明してくれた。あんまし似てなかったけど。
「まさかの展開だなー。そして僕は、その些細な仕返しで死にかけたのか」
「そうなる……」
必死に頑張ったのだろう、なれない化粧も、流れてしまってる。小坂井は残念そうに、タオルで拭き取った。服と顔、最低限拭いて、律儀にタオルを畳み始める。
「どした? 髪とかまだビショビショだろ」
「めんどくさい……」
「めんどくさがんなよ、こんぐらいで。ほら拭いてやるから」
「や……」
「や、じゃねーよ」
嫌がって逃げようとする小坂井の首を腕で固定して、抑えつけながら、もう片方の手で、腰まで伸びているその青色の髪を、手加減を一切せず、力任せに乱雑に、いつも自分で拭いているようにワシャワシャと──青?
あれ、確か、小坂井の髪は濁った藍色じゃなかったっけ? でもなんか、髪の色が薄いような。
「……まさか」
「維月、どうしたの……イタイイタイイタイ!!」
たどり着く一つの結論。
僕は、小坂井の髪を一本に纏めると、その上にタオルを被せて、雑巾のように絞った。
水気を目一杯含んでいたせいか、ダパダパと、溢れるように真っ黒の水が、こぼれ落ちてきた。
真っ黒で、脂っこい汚水が、溢れだす。
「…………」
「…………」
睨む僕。目を反らす小坂井。
「なー、小坂井。もしてかして、最近風呂にはいってなかったりする?」
「うん……」
「何日?」
「……」
小坂井は思い出すように空を見上げて、指を折り始めた。右手の指を折りきって、左手の指を折りきって、今度は右手の指を立てて──。
「もういいやめろ、ずっと風呂にはいってない事は分かった」
最低で十八日は、入ってない事だけは分かった。そりゃあ、ここまで水が真っ黒になるはずだ。
「小坂井、体を洗ってこいまでは言わないけど、せめて髪を洗ってこい」
「やだ……」
「行け。命令だ」
「お風呂キライ……洗うの、面倒くさい」
家事をなんでもできる超いい子だと思ってたのに、こんな所に欠点発見。
人間、やっぱり欠点があるものなのか。
「キライ、じゃねーの。さっさと洗ってこい、それとも遊ぶのをやめて帰るか?」
「さいてい……」
「最低上等だよ」
「むー……」
少しめんどくさそうに、頬を膨らました小坂井だったけど、やっぱり、まだ遊びたいらしく、タオルを持って水場を探しに行った。
「……ごまかせた、のか?」
面倒くさそうに、フラフラ歩く彼女を見やって、僕はつい、ボヤいてしまった。
正直言うと、髪の色なんて偶然気づいたものだった。ホントなら、そんなのにも、僕は気づかない。髪の色が藍色だっていうことだって、今さっきまで忘れていたのだから。
『小坂井の髪の色は?』と聞かれたら『黒?』とか答えてしまいそうなぐらい、忘れていた。
「いや最低だな僕」
一週間同居している相手の髪の色を忘れてるとは。
「……」
じゃあ、一体なにを見たのか。
僕がホントに見たのは、気になったのは──服が濡れて肌に張り付き、透けて見えた素肌と下着──じゃない。
いや見えたけど、白のブラとか、小さなリボンとかフリルがあしらわれたパンツとか見えたけれども。
そんな事よりも。
スカートを絞っていた時に、見えてしまった。
緩んだ胸から、覗いてしまった。
服が透けて、気づいてしまった。
小坂井の体がケガだらけだと──ケガ。傷。痣。損傷。切傷。火傷。傷痍。裂傷。
大小様々な傷。新旧雑多の痣。 あの病的に白い肌を覆い隠すように、びっしりと、浮き上がっていた。
「……」
あいつがいじめられていることは知っていたし、なんなら、その現場だって目撃した。けど、まさかここまでだとは思わず、気づくことができなかった。
あいつが弱音を吐かなかったから。
あいつが弱気を見せなかったから。
気づくことができなかった。
と、言えばあいつのせいに出来るのかもしないけれど、それでも、気づけなかった僕も悪い──気づけなかった僕が悪い。
たった一回の善行を利用して、暢気に彼女から恩恵を授かり。
なんの見返りも払わず──一方的に搾取していた。奪っていた。
あいつの服の下が、どうなっていたかなんて。
考えもせずに。
そんな最低人間の、僕が悪い。
「まあ、普通考えもしねーけどな」
彼女が僕の家にやってきたのも、助けを求めに来た。と考えてみたら、納得がいった。合点がいった。
幾ら、好きになったからって、その人の家にあがりこむ奴なんて、いる訳がない。
一度助けてくれた相手だ。もしかしたら、もう一度助けてくれるかもしれない。この問題を解決してくれるかもしれない、とでも、彼女は思ったのだろう。
思惑に気づいていない僕に必死にゴマすって、助けを求めていた。
なら、好きだと言ったのも、きっと、ごますりの一つなんだろう。僕を好きだと言ってくれる人なんて、いるはずないし。
こんな僕が、心無い僕が、人に好かれるはずがない。
ま、間違ってる可能性の方が高いけどね。
「なるほどね……」
だからいつもスカートは短くなかったし、露出は極限まで控えてたのか。
一人納得して、その傷に対して深く言及はしなかった。
その方がいいと、思ったから。
***
もらった粗品の、チケットとチョコアイスクリームを交換して、ちょっと買い物をして戻ってくると、小坂井が髪を洗い終えたらしく、戻ってきていた。
濁った藍色の髪が、透き通るような空色に変わっていた。あれが元々の色なのか。
くせっ毛も櫛で梳かれたみたいに、綺麗さっぱりなくなっていて、濡れている髪が背中に当たるのが鬱陶しいようで団子にして、纏めていた。
あそこまでいくと、印象ががわりと変わっていて、一瞬誰だか分からなかった。
「……!」
戻ってきたら僕がいなくて、不安だったのか、おろおろしていた小坂井だったけれど、アイスクリームをなめている僕に気づいたようで、手を振りながら小走りで僕の元にやってきた。
「どこいってたの……?」
「ソフトクリーム買いに。食べるか?」
「食べる……」
がばっと大きな口を開いて、ドクロ巻いてる部分を、口周りを汚しながら頬張った。
口周りについてるクリームを舐めながら、満面の笑みで。
「んー……おいしい……」
「……いや、まータダだからいいけどさ」
残ったコーンの部分を口の中に放り込んだ。サクサクと、音を鳴らしながら食べてると、不意に、小坂井が僕の口元に指を這わせた。
「なにしてるんだ?」
「ついてる……汚い」
口元にくっついていたらしいコーンの破片を摘んで、指ごと食べた。
いや、さっき大口開けて口元汚しながら、アイスクリームを頬張ったあなたに言われたくないんだけど。
よく見ると、髪にもクリームがついてるし。
「あーあーもー。きったねーなー」
髪についてるクリームをさっき貰ったタオルで拭いてやる。手加減せずに、力一杯目一杯。
「んーんーんー!!」
「こら暴れんな。ほら、でけた」
「ありが……?」
小坂井が首を傾げた。
視界に髪がないことが、不思議に思えたんだろう。
額の辺りを探って、髪がなくなった理由を、手に取った。
「髪留め……?」
「さっき買ってきた。安物だけどな」
それは、小さな黄色の髪留めだった。お土産屋で一番安かったやつだ。
「髪が目にかかって鬱陶しそうだったからな、買っといた。デザインとか、趣味の善し悪しとかは補償しないからな」
鬱陶しいなら髪を切った方がはやいんじゃないか? と、思うのは無粋だろう。
「嬉しい……ありがとう……」
ホントに心底嬉しそうに、小坂井はその髪留めを手にとってぎゅっと握りしめた。
喜んでくれたようだ。これでまあ、お礼はできたかな。
やっすいお礼だな。とは思ったけれど、お礼というのは、物の価値じゃない、想いが籠もってるかどうかだ。と言うし、まあいいだろう。
想いは全く籠もってないけど。
とか。考えていたら、不意に、腹の虫が鳴いた。近くにあった花時計を見てみると、いつのまにやら、十二時を過ぎていた。そりゃ腹も減るはずだ。
「そろそろ昼飯にするか。近くにフードコートとかあったけな」
「そ、それなら……!!」
パンフレットについている園内の地図を開いて、比較的安そうなところを探していると、待ってましたと言わんばかりに、小坂井がずっと持っていたバスケットケースを、僕の目の前につきだした。
髪留めでよく見えるようになった顔は、 蠱惑的というか魅惑的というか──ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべてる。
「お弁当……がある……!!」
「……おお」
と、適当に僕は返した。
もっと良い反応があっただろうに。と、ちょっとだけ自己嫌悪。