「この子どうしたの、拾ったの? 拉致ったの?」
小坂井との同居生活も、いよいよ一週間が経とうとしていた。
今までの不健康そのものな生活は身を潜め、小坂井の手によって健康的な生活に改善されたものの、『身体能力の底上げ』という効果の能力を利用して、体調を固定している僕の身体には、特に変化はない。
いつも通り、長身痩躯で針金細工のような体型だ。
そんな日の朝。白米に焼き魚。味噌汁にたくあんという、なんもまあ日本的な朝食を、小坂井と一緒に食べていたときだった。
「……あー」
小坂井にしては珍しく、食事中にテレビに釘つけになっていた。
いつもなら、味の感想を聞いてきたり、雑談をしようと頑張ったり、あーんしに来たりするというのに、今日はずっとテレビを見ている。朝食には一口も手をつけていない。
不審に思った僕はテレビを見る。最近《箱庭》にできた遊園地の特集をやっていた。隔離施設とはいえ、立派な街になっている今、こういった娯楽施設が最近増え始めている。娯楽がほしい子供としては嬉しい限りだ。
なるほど、遊園地ね。女子らしいっちゃあらしいな。
そう思いながら、真剣にテレビを見ている小坂井を見ていると、ぽつりと、おそらく無意識のうちにこう、呟いた。
「いいなぁ……」
「……小坂井」
話しかけて、ぽかーんと開いていた口の中に焼き魚をつっこんだ。
「……ん、んぐっ!?」
驚きつつも、素直に食べてくれる小坂井。
「……んふー」
なにやら幸せそうに頬に手を当てて、口をもぐもぐしている。そんな彼女に、単刀直入に聞く。
「遊園地、行きたいのか?」
「……! 連れて行ってくれるの……?」
「いや、行かないからな。行くなら一人で行けよ」
「ぶー……」
ぱあっと、花が咲いたような笑顔から一転。不満そうに俯き加減で、唇を尖らせた。
どうでもいいけど、俯くと益々貞子っぽくなるな。こいつ。
「ぶー、じゃねーよ。誰かに見られたらどーすんだよ。勘違いされるだろ」
「むしろ勘違いされてほしい……」
小坂井の両目に箸が刺さった。
「おーと、手が滑ったー」
「……!! ……!!」
目を抑えて、声にならない悲鳴をあげる小坂井を見下す。
「傷物にされた。維月、責任とって……」
「お前の能力、確か回復系だろ?」
「ち……」
「ちっじゃねーよ」
虎視眈々と言質を狙ってくる小坂井だった。
長い前髪で隠れている目はというと、その合間から見る限り、治ってるとみていいよな。
小坂井の欠陥能力は『深層記憶』
その物体が持っている記憶を遡って、元の状態に戻したり、それを原材料の姿に戻したりできる能力らしい。
負荷は、お腹が空くこと。つまり、体力ということか。
それでも、治せると分かっていても、痛いものは痛い。
誰だって痛いのはイヤだ。小坂井はしゅん、と頭をたらす。それでも羨ましそうに、横目でテレビを見るあたり根性が据わってると思う。
そんな小坂井に、とどめを刺すべく、くぎを刺す。
「とにかく、遊園地には絶対行かないからな」
***
「委員長、遊園地のチケット持ってたりしない?」
『きみって、身内に甘いよねー』
いや、他人に厳しいだけか。とスマホの向こうで、委員長は笑った。
朝食が終わった後、小坂井が食器を片づけているスキを見て、遊園地のチケットがないか調べたのだが、結果は大人気即日そーるどあうと。一気にぷれみあ価格となった。
そりゃまあ、《箱庭》設立以来初の遊園地だし、暴動に近いものがあってもおかしくないとは思っていたけれど、ここまでいくと、さすがに想定外。
それで、もしかしたら誰か持て余したりしてないかな。と、知り合いに連絡を回し始めたというわけだ。
『うーん、私も持ってないね。ほとぼりが冷めたら行こうかなって、思っていたから』
「そっか……」
がっくり、と肩を落とす。
まあ、そんな簡単にいくとは思ってなかったけど、それでもくるものがある。
『どうしていきなり、遊園地の話がでてきたの?』
「いや──あいつと一緒に暮らしはじめて一週間は過ぎたんだよ」
『へぇ、もうそんなに経ったんだ。一つ屋根の下に恋する男女がねー」
委員長はふふふ、と笑った。
同居については、相談した次の日にはバレている。同じボロアパートに住んでいるのだから、それは当然か。
「僕は好きじゃねーけどな」
『ツンデレはもう時代遅れだよー』
うるせーよ。
ニヤニヤしている委員長が目に浮かぶようだった。絶対こういう反応するから、電話にしたのに。
「……んで、その一週間ずっと家事を任せっきりだったわけだ」
より正確に言えば、あいつが勝手にし続けただけなんだけど、それでも任せっきりという事実は変わらない。
『なるほどね、きみ片づけもできないもんね』
「それで、まあー……お礼代わりに連れて行こうかなって」
『ふんふん。つまり、彼女をデートに誘いたいけど恥ずかしい。だから、お礼と理由づけてデートに誘おうとしてるという訳だね』
「どーしても僕をツンデレキャラにしたいらしいな……」
さっき時代遅れとか言ってなかったっけ?
『やっぱり恋してるじゃないか。デレデレじゃないか』
「デレデレじゃない。どうして、お礼一つでそこまで言われなきゃいけねーんだよ」
『雨夜がお礼をするようなタイプじゃないから』
「……むう?」
合ってるような、でも認めたくないような。
首を傾げる。
『けどごめんね。チケットは持ってないんだ』
「いーよ。持ってないのは予想できたし、一応連絡してみたようなもんだから」
『本当残念だよ。きみにやっと好きな人ができたというのに応援してあげられな──』
電話を切る。
お前は僕のお母さんか。
ため息ついて、スマホをポケットにしまい、顔を上げると目の前に小坂井がいた。
この目の前というのは、読んで字の如くな意味で、小坂井の顔が度アップで僕の目に飛び込んできた。
鼻の先が触れるほどの近さで、甘い吐息が顔に触れる。目を隠す長い髪が頬を擦って、女子特有の柔らかい香りが、鼻孔に直に飛び込んできた。
あと数センチ動けば、ぶつかってしまうような、触れあってしまうような距離に、小坂井の顔があった。
「のわっ!?」
とっさに飛び退く。
小坂井は、嫉妬心丸出しに頬を膨らまして僕を睨む。
「誰……?」
「委員長だよ。ほら、汐崎美咲。知ってるだろ?」
「汐崎……美咲……なに話してたの……?」
まだ続く問いつめに僕は咄嗟に。
「ん、宿題あったかどうかの確認」
と、さらりと嘘をついた。
咄嗟だと嘘をつくのか僕は。性格悪いなー。
「そぅ……」
少し訝しんだ小坂井だったけど、信じることにしてくれたようで、四つん這いの体勢から、立ち上がった。
こいつの近くにスマホ置きっぱにしないよう気をつけよ。履歴とか覗き見されそう。
ともあれ、嘘はバレていないようで心中で胸をなでおろした。
そのタイミングに。
「あまちーん!」
と、ドアがノックされるのが聞こえた。
かなり乱雑に。
音で表すならドンドンドン! と叩いた後に、一回ずっこけたらしく、どっすーんとかなり大きな音がして。
「いったーー!!」
「……うるさいのが来た」
僕は玄関に近づいていってドアを開ける。
「人の部屋の前で騒ぐな酔っ払い。そもそもお前の部屋は一階だろーが」
「いちち、おっ、よっすあまちん!」
そこでは、高木琴音がいつも通り、元気はつらつに、天真爛漫に、軽く酔いどれてしりもちをついていた。
***
「いやー助かった助かった。持つべきものは隣人だねやっぱり。汚いところですがお邪魔させていただきますねー」
「粗茶ですが……」
「勝手に這入ってくんな、まだ這入っていいなんて言ってないだろ。あと小坂井、お茶をださなくていい」
むしろぶちまけてやれ。
小坂井が差し出したお茶は、うちにある飲み物の中では、高い部類に入るやつだ。買ったのに飲まないから、どうするのか気になってたけど、どーやら来賓用だったらしい。
「おお、ありがとありがと」
高木はお姉さんぶって笑って、もっていた缶ビールを小坂井に見せる。
座り方と持ち方が、完全に飲んだくれのあれだった。
「でもあたしにはこれがあるから」
「どうしよ……」
「置いとけ。後で飲んどくから」
「でも、維月お茶苦手……」
「だいじょぶだいじょーぶ。捨てる方がもったいないだろ」
それに高いお茶には少し興味があったし。全部は飲めないだろうけど。
少し迷った小坂井はしかし、僕の意見に文句は言わず、僕の前にお茶を置いた。
「それであまちん。この子どうしたの、拾ったの? 拉致ったの?」
「拾ってない拉致ってない。勝手に住み着いただけだ」
「ふーん、ねえねえ名前なんて言うの?」
「小坂井……せつな……」
人見知りをおこした小坂井は、僕の後ろに隠れるように座った。
「うわなにこの子、メッチャ可愛いんですけど。理性保てそうにないんですけど」
「ヨダレを拭け垂らすな!!」
小坂井が僕の裾を引っ張った。
「誰……?」
「ああ、こいつは高木琴音。一〇三号室の住人だ」
二十歳。大学二年生。
栗色に染めた髪を、鬱陶しげに後ろで縛っている。服装は黒いキャミソールに、ホットパンツ。片手には缶ビールと、完全にくつろぎスタイルだ。
「はいはーい、高木ちゃんだよー。よろしくねせっちゃん」
「せっちゃん……?」
「多分お前のことだろ」
小坂井せつな。
せつなだから、せつちゃん。で、語呂合わせでせっちゃん。と言ったところか。
相変わらずネーミングセンスねえな、こいつ。
雨夜だからあまちん、っていうのも結構安直だし。
「あんまり近づくなよ。適切な距離をとって話せって、委員長が言ってたから」
「また委員長……」
高木の取説をしていると、ふいに小坂井がぽつりと呟いた。
「ん? どうかしたか?」
「別に……なんでもない……」
つーん、と口を尖らせてそっぽ向かれた。
あからさまに不機嫌になってる。
なぜだ?
「あまちーん。女心分かってないねー」
にししー、と高木が笑った。そんなこと言われても、まず僕、女子じゃないからな。
「そんなのだとすぐ別れちゃうよー。と、いうかあたし、男女交際を認めた覚えありませんよ!」
「なんでお前の許可がいるんだよ」
「あまちんは、このアパートの住人の共有財産だからね。あまちんに決定権はないっ☆」
「勝手に決めるな!」
「維月はせつなの……」
酔っ払いの戯れ言に、小坂井は後ろから手を回して、僕にしがみついてきた。背中に二つの柔らかいものが当たる。
お前のでもねーよ。
僕は僕のだよ。
「それでなんの用だよ」
「いやねー隣が──ああ、つまり松場の部屋からね、悲鳴が聞こえてきたから、ひなんたいさーん」
大袈裟なジェスチャーを交えながら、高木は経緯を教えてくれた。
「ああ……あいつの隣は大変だな」
「ほんと、通報してやろうかと思ったよー」
「まつば……誰?」
知らない名前を聞いて小坂井は首を傾げた。
「えーっとだな。一〇二号室の住人で……まあ後はポスターとかパソコンとかで調べた方が速いな」
「有名……?」
「ある意味な。駅とか行けば見れると思うぜ」
松場江東。
刃物で万物を斬る能力をもつ、現在十四人を殺している連続殺人犯である。
どうして捕まってないのか、そもそもなんで"獄島"送りになってないのかは謎のままだ。
ちなみに情報提供すれば二百万円は貰える。金に困ったときには、情報を売ろうとまことしやかに企んでる。
まことしやかってこの使い方であってるのかしら?
「これで十五人目かー。別に友達が狙われてる訳じゃないからいいけれど、近くで殺ることだけはやめてほしいよな」
というかあいつも上手いことやるよな。十年近くで十五人。沢山を一気にじゃなくて、沢山を少しずつ、しかも手口を丸々変えて同一人物の犯行に見えないように工夫してさ。
あいつが指名手配されてるのも、最初の、それこそまだ未熟だった頃の話だし。中にはバレてないやつもあるって言うし、必要もないものが達者というかなんというか。
「あまちん……」
「どした?」
「いや、そういえばあまちんってそういう性格だったね、うん」
思い返していると、高木が若干ひいていた。振り向くと小坂井もひいていた。
なにか僕は変な事を言ったのだろうか。
「……こ、こほん」
なんか重くなった空気を払いのけるように高木が一回咳き込む。
「ということで今日泊めてー」
「委員長のとこ行けよ」
「しおちゃんには、この前怒られちゃって行きづらいんだよねー。だははー☆」
「怒られちゃって生きづらい? そんなの前からだろ」
「うわー辛辣ー……」
「だからあまちん泊めてよー」
「野宿しろよ。段ボール貸してやるからさ」
「なにあまちん、あたしになんか恨みでもあるの!?」
「適切な距離、心の距離ばーじょーーん」
ダンボールを貸してあげる、この優しさを汲み取ってほしいね。
「……あまちんってもしかしてもしかしなくても、あたしのこと嫌い?」
「嫌いじゃない。けど、好きでもない」
「模範的解答どうも。ねえせっちゃん、彼を説得してよー、野宿なんてしたら凍死しちゃうよー」
「凍死して生まれ変わって改心しろ」
「維月、かわいそう……」
「……」
うるうるした小動物みたいな目で、僕を見る。そんな目で僕を見るな、こいつを甘やかすといい事なんてない。こいつを、助けるとその善意に漬け込んでくるんだよ。獅子がかわいい我が子を千尋の谷に突き落とすように、突き落としてそのまま蓋を閉じるぐらいしないとダメなのよこの子。
「極論、空き部屋で寝ればいいだろ」
「みつかったら不法侵入じゃん」
驚いた。こいつにも罪の意識があったんだ。
「あれ、今バカにされたよーな気がするぞ?」
「きのせーだと思うぞ?」
「あ、そうだ!」
と、いきなり思い出したように高木は立ち上がり、ホットパンツの尻側についているポケットをまさぐると、くしゃくしゃの紙を二枚とりだした。
「これあげるからさ、泊めてよ」
「なんだそれ、レシート?」
つきだされたそれを、僕は机越しに見る。そこには英語で、インクでこんな感じに印刷されていた。
『《Small lull land》1DAY pass』
その後ろには、なんか色々ファンシーなキャラとか、風船とか、観覧車とかがファンタジックに描かれている。
「いちだいぱす?」
「ワンデイパス。あまちんはホント英語苦手だよねー。dayも読めないんだもんねー」
「うるせーよ……ってそれ、もしかして」
「そう!」
高木はそれこそ、堂々と胸を張って自信満々に、むっふーと鼻を鳴らして。
「巷で話題の遊園地のファストパス! 建設のアルバイトしたら、もらったんだよ。これあげるからさ、泊めてよ!」
チケットをちゃぶ台の上にたたきつけた。小坂井が声になってない悲鳴……というより歓声をあげる。
「…………!」
「あーはいはい、良かったな。僕の体を揺らさないでくれるかな、酔うから」
目をキラキラと輝かせて小坂井は、片手でチケットを指さして、もう片方の手で僕の体を多きく揺する。
「……いこっ、維月……行こう!」
「え、あ、う、えーあーー……分かった分かった。せっかく貰ったんだしな。使わない方がワルいし」
キラキラ輝く目からは逃げられず、不承不承、ホントにしょうがなく、チケットを手に取った。
こうして。
小坂井のデート……お礼は、大人の大人げない介入により、急遽決まったのだった。
***
「それであたしはどこで寝ればいいの?」
「……風呂場?」
ジャンケンの結果、高木が風呂場で寝ることとなり、次の日には風邪をひきました。めでたしめでたし。




