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1 王宮侵入

 それからどんな話をしたのか具体的には覚えていない。しかしヘレネとカロンがエルバ救出を手伝ってくれるというのは決定事項のようだ。

『妹さんを救出してからなら、それを私たちに譲ってくれるか』

 確かヘレネはそう言った気がする。彼らが魔導書を欲しがる理由は図りかねるが、エルバさえ助けられればフィオーレにとってあとは野となれ山となれだ。そもそもこんなことがない限り本棚の奥で埃を被っているような本だ。祖父には申し訳ないが、背に腹は代えられなかった。

 それにフィオーレを救ったカロンの炎の魔法を見るに、おそらく彼はLv5の魔法使いだ。戦力にならないはずがない。利用するようでいささか気が引けるが、使えるものは全て使いたい状況なのだ。

「――そ……だ……」

 そんなフィオーレの思考を遮るかのように聞こえてきた声に咄嗟に耳を傾ける。

 突然やってきたフィオーレに部屋を与えられるはずもなく、カーテンで仕切っただけの空間で一夜を明かすこととなった。そんな部屋では当然、衣擦れの音さえも聞こえる状況で。

「まさかハデスがまだそんな権限を持っていたとはな」

「えぇ。それに彼はそのうち王座を奪い取るつもりかもしれません」

 ヘレネとカロンの声だった。しかしやけに張りつめた空気で、先程の面影はない。カロンにいたっては軽い口調から一転して敬語だ。

「王座を?……おまえ、まだ情報収集してるのか」

「もちろん。国宝が行方不明だと知って王宮が揺らいでいる今がチャンスだとでも考えているのでしょう。ズースさまもご病気がちのようで」

「父上が?」

 聞こえてきた言葉にフィオーレは自分の耳を疑った。

 ズース――国王を『父上』とは、それはつまり。

「どうしますか、王太子さま?」

「ふざけるな。私は王位を継ぐつもりは、というより継げるはずがない」

 どこか楽しそうに言ってのけるカロンをヘレネが諌める。

 ――王太子?王位?まるでヘレネが王家の血筋のような……。

「継げますよ。証である国宝を持っているのは俺たちですから。今、マジコを救えるのは貴方だけだと何度言えば分かっていただける」

「あんなもの継いでたまるか……とにかく明日、様子を見よう。ただしフィオの妹を助けるのが最優先だ」

「了解」

 会話はそこで終わった。布が擦れるような音がしたから、二人ともベッドへ入ったのだろう。

(ヘレネが、王太子……?)

 そのことに関して深く考える間もなく、フィオーレは深い眠りへと落ちていった。


 * * *


 次の日、最初に目が覚めたのはフィオーレだった。

 音を立てないようにカーテンを開けると白い光が部屋へと降り注ぐ。雲ひとつない青空には小鳥のさえずりがこだましていた。身を隠すなら曇り空のほうがよかったのだろうか、と一瞬思案する。

 今日は三人で王宮へ忍び込む予定だった。魔導書の存在を知られた以上、何も隠す必要はない。フィオーレは素直に当初の作戦を二人に話した。

 簡単な話だ。エルバを探し出し、彼女を連れて四人で脱出する。エルバを連れ出すときは絶対に彼女ひとりのときに。そしてそこで創世の魔導書を使う。

 『創世』と言うだけあって、今では禁止されているような魔法も多々見られる。そのうちのひとつが人を創る魔法だ。とはいえ、いきなりゼロから創るなんて無理なのでエルバの髪を媒体にクローンを創って身代わりとして置いていくことにした。そうすればハデスと結婚するのはクローンのエルバで、本物のエルバは村に帰れる。戸籍を失ってしまうのが難点だが、ヘレネもカロンも戸籍なしの状態で生きてきたが支障はなかったという。安心よりも彼らへの疑問がますます膨らんだフィオーレだった。

 しかし、多分フィオーレの魔力だけでは発動できない。力が全然及んでいないのだ。そこで当初の目的『アテナの涙』を使う。荷物を整理している合間を縫って何度も魔導書を読み返したところ、それは魔力を増幅させる薬らしい。もっとも、発動の呪文も何も読めないのだが。いざとなればフィオーレの魔力の全てを注ぎ込んででも人を創りだすほうの魔法を成功させるしかない。

 くるりと踵を返し静かに寝息を立てている二人を見つめると、昨夜の話が思い出された。

(本当に王太子なの……)

 すぅすぅと無防備に寝息を立てる姿はとても王太子には見えない。確かに顔立ちは整っているが、別に王家だったら美人というわけでもあるまい。今のところヘレネが魔法を使うところは見れていないから、魔力で判断することもできない。しかしカロンの魔法を思えば、もしかしたらヘレネも……。

 そう思うと急に頭が重くなった。無理だ。ありえない。王太子を危険に巻き込むなど。王宮へ忍び込もうというのだから立派な反逆罪だ。彼らの顔に泥は塗りたくない。

 動き出すのは早かった。さっさと荷物をまとめて背負い、ドアノブに手をかける。

(二人が起きだす前にわたしひとりで出よう)

 心中で何度も感謝と謝罪の言葉を述べて、音を立てないように気を払いながら扉を開けたそのときだった。

「どこへ行く」

 ついさっきまで眠っていたはずのカロンの手がフィオーレの肩にかけられていた。おずおずと振り返り、面を向かう。

「……カロン」

「フィオ、まさかひとりで行くつもりだったのか」

「えぇ」

 力強く頷くフィオーレにカロンが歯を噛んだ。遅れてやってきたヘレネも声をかける。

「なぜ?私たちじゃ足手まといか?」

 どこか寂しそうなその様子にフィオーレは慌てて首を振った。

「そんなことない!カロンの魔法はすごかったし、ヘレネだって本当はすごい魔法使いだったりするんでしょう?でも、だから、だめなの……」

 しゅんと俯いてしまったフィオーレに察しのいいヘレネが気付いた。

「……フィオ、君は昨日の話を聞いていた」

「き、聞いてない!」

「図星かよ」

 カロンの言葉にフィオーレが思わずハッと口を押さえた。聞きましたと言ってるようなものだ。

 こうなればフィオーレも開き直って素直に告げる。

「王太子を危険には巻き込めません」

「別に構わない。私はもう城を出て一般人として暮らしてるから」

「そういう問題じゃ……ッ」

 フィオーレは顔を曇らせ切に言うが、ヘレネは淡く微笑んだだけだった。

「じゃあ、こうしよう」

 そう言ってヘレネはカロンに目配せした。その意図に気付いたカロンはハッとして気まずそうに俯いてしまう。

「なんだ、いつも継げ継げってうるさいのはカロンなのに」

「いや、まさか本当に……ねぇ」

 二対の瞳に見つめられてフィオーレが息を呑む。

 ヘレネは胸に手を当てると小さく息を吸い込んで力強く宣言した。

「私が王となりハデスを止めよう」

「だ、だめっ」

 ヘレネが言い終わるや否や、フィオーレが反対の声を上げる。

「昨日『継いでたまるか』って言ったじゃない!ヘレネ、本当は王さまになんかなりたくないんでしょ!それに王宮がどんなところかなんて嫌ってほど知ってる!ヘレネは行かなくていい、あんなところ!」

 あまりに必死なフィオーレの様子にヘレネとカロンが瞠目する。と、何か思い出したようにヘレネが声を上げた。

「フィオーレ・ルナリア……ルナリアってまさか、あの大魔導士の」

「……おじいさまは政敵に殺されたわ。今度はエルバまで……王宮なんて行っちゃだめ、ヘレネ!」

 今に縋りつかんばかりの勢いで告げるフィオーレにヘレネも折れたらしい。呆れたように溜息をつき、荷物をまとめだす。

「カロン。最初の作戦通り妹さんを助けに行くよ」

「なんだ。結局王位は継いでくれないんだな」

「無駄口を叩いてないで手を動かせ」

 先程までの空気が嘘のように二人は談笑しながら準備を進めていた。置いてけぼりにされたフィオーレがきょとんと立ち尽くす。

 しかしハッと我に返ると、その小さな拳をぎゅっと握った。

「もうすぐ行くよ、エル……!」


 * * *


 宿を出たのは七時ごろだった。今日は天気もよく、真っ直ぐに王宮へと続く表通りには屋台が並び、すでにたくさんの人で賑わっている。

「ねぇ、こんなに堂々と歩いていいの!?昨日あんなに手配書配られてたのに!」

 昨日、自分の顔が描かれた手配書が大量に配られるのを見てしまっているフィオーレは、終始きょろきょろと周りを見回している。

「むしろその動きのほうが不審者チックだからやめなさい。今、フィオには水の幻覚魔法をかけてるんだ。みんなには君が少年に見えてる」

「幻覚魔法?」

 聞き慣れない言葉にフィオーレが首を傾げると、防御魔法の応用だよ、とヘレネが優しく教えてくれた。

 ヘレネは水の防御魔法使いのようだ。カロンはおそらく炎の攻撃魔法使い。しかも応用だなんて、やっぱりすごい魔力に違いない。

「でも城門には魔法除けがかかってるだろうね。やっぱり強行突破かな」

「は!?ヘレネ、正面から入るだったのか、忍び込むっていうくらいなんだから裏門に決まってるだろ!」

「裏門の場所、まだ覚えてるの?」

 当然のごとく無邪気に問いかけるヘレネにカロンが盛大に溜息をついた。そんな様子を見てフィオーレも笑みをこぼす。

 そんなフィオーレを見てヘレネが、あっと声を上げた。

「そういえばフィオも魔法使いだろう?君は何の魔法を使えるの?」

「草の治癒魔法。兵士とぶつかることになったら役に立たないかもしれないけど」

「おー、じゃあ全力でぶつかっていけるな!」

「いや、自分から怪我しに行っちゃだめだよ!?」

 これは何の漫才かと自分でツッコみたくなるような会話だった。そんなこんなで、もう宮城までは数十メートルだ。

 そびえたつ本城は白を基調として屋根が青という、まさに女の子があこがれるようなお城。左右に離れがあり、高い塔が併設されている。田舎者のフィオーレは一瞬で目を奪われた。

「ハデスは東……右側の離れに暮らしてる。妹ちゃんは多分塔の天辺だな」

 やけに詳しいカロンが解説する。しかも構造まで頭に入っているらしい。一番人気がなくて極力近いルートを説明され、フィオーレも必死で頭を回した。

「人に見つかってしまえばクローンを創る意味もなくなるね」

「城門を越えるときだけ魔法は解くけど、そのあとは三人とも幻覚魔法をかけるから凝視されないかぎりは大丈夫だと思う」

 通り過ぎる人たちに何か悟られたりしないように、心なし声を落として話し合った。

 そうこうしているうちに視界の端へ城門が映りこむ。

「森を通って裏へ回るぞ」

 遠目には気付かなかったが城の周りには堀があった。その外側の森の中を、身を屈めながら歩く。幸い、兵士が配置されていたのは正門の前だけだったので、そこまで気を張る必要もなかった。

 しかし権威を象徴するためか無駄に広い。それを大回りに回っているのだから、なかなか裏にまで辿りつかなかった。ようやく辿りついたころには日も少し高くなってきていた。

 先に進んで草陰から顔を出したカロンが手招きする。それを見てヘレネとフィオーレも歩き出した。

「門番はひとりしかいない。どうする、気絶させる程度の攻撃を……」

「ま、待って!」

 言うが早いか、すでに右手に炎の球を出現させているカロンを制してフィオーレが声を上げる。

「治癒魔法を利用して眠らせるわ。そのほうが音も立たないし」

 そう言うとフィオーレは手近な木の葉を一枚掴むと、ふっと息を吹きかけて門番の男のもとへ飛ばした。ふわふわと不自然な軌道を辿りながら、木の葉は男の目の前で止まる。男が顔を上げると同時に魔法を発動させる。パンと音を立てて木の葉がはじけた。その光を合図に、男は糸が切れた人形のようにバタンと倒れ伏し寝息を立てはじめる。

 その様子を見てカロンが感嘆の声を上げた。

「へー、治癒魔法ってあんな使い方もできるのか」

 しかしヘレネは感心はしているものの、どこか苦い顔だ。

「……ヘレネ?」

「フィオ、敵に情けをかけすぎて自分がやられる、とか、やめてね」

 ポンとフィオーレの頭を叩くように撫でながらヘレネが立ち上がる。つられてカロンとフィオーレも立ち上がり、裏門へと駆け寄っていった。

「ここからはさっきのルートを全力疾走でいいか?」

「あぁ。姿は見えないようにしてある。ただ、足音は隠せないからそれだけ気をつけて」

「行こう」

 フィオーレの言葉を合図に一斉に走り出す。といっても、魔法の影響でお互いにも姿が見えない。ヘレネは魔法をかけた本人だから見えているのかもしれないが。足音を頼りに二人の場所を把握し、ぶつからないように気を配る。

 教えられたとおりに廊下を進み、螺旋階段を上り、また廊下を行き、今度は梯子を上り……。

 息が上がるころに窓を確認してみると随分な高さだった。もう塔に入り、天辺も近いようだ。

「フィオ、あと少しだ」

 少しペースが落ちてきたフィオーレの手をヘレネが取り、そのまま強く引いて走り出す。異性と手を繋ぐなんて初めての経験だったが、ときめいている暇も余裕もなかった。

「あった、あの部屋が天辺だ!」

 カロンが指差した扉には外から鍵がかけられている。これが花嫁にすることか、とフィオーレは柳眉を逆立てた。南京錠ではなく壁に棒を通しているだけだったので開けるのに苦労はなかった。扉が開くや否や、フィオーレは真っ先に飛び込み妹の姿を探す。

「エル!」

 最低限の家具しか置かれていない部屋の真ん中で手持ち無沙汰に座しているエルバの姿を見つけると、そのままの勢いで駆け寄り抱きついた。

「よかった、エル!帰ろう!」

「姉、さま……?」

 ぱちぱちと瞬きを繰り返すエルバは、どうやらいまいち状況を理解できていないらしい。それにフィオーレも困惑する。

 先程ヘレネがフィオーレにしたようにポンポンと頭を撫でてやると、エルバの目にじわりと涙が溜まった。

「フィオ姉さま……無事だった……!」

「わたしが捕まるわけないでしょ、ばか!素直にこんなとこ入って……」

 言葉とは裏腹に、エルバの背中をさするフィオーレの手は限りなく優しい。嗚呼美しき姉妹愛、なんてカロンが黙想するが、そんなことをしている場合じゃない。同じことを思ったヘレネが先に声を上げた。

「フィオ、早く魔法を!」

「あっ、うん!」

 力強く頷くと名残惜しそうにエルバから手を離したフィオーレだったが、不思議そうに妹に見つめられて狼狽する。

「あ、あのねエル。今からエルのクローンを創って、それを置いて逃げようと思うの」

 姉の言葉にエルバが一瞬考えたあと瞠目した。

「だめ!そんなことしたら、姉さまたち犯罪者になってしまう!わたしはいいから早く帰って!」

「何言ってんの!村でリューが待ってんのよ、帰るわよ!」

 びくっとエルバが怯んだ。なるほど、しっかり妹をしつけているらしい。姉というよりは母親のような剣幕だった。

 でも、と口ごもるエルバの髪を素早く引き抜くと、フィオーレはその場に座り込んで創世の魔導書を広げた。

「あーっ、アテナの涙!結局どうしたらいいのか分かんないままだった!」

 本を開くなり頭を抱えだすフィオーレにヘレネが呆れたように笑う。が、カロンは無反応だ。たっと扉のほうへ駆けだすと、一瞬で顔色を変えた。

「……やばい、兵たちが気付いた!もう塔の半分は上ってきてる!」

 その言葉に皆がハッと顔を上げる。ヘレネはキッと眉を吊り上げ、フィオーレも真剣な顔つきで本のページをめくる。エルバは青い顔でそれを見守っていた。

「カロン、行けるか」

「ヘレネこそ」

 二人同時に剣を抜き矢を構えた。いつでも魔法を発動させられるように会話も終了させる。

 ピンと弓を張り、背筋を伸ばして立つヘレネの姿は凛々しく美しい。すでに防御壁を展開させて準備万端だ。

 チャキンと音を立てて剣を抜いたカロンは、いつもの温かな雰囲気はどこへやら、鋭い目つきで敵を迎え撃つ。こちらも剣に炎をまとわせる。

「お二人とも、カッコいいです」

 見惚れていたのか、一瞬の間のあとでエルバが呟いた。それにフィオーレがにやりと微笑む。

「当たり前よ!まだ会って一日だけど、それでも、わたしの大切な仲間だもの!」

 その言葉と同時に魔導書のページをめくる。後ろから七ページ、『アテナの涙』の項目。

 ――その刹那。

「キャァッ!?」

「フィオ!」

 創世の魔導書が白い光を放ち、瞬く間に部屋を覆った。日の光にも負けずに閃くとフィオーレたちを優しく包み込み、やってきた兵たちの目を潰す。

 床に座り込むフィオーレを中心に光の魔法陣が展開され、ぐんぐんと広がっていく。それはヘレネとカロンを捉えた瞬間に一層輝きを増した。

 あまりの眩しさに閉じてしまっていた目を開けると、三人は魔法陣の中心に三角形に並んでいた。フィオーレの手には創世の魔導書、ヘレネにはアルテミスの征矢、カロンにはニケの聖剣。気がつけば中央へ掲げるように両手でそれらを抱えていた。

 そしてフィオーレが魔導書を開く。感覚はあったが無意識だった。まるで何かの儀式のように。

 ぱらぱらと捲られるページを見てフィオーレは息を呑み、同時にその目を疑った。

 ほとんど擦れて読めなかったはずの魔導書に、はっきりと光の文字が記されている。それらはページがめくられるごとに浮かびあがり、フィオーレの周りを螺旋状に飛び回った。

 しばらくそれを眺めていると、最後から七ページ目で動きが止まる。そこに記された文字たちはフィオーレのほうには近づかず、本の上で留まっている。それは現代の文字ではなかったが、フィオーレには何故か読み取ることができた。否、それは声となってフィオーレの耳に届いたのだ。

『正しき継承者たちに受け継がれし時、我は姿を現さん』

 その声と同時に、魔導書に吸い込まれるように光は収束していく。

 次に目を開いたとき、フィオーレの手の中にはそれまでにはなかったものがあった。

「これ、は……」

 片手に収まるほどのガラスの小瓶には真っ赤な液体が詰まっている。その透明感は赤の毒々しさを相殺し、むしろ爽やかなイメージすら与える。

「もしかして、アテナの涙……!」

 言う口の下からフィオーレはきゅぽんっと軽快な音を立てて瓶の口を切り、それを一気に煽った。

 呆気にとられていたヘレネもカロンもエルバも止めることができず、一瞬の間のあと「毒だったらどうすんだ、ばか!」とカロンが怒鳴った。

 芳醇な香りと、それに似つかわしい甘さがフィオーレの身体を満たす。そこから力が溢れ出すようだった。ここまで上ってきて使い切ってしまった体力も、この数日でえらく消費してしまった精神も、全てが回復していって身体が軽くなる。とても気持ちいい感覚だった。

「なん、だ……今のは」

 ひとりの兵士の呟きで皆が我に返った。ヘレネとカロンは武器を構え呪文を唱える。兵士たちも剣を構えた。

 フィオーレも慌てて魔導書を開くが、兵士たちの目の前でクローンを創ったところで意味がない。手持ち無沙汰に立ち尽くすだけだった。

 ガシャン、という鎧の音とともに戦いの火蓋が切られる。この人数の差でもヘレネとカロンは一歩も引かなかった。しかしこのままでは時間の問題だろう。とはいえ、治癒魔法しか使ったことのないフィオーレには何もできない。どうしようもなく妹の顔を窺った。姉に縋るような視線を送られてエルバも困惑する。しかしハッと息を呑むとフィオーレに駆け寄り告げた。

「姉さま、本当にアテナの涙を飲んだならきっとすごい魔力よ!攻撃魔法も防御魔法も出せる!」

「え、えぇ!?」

 エルバの無茶振りに愕然としながらも、しかし幼い記憶を引っ張り出す。まだ自分が治癒魔法が一番向いているとは気付かずに、がむしゃらに魔法を練習していたときのことを。

 一度だけ成功した草の攻撃魔法――といっても、ただ周りに草を生やし撒き散らすだけなのだが――の呪文をうろ覚えで唱える。治癒魔法を使うときのように、綺麗に魔力が流れていくのを感じた。

 フィオーレが口を閉ざすと同時に、辺りはさっきほどではないが光に包まれる。成功した、と思って顔を上げるとミシミシという怪しい音が耳に付いた。

「姉さま、何したの!?」

「草の攻撃魔法!の、はず!」

 フィオーレの叫び声とともに、あたりが一面緑に包まれた。

 草だ。大量の草が部屋を埋め尽くしている。床から壁から天井から、いたるところから出現した緑が兵士だけでなくヘレネとカロンまで絡めとっていた。

「ヘレネ!カロン!」

 魔法を発動した本人であるフィオーレとその近くにいたからか無事だったエルバが二人に駆け寄り、絡まった蔓を解いていく。

 慌てるフィオーレを横目に、ヘレネが小さく呟いた。

「……これは、大変なことになったんじゃないか……」

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