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第5話 あなたを失うほうが怖い

翌朝。

杏珠は、胸の上に乗るわずかな重みで目を覚ました。


視線を落とすと、

胡桃が杏珠の胸元に顔をうずめたまま眠っていた。


呼吸のたびに頬が触れ、

体温がしずかに杏珠の肌を溶かす。


「……胡桃ちゃん?」


そっと肩を揺らすと、

胡桃は眠気の残る声で囁いた。


「起きてるよ……ずっと起きてた」


「いつから……?」


「杏珠さんが眠るとこから、ずっと」


杏珠の胸が跳ねた。


子どもみたいなのに、

見つめ方だけは恋人以上の深さで。


「なんで起こしてくれなかったの?」


「だって……寝顔、好きだから」


杏珠は言葉を失った。


胡桃は杏珠の胸元から手を伸ばし、

布越しにそっと触れる。

愛撫でもなく、欲でもなく、

ただ“確かめる”みたいに。


「ねぇ……昨日、杏珠さんが言ったこと」


杏珠は目を伏せた。


――離れないよ

――今日は、もう離れたくない


胡桃の指が杏珠の指と絡む。


「嘘じゃないよね?」


「嘘じゃない。昨日は……本当に、離れたくなかった」


胡桃の目が揺れる。

安堵と不安と欲が混ざった、危ない光。


「だったら……」

胡桃は杏珠の手を自分の頬に引き寄せた。

「今日も、離れないで」


杏珠は息を呑む。

その顔――寝起きの伏し目――

優しい輪郭。


亡くなった夫と、

重なる瞬間だった。


「……胡桃ちゃん、その顔……」


胡桃は気づいていないふりで、杏珠の肩に手をかける。


「なに?」


杏珠は言えなかった。


“夫の続きを見てしまう”

その罪悪感が胸を刺す。


けれど胡桃の指先が杏珠の首を撫でると、

罪悪感はすっと霞んでしまう。


胡桃が囁く。


「昨日より、もっと近くにいてほしい」


杏珠の心臓がひどく痛む。


「胡桃ちゃん……そんなに近くに来られると……」


「嫌?」


「嫌じゃない……むしろ……」


杏珠は言葉を止めた。

危険すぎた。


沈黙のあいだに、

胡桃は杏珠の首元に唇を寄せた。

触れない距離。

けれど触れたのと同じくらい熱い。


「杏珠さんの声……震えてる」


「……近すぎるからだよ」


「嬉しい」

胡桃は杏珠の肩に頭を預け、腕を回した。

首の後ろを包むように。

「もっと震えさせたい」


杏珠は胡桃を抱き返し、

耳元でぎゅっと息を吸いこんだ。


「……どうしてそんなこと言うの?」


胡桃は答えない。

代わりに杏珠の胸に顔を埋め、低く囁く。


「昨日ね……杏珠さんのフォロワーに、男の人いた」


杏珠はハッと顔を上げた。


「え……見たの?」


「見た。だって、気になるもん」

胡桃は杏珠の腰に腕を絡めた。

「杏珠さんに触れる権利、わたし以外が持ってるみたいで……嫌だった」


「触れる権利って……そんなもの、誰にもないよ」


「じゃあ、わたしだけでいい?」


杏珠の喉がひくりと動いた。


「胡桃ちゃん……それは……」


「答えて。

杏珠さんが誰かに優しくするの、耐えられない」


杏珠は気づく。

この子は本気で――

杏珠の人生ごと独占しようとしている。


恐怖と、嬉しさと、痛みが一度に胸に押し寄せる。


杏珠は胡桃の髪をそっと撫でた。


「……わかったよ。

胡桃ちゃん、落ち着いて」


「落ち着かないよ。

杏珠さんが誰かに奪われる想像したら、息できなくなる」


胡桃の声が震える。


杏珠は、ゆっくり胡桃の頬を両手で挟んだ。


「奪われないよ。

私のこと、そんな怖い目で見なくても……大丈夫だから」


胡桃は杏珠の両手に指を重ねた。

その目は深く、沈むほどに甘い。


「……じゃあ今日、カフェ行くとき一緒に行く」


「え?」


「迎えに来る。

朝から夜まで、ずっとそばにいる」


それは宣言だった。


縛りつけるようで、

でも甘えの匂いがする危険な宣言。


杏珠は逆らえなかった。


「……わかった。じゃあ、一緒に行こう」


胡桃は笑った。

杏珠の胸の上で、まるで安堵のように。


「約束。

杏珠さんは今日、わたしのもの」


杏珠の胸に、

恐怖と甘さの両方が落ちていった。


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