第14話 いらないでしょ?
カフェの休憩時間。
杏珠が冷蔵庫からミルクを取り出していると、
胡桃の指が腰をつかんだ。
「……ねぇ、さっきの人だれ?」
胡桃は、扉の向こうへ鋭い視線を向けていた。
そこには、杏珠に声をかけてきた常連の男性がいる。
「ただの常連さん」
「“ただ”なんてないよ」
胡桃の声は静かで、でも怒りの熱が潜んでいた。
「杏珠さんに笑いかけた。
名前呼んだ。
距離、近かった。」
「仕事だよ。仕方ないの」
「仕事なら我慢できる。
けど……杏珠さんがあの人に笑ったのは、仕事じゃなかった」
杏珠は息が詰まった。
確かに、自分でも気づいていた。
無意識に、誰にでも優しく接してしまうことを。
でも――
「胡桃ちゃん、嫉妬してるの?」
「してるよ」
即答だった。
「だって…私だけが杏珠さんを名前で呼んで、
笑わせる権利がある」
その言葉が
奇妙に甘く胸を刺す。
「ねぇ杏珠さん」
胡桃が指を杏珠の心臓の辺りへ滑らせた。
薄い制服越しでも熱が伝わる。
「こんなに脈が速いの、
あの人が話しかけたから?」
杏珠は首を振ろうとしたが、
胡桃の指が鎖骨の下へ落ち、言い訳を奪う。
「……違う。
胡桃ちゃんのせい」
胡桃の睫毛が震え、
わずかな安堵が零れた。
「なら、全部わたしだけでいい」
杏珠は苦しくなる。
でも、その苦しさが心地いい。
「杏珠さんの声も、笑顔も、手も、
ぜんぶ私だけのものにならないと落ち着かない」
胡桃の影が杏珠を覆い尽くす。
逃げ場がない。
「だって、杏珠さんが誰かに奪われるのを想像したら……死にたくなる」
その言葉は狂気だけど、
杏珠には、愛に聞こえた。
「……胡桃ちゃん」
「他の人、いらないよね?」
胡桃の瞳が
まっすぐ杏珠の心の奥に突き刺さる。
杏珠は、呼吸を震わせながら答えた。
「……いらない。
胡桃ちゃんだけでいい」
胡桃は満足したように笑った。
その笑顔は愛であり、支配だった。
「約束したね。
杏珠さんは、わたしだけ」
指先が杏珠の首筋にそっと触れた。
背筋を走る電流。
それが、誓いの代わり。
胡桃は杏珠の手を取り、
自分の胸に押し当てる。
「だからね。
邪魔するものは全部消す」
杏珠の心がひどく鳴り響いた。
それは鼓動か、警鐘か、
もう判別できない。




