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第65話:宮本玲奈

――月曜の午後。

サンノゼにある五井物産シリコンバレー支社のオフィスに腰を落ち着けた時、私は自分に言い聞かせた。

――ここから水曜までが勝負だ、と。


水曜日はザ・ガイザース視察で丸一日が潰れる。

木曜以降は五井物産代表が渡米してきて、自由な時間は事実上なくなる。

つまり、直也の手を動かせる時間は今日と明日しかない。


(だから今、全力で仕込むしかない)


直也にとっての最重要案件は、日米政権を巻き込んだ「地熱発電×エコAIデータセンター」構想。

けれど私は、その先の直也の戦いを見据えていた。

政権や大企業だけじゃない。

シリコンバレーのスタートアップエコシステムのど真ん中に、直也の名を刻ませる必要がある。今後に向けたコネクションパイプの形成には多すぎるという事などないのだ。

そのために、ファウンダーや有力スタートアップベンチャーの経営陣、現場で未来を握る人材との会談を――一つでも多く、短時間でもいいからセッティングしていきたい。


私はひたすら端末に向かい、連絡を入れ続けた。

「明日午前、空港近くのカフェで30分だけでも」

「夕刻ならサンノゼに立ち寄れる」

返事が返ってくるたび、スケジュール表を塗りつぶしていく。


その横で、亜紀さんが淡々とサポートしてくれる。

「こことここ、続けて押さえた方が効率いいですね」

「直也くんはこの日は午後まで本社会議と重なるから、夕方に回した方がいい」

二人で呼吸を合わせるように、調整とブッキングを進めていく。


※※※


そして、視線を横にずらすと――。

そこに麻里がいた。

わざわざ自分のノートPCを持ち込み、同じオフィスに貼り付いている。


(……何が目的?)


DeepFuture AIの側近として、情報を共有するという理屈は理解できる。

でも彼女の様子はそれだけじゃなかった。

時折、スクリーンから顔を上げて直也を見る視線。

その目は恨めしそうでもあり、情念がこもっているようでもあり――私には理解できない感情の濁流を秘めているように見えた。


直也はそんな視線など気にも留めず、日本の本社や加賀谷さんと連絡を取り続けている。

日本政府の反応を確認し、米国政権の出方を待ちながら、ひたすら未来の盤面を読み切ろうとしている。


それでも、麻里の眼差しは消えない。

ただ黙って、じっと直也を見ている。

その光景がどうしようもなく気に食わなかった。


けれど、私は何も言えない。

言える立場でも、感情をぶつける資格があるわけでもない。


だから――。

私はただ、自分にできることをやる。

直也を支えること。

彼のために、人脈をつなぎ、盤面を広げ、未来を戦いやすい形に整えておくこと。


(……それが私の役割だから)


指先が再びキーボードを叩き、次の会談候補をリストに追加する。

水曜日までの時間は限られている。

迷っている暇なんて、どこにもなかった。


※※※


――火曜日の午後。

五井シリコンバレー支社の会議室から出た直也は、ふと窓の外を見つめていた。

サンノゼの空は澄み切っていて、カリフォルニアらしい乾いた光が射し込んでいる。


米国側からの返答は、まだ何もない。

しかし直也は言う。

それは「動いていない」からではない。

むしろ逆だ。

新スキームは既に政権内部のかなり上層で検討にかけられている。

そうでなければ、沈黙がここまで長引く理由はない、と。


キューバ危機の際の米政権の動き方と、

それを見誤った当時のソ連政権の対応について、

直也は亜紀さんと私に話してくれた事がある。


意思決定の最終局面では外部から見れば「沈黙」となってしまう。


「打てる手はすべて打ち、サインも送っている。あとは向こうの結論を待つだけだ」

短くそう言った。

彼は迷いなく、ただ次を見据えている。


(……だから、私は私の役割を果たす)


米国政権からの返答が来るまでの空白を、直也の武器に変える。

それが私の仕事だ。


※※※


午後四時。

私が調整して押さえたのは、シリコンバレーでも指折りの投資家の一人――アレン・カーター。

彼は数多くのユニコーンを世に送り出した敏腕ベンチャーキャピタリストで、今も数十社のボードメンバーを兼任している。


サンノゼ中心街のホテルラウンジ。

革張りのソファに深く腰を下ろし、シャンパンゴールドのネクタイをゆるめたアレンが現れると、周囲の空気が一気に変わった。

この街の空気に染まった人間だけが持つ、あの独特のスピード感と自信。


「ミスター・Ichinose、聞いているよ」

アレンは直也と握手しながら、目を細めて笑った。

「政府筋に対してアプローチしているそうだな。地熱とAIデータセンター――まるで夢物語だ」


直也は即座に答えた。

「夢物語を現実にするのが私たちの仕事です」


その言葉に、アレンの笑みが深くなった。

「いい答えだ。だが、投資家は“夢”だけじゃ動かない。数字だ」


そこから先は、直也の独壇場だった。

エネルギー効率の試算。AIによる最適化アルゴリズム。将来的な市場規模の予測。

彼の言葉には一切の迷いがなく、裏付けられたデータが矢継ぎ早に示されていく。


私は横で控えながら、その光景を眺めていた。

やっぱり、この人は“プレゼン”ではなく“戦場”で話している。

投資家相手でも、官僚相手でも、彼の言葉の核は変わらない。

――勝つために、突破するために語っている。


「……なるほど」

アレンはグラスを回しながら、わずかにうなずいた。

「まだリスクは大きいが、君が本気だということは伝わった。政権の返答次第で――私の側も具体的な動きを考えようじゃないか」


短い一言に、重みがあった。

その場で約束を交わすことはなかったが、それ以上に重要な「余地」が残された。


※※※


会談を終え、ラウンジを出ると、直也は私に一言だけ言った。

「……ありがとう。いい出会いの場をつくってくれた」


その声は淡々としていたけれど、私は胸の奥で小さく熱が広がるのを感じていた。


(――そう。私にできるのは、直也が戦いやすい場を整えること)

米国政府の返答はまだない。

でも、その間に築いた布石は必ず意味を持つ。


夕暮れのサンノゼの街を見下ろしながら、私は静かに息を吐いた。

水曜日の視察。

そして、その先の政権の決断。


すべては、これからが本番なのだ。


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