第5話:新堂亜紀
会議が一段落すると、私はノートをめくり、用意していたリスク洗い出しのメモに目を走らせた。直也くんが描き出した全体像は間違っていない。けれど、その図だけでは“赤”や“黄色”がなぜ生まれているのかが掘り下げきれていない。そこにこそ、私の出番がある。
「直也くん。もう少しリスクを分解してみたの。共有していい?」
彼が軽く顎を引いて頷くのを見て、私はペンを走らせた。
【温泉組合との対立】
•観光資源との競合リスク
地熱発電による温泉枯渇の懸念。科学的根拠を示しても、“感覚的な恐れ”が強い。
•還元策の受容性リスク
観光振興基金の金額は提示済み(年間2〜3億円)。ただし、住民は「目に見える形」での恩恵を求めており、基金だけでは“絵に描いた餅”になる恐れ。
•世代間対立リスク
若手旅館経営者は前向きだが、高齢の組合幹部は強硬に反対。内部で意見が割れたままでは決議できない。
•政治リスク
反対派議員が地域紙を通じて批判的記事を掲載予定。議会内での多数派形成に影響が出る可能性あり。
【電力会社との承認遅延】
•費用負担リスク
送電網改修費の総額は数十億円規模。折半か、どちらが多く負担するかで膠着中。
•内部調整リスク
本社は前向きだが、現場部門は「既存顧客への供給安定」を優先。温度差がある。
•国費支援依存リスク
政府補助金の有無が前提条件。交付が遅れれば電力会社は決裁できない。
•スケジュールリスク
承認がずれ込めば、建設設計の着工そのものが遅れる。クリティカルパス直撃。
【データセンター候補地の不確定】
•ROIリスク
候補A(産業団地)はROI低め(IRR 7%程度)→投資家の説得力に欠ける。
候補C(山間部)はROI高め(IRR 8%以上)→ただし水利権・宗教法人調整が必要。
•合意形成リスク
農業組合による地下水懸念。宗教法人理事会の承認プロセスは数年単位。
•アクセスリスク
地方設置は交通利便性が低下。海外投資家が「メンテナンスコスト増」と判断する可能性。
•ブランドリスク
“エコAIデータセンター”の象徴性は高いが、合意が長期化すれば「机上の空論」と批判される恐れ。
私は最後に、赤線を引いて一言添えた。
「つまり、どれも“数字”だけでは割り切れないリスクよ。財務的に整理してみても、情緒や政治が絡むからこそ、判断が難しい」
直也くんはホワイトボードの前で、静かに頷いていた。その眼差しには「助かる」という色が一瞬だけ浮かんだのを、私は見逃さなかった。
玲奈がすぐに口を挟んだ。
「……確かに。投資家は数字を好むけど、赤や黄色の背景をきちんと説明できるなら逆に信頼を得られる」
私は軽く笑みを浮かべ、ノートを閉じた。
「だからこそ、私がいる意味があるってことね」
そう言いながら、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「……でもね、直也くん。こんな真面目な話ばかりじゃ疲れるでしょ。たまには、私と一緒に飲みたくない?ねぇ?飲みたいなぁ〜♡」
にやりと笑う。場を和ませる仕草のように見せかけて、半分は本音だ。
その瞬間、隣で玲奈の表情が硬くなったのを横目で捉えた。
「……亜紀さん。会議中ですよ」
冷たい声。
私はしれっと笑顔を崩さなかった。
――リスクを見抜くのは得意。でも、こういう駆け引きだって、負けるつもりはない。
私はペンを置き、ホワイトボードに並んだリスク群を見渡した。
「直也くん、全部を一度に解決することはできない。だから、打ち手の順番を考えましょう」
直也くんと玲奈の視線がこちらに集まる。私は一つずつ指で示しながら言葉を紡いだ。
「まず最優先は“電力会社”。ここが承認しない限り、送電網改修は進まない。つまり、設計フェーズ全体が止まる」
ボードに赤い丸をつける。
「その次が“温泉組合”。観光振興基金の金額を出しても、情緒的な反発が残る限り合意は長引く。ここは並行して信頼構築を進めるしかない」
さらに赤線を引いた。
「最後に“データセンター候補地”。ROIと合意形成リスクがあるけれど、これは“電力会社・温泉組合”に比べれば順番は後。なぜなら、立地が確定しても送電網が動かなければ意味がないし、地熱利用に合意が得られなければ“エコAIデータセンター”のブランドそのものが宙に浮くから」
直也くんが腕を組み、ホワイトボードをじっと見つめていた。
「……つまり優先度は、電力会社 → 温泉組合 → データセンター。そういうことか」
「ええ。足元のクリティカルパスを守るには、まず電力会社との承認交渉を前に進めるのが先決」
私はさらりと笑って付け加えた。
「もちろん並行して、海外展開の布石も忘れちゃいけない。イーサンからのオーダーもあるでしょ? でも、それは足元を固めてからよ」
そう言い終え、わざと軽い調子で直也くんに視線を送った。
「じゃあ……ここまで整理を頑張ったんだし、ご褒美に、明日ランチ一緒にしよ♡」
一瞬の沈黙。会議室の空気が凍る。
直也くんは「おいおい」と苦笑しながら頭をかき、
「……わかりましたよ、亜紀さん」
と小さく答えた。
その瞬間。
「……は?」
低い声が響いた。玲奈だった。彼女は腕を組んだまま、目元だけが鋭く光っている。
「会議中に“ランチの約束”ですか? そーですか。……しかも、室長もOKですか?そーですか。……そういうのはコンプラ違反なんじゃないんですか?」
声は冷たいのに、頬がほんのり赤い。
周囲の若手社員たちは息を殺し、空気がピシリと張り詰める。
私はわざとしれっとした笑顔を浮かべた。
「まあまあ、玲奈。息抜きも必要でしょ?」
「……必要なのは、プロジェクトを進めることです」
会議室に静かなざわめきが走る。
直也くんは苦笑いのまま、ホワイトボードのペンを手に取った。
「……じゃ、次は具体的に“電力会社への提案書”をどう作るか、だな」
――ともあれ、明日の直也くんとのランチタイムは私がゲット♡できた。




