第46話:新堂亜紀
――スタジアムに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
ロサンゼルスの青い空に、巨大なスタンドを包み込むようなざわめき。
球場の匂い――グリルで焼かれるソーセージの香り、バターの甘いポップコーンの匂いが混じり合って、胸の奥まで高揚感を染み込ませてくる。
(……すごい。これが本場のベースボール……)
私たちは早めにスタジアム入りしていたから、まだ客席は埋まりきっていなかったけれど、それでも通路や売店は活気で溢れていた。
ポップコーンを抱えた親子、青いユニフォームを着こんだ老夫婦、顔にペイントをした若者たち。
「休日のLA」がぎゅっと詰まった場所。
最近はMLBのスタジアムは入場時の手荷物チェックがかなり厳しい。
テロを警戒しての事だが、それだけに早めに行って手荷物チェックをクリアした方が良いという玲奈のアドバイスに従って夕方にはスタジアム入りしたのだ。
「ほら、亜紀さん。あれ買ってきましたよ」
玲奈が手にしていたのは、いかにもアメリカらしい特大サイズのホットドッグ。
直也くんはビールを片手に笑い、保奈美ちゃんは目を輝かせながら大きなポップコーンのバケツを抱えている。
「……こういう休日も、悪くないわね」
思わず呟いていた。
ビジネスだ、交渉だ、スキームだ――そんな日々の緊張をしばし忘れて、ただ人の熱気に包まれる。
そんな時間があること自体、奇跡みたいに思えた。
でも。
席に着いて、試合開始を待つ間。
ポップコーンを分け合って、笑い合っている直也くんと保奈美ちゃんの姿が目に入ると、胸の奥がちくりと痛んだ。
(……また、それ?)
別に声に出したわけじゃない。けれど、心の中で小さく唇を尖らせてしまう。
※※※
そして、場内アナウンス。
――Shohei Ohgaki!!
電光掲示板に名前が映し出された瞬間、スタジアム全体が揺れた。
観客の大歓声が、一斉に爆発する。
私の隣の保奈美ちゃんなんて、立ち上がって手を叩いていた。
マウンドに翔平選手が立つ。
背番号が、光の粒に包まれて輝いて見える。
「本当にツイてるな……本当に翔平が登板だよ……」
直也くんも、思わず声を漏らしていた。
玲奈は腕を組んで「やっぱり保奈美ちゃんは、持ってるわね」と呟く。
一球目――キャッチャーミットに突き刺さる音が、まるで破裂音みたいに響いた。
球速表示、99マイル。
観客席から「オォォォォー!!」という地鳴りのような声。
私も叫んでいた。
「ナイスボール!!」
それからも次々と繰り出されるストレート、切れ味鋭いスライダー。
三振を奪うたびに観客が総立ちになり、紙吹雪みたいに歓声が宙を舞う。
保奈美ちゃんはもう子どもみたいに手を振り回してはしゃぎ、直也くんとハイタッチしていた。
玲奈も珍しく声を張り上げ、ビールを片手に「イエーッ!」と叫んでいる。
……気づけば私も、叫んでいた。
「翔平ーーっ!!!」
胸が震えていた。
国も文化も違うのに、同じ瞬間を分かち合って、知らない人同士で抱き合って喜ぶ。
ベースボールって、こんなにも熱いものだったんだ。
そしてふと視線を戻すと――。
直也くんと保奈美ちゃんが、並んで笑顔で拍手していた。
その距離感の近さに、また胸がちくりとする。
(……でも、いいわ。今日くらいは、こうして笑ってる直也くんを見られるなら)
熱狂の渦の中、焼け気味の気持ちを押し込めて、私も大きく拍手を送った。
――LAの夜は、まだ始まったばかりだ。




