第29話:ステークホルダーへの説明(新堂亜紀)
――緊張の糸は、まだ張りつめたままだった。
次は加賀谷さん。
経産省OBで高官達とも距離が近く、そして直也くんが心から信頼を寄せているキーパーソンだ。
リモート会議の画面に、加賀谷さんの落ち着いた表情が映った。
「……なるほど。SPVで日米を束ねるわけか」
直也くんがまだ説明を終える前に、彼は資料を目で追い、要点を一瞬で掴んでいた。
その理解の速さに、思わず息を呑む。
「見かけはフラットだが、SHAとClass SharesでReserved Mattersを五井に紐づけるという訳だね。
なるほど、米国投資家にも受け入れられる形だし、日本政府にも説明できる。
実に巧妙で合理的だと思うよ」
短い言葉。けれど、それは即答の賛同だった。
直也くんが深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。どうしても、このプランを形にしたいんです」
加賀谷さんは少し笑みを浮かべ、頷いた。
「君たちは今アメリカにいる。
時間も限られているだろう。
経産省への根回しは、五井物産の役員の方々と連携しつつ私がやっておく。
安心して米国側での調整を進めなさい
資料のデータだけ送ってください」
――その一言に、胸が熱くなった。
どれほどの心強さだろう。
オフィスの空気がふっと和らぎ、直也くん、そして私と玲奈は深く頭を下げていた。
「……ありがとうございます」
私たちにとって、加賀谷さんは最も頭が上がらない相手かもしれない。
休む間もなく、次は由佳さんと秀介さんだ。
現在サンノゼにいる二人の理解を得なければ、このプランは前に進まない。
「時間をいただけますか」
直也くんが連絡すると、すぐに返事が届いた。由佳さんはAAC社に顔を出してくれるという。
AAC社のオフィス。
ガラス張りのロビーを抜け、会議室へ通される。
そこには既に由佳さんが待っていた。
その横には秀介さんと奥様の美沙さんの姿もある。
互いに信頼を寄せる方々だからこそ、まとめて説明できる。
ステークスホルダーには本来個別に対応すべきなのだが……この二人なら大丈夫だという確信があった。
直也くんは深呼吸を一つして、用意した資料を開いた。
「……今日は、お二人にどうしても説明したいことがあります」
会議室の空気が、再び張り詰めていくのを感じながら、私は資料に基づき説明を始める直也くんの横顔を見つめていた。
直也くんはスライドを切り替えながら、SPVスキームを説明していく。
日米でそれぞれJVを構成し、シンガポールのSPVで統合管理する。
表面上は50:50の対等性を保ちながら、実質的な主導権は引き続き五井物産が保持する――。
緊張に包まれた空間で、由佳さんが資料から顔を上げた。
「……全体の枠組みは理解しました」
その声は落ち着いていて、どこか安心感があった。
「ただ、米国での投資となると、もはや日本GBC単体の判断ではなく、GBC本体の管轄になります。
ですので最終的には、米国JVの条件次第で改めて検討されることになるでしょう」
私の心臓が一瞬強く脈打った。
――条件次第、という含み。
だが、次の言葉で緊張は解けていった。
「とはいえ、スキーム自体に異論はありません。
私からGBC本体に直接説明します。
理解を求められるよう尽力する事をお約束します」
「お約束します」というその響きに、胸の奥が熱くなった。
グリゴラへの技術供与は日本GBC単体の意思決定というよりもGBC本体の戦略に基づくものであったから、グリゴラ製高性能GPUを用いるというデータセンターのコンセプトが揺らがぬ限り、GBC本体がこのAIデータセンタービジネスに対してポジティブな状況は変わらないというのが由佳さんの説明だった。
「ありがとうございます」
直也くんが深く頭を下げる。
隣に座る秀介さんは、最初から最後までじっと資料を見つめていたが、やがて短く言った。
「オレからは特に異論はありません。
今後のグローバル展開を見据えても、むしろ妥当な修正案だと思います」
そして頷く。
その一言が、どれほど大きな支えになるか。
直也くんは小さく息を吐き、安堵の笑みを浮かべた。
私も玲奈も、心からほっとした瞬間だった。
直也くんのスマートフォンが震えた。
画面に映る名前――麻里。
スピーカーモードにする直也くん。
「……一ノ瀬さん」
スピーカーから響いた声は冷ややかで、どこか挑むようだった。
「こちらに滞在中は常に行動を共にさせて頂くと申し上げた筈です」
一瞬、空気が凍った。
けれど直也くんは乱されなかった。
「申し訳ありません。御社にご理解を頂けるよう、新しいスキームを用意しました。
これからお時間を頂きたいのですが、ご都合をお教えください」
数秒の沈黙。
やがて麻里は短く答えた。
「すぐに、DeepFuture AI のオフィスに来てください。
イーサンも時間を空けると言っています」
通話が切れる。
直也くんの横顔は硬く引き締まっていた。
次に向かうべき場所が、はっきりと示されたのだ。
――いよいよ正面から、あの麻里という女性と向き合う時が来たのだ。




