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第30話:宮本玲奈

――DeepFuture AIの本社オフィス。

サンノゼの中心にそびえるガラスのビルは、まるで未来都市の塔のように光を反射していた。


応接フロアの会議室。

広い窓の向こうには青いカリフォルニアの空。そこに私たちは通された。


待っていたのは――神宮寺麻里。

彼女は黒のジャケットを纏い、組んだ脚を揺らしながら椅子に座っていた。その横にはイーサン・クラーク。あの余裕の笑みを浮かべ、こちらを試すように見つめている。


直也の表情が一瞬だけ強張ったのを、私は見逃さなかった。

けれど、彼は視線を逸らさず、会議卓の正面に座った。

亜紀さんと私も並んで腰を下ろす。


――最終決戦だ。


※※※


「では説明をお願いします」

最初に口を開いたのは麻里だった。声は静かだが、刃のような硬さを含んでいる。


直也は深呼吸し、資料を開いた。

「日本JVと米国JVをそれぞれ設立し、それをシンガポールに置いたSPVで統合する。表面上はフラットに見せつつ、SHAとClass SharesでReserved Mattersを五井物産に紐づける――これが新しいスキームです」


淡々と説明が進む。だが麻里は頷かない。


「つまり、日本資本が六割という批判をかわすための体裁、ということですね」

麻里の目が細められる。

「SPVで“フラット”に見せかけても、実質的に五井が握るのであれば、米国投資家からは“裏取引的”に映るリスクはないのですか?」


挑発的な問い。

直也の言葉が詰まる。――その刹那、私は口を開いた。


「“裏取引”にはなりません」

視線を真っ直ぐに麻里に向ける。

「Reserved Mattersは株主間契約(SHA)で明示され、合意の上で設定されます。米国のVC慣行でも同様の調整は日常的に行われている。違法性も不透明性もありません」


一瞬、麻里の眉が動いた。

だが畳み掛けるように続けてくる。

「しかし、実質的に日本側の拒否権が過剰に強いとなれば、米国のCVCや州政府ファンドは躊躇します。どう説明するつもりですか?」


今度は亜紀さんが静かに口を開いた。

「Golden Shareという言葉を使えば確かに反発を招きます。けれど、Class Sharesで調整すれば“普通の慣行”として受け入れられる。米国投資家にとって重要なのは『Exitの明確さ』です。IPOや売却が可能な構造を担保できれば、拒否権の存在は障害ではなく“安定性”として理解されます」


低く、落ち着いた声。

亜紀さんの財務的ロジックは、麻里の鋭さを真正面から受け止めて揺るがさない。


「……安定性、ですか」

麻里が唇を噛んだ。


私は間髪入れずに続ける。

「さらに言えば、Reserved Mattersに定める範囲を“事業売却や解散”など本当に重要な項目に絞ることで、過剰な支配に見せないことも可能です。五井が握るのはあくまで『最終安全弁』。その範囲を明文化することで、米国投資家に対する説明責任は十分果たせます」


言いながら、自分の中で熱がこみ上げていた。

――直也を守らなきゃ。

彼をこれ以上、この女に攻めさせるわけにはいかない。


※※※


麻里は資料をめくりながら、しばし沈黙した。

やがて冷ややかな声を落とす。

「理屈は分かりました。ですが、実際に米国側がこの条件で納得するかは別問題です」


その瞬間、イーサンが笑った。

「Enough, Mari.(もういいだろう)」


麻里が驚いたように彼を振り返る。


「私は賛成だ」

イーサンの声は低く、しかし明確だった。

「彼らのスキームは、米国投資家にとっても自然だ。表面上の対等性と実質的な安定性――両立させる案だ。むしろ我々にとっても、政治的リスクを避ける上で理想的だよ」


彼の視線が直也さんに向けられる。

「よくやったな、直也」


直也の肩がわずかに震えた。

その隣で亜紀さんは静かに息を吐き、私は心の中で強く頷いた。


――守り抜いた。

鋭い麻里の刃をかわし、論理で押し返し、そして最後にイーサンの賛同を得た。


交渉の空気は、一気にこちらへ傾いたのだ。


イーサンが賛同を示した後、直也は静かに口を開いた。

「……麻里。君の指摘があったから、このスキームに到達できた。現在、非公式に進んでいる米政権内での検討においても懸念されている可能性が高い点について、今回の新スキームは完全にカバーできる。これは君の指摘のおかげだ」


そして深く頭を下げた。

「……ありがとう」


その瞬間、麻里の表情に微かな揺れが走った。

驚き――いや、戸惑い。彼女はすぐに視線を逸らし、かすかに唇を結んだ。


「……あなたのためにしたことではないわ」

声は冷たく装っている。だが奥にわずかな震えを感じた。

「これはDeepFuture AIのための、当然の指摘」


立ち上がりざま、こちらを振り返る。

「そういう誠実そうなポーズで、また多くの人を巻き込もうとするのなら、私はこれからも容赦しない。そのつもりで覚悟しなさい。――あと、こちらに滞在している間は適宜連絡を取ってください。行動を共にするので」


そう言い残し、彼女は踵を返して部屋を後にした。


※※※


扉が閉まる音。

イーサンが大げさに両手を上げた。

「Oh, scary.(オー、怖っ)」

軽口を叩き、場の空気を和ませるように笑う。


けれど、直也の顔は笑えなかった。

彼の表情は、強く押し殺した苦しみに覆われていた。


私はその横顔を見つめ、胸が締めつけられた。

――麻里という存在は、やはり直也に深い傷を残している。


けれど同時に思った。

彼がどれほど揺さぶられても、私たちがいる限り、この場を守れる。

亜紀さんと、私と――そして彼自身の信念で。


私はペンを握る手に力を込め、心の奥で小さく誓った。

(これからも、私はあなたを支える)


揺らぎながらも前に進もうとする直也を、何があっても守る。


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