第1話:クリティカルパス(新堂亜紀)
目の前に広がるのは、五井物産の執務フロアに設置された大画面のダッシュボードだ。
画面にはプロジェクト全体の進捗率、各タスクのステータス、リスク項目の一覧が、まるで株価チャートのようにリアルタイムで更新され続けている。
プロジェクト・マネジメント・オフィス、いわゆるPMOの中核として直也くんが構築した「可視化システム」だ。
AIによる自然言語処理がビジネスチャットや現場レポートを読み込み、ステータスを自動分類して色分けする。
進んでいる項目は緑、停滞しているものは黄色、深刻な遅延や対立が生じているものは赤。シンプルだが残酷なまでに正確だった。
私は椅子に深く腰掛けながら、赤く染まった項目に視線を止める。
「八幡平――温泉組合調整」
やはり、ここが最も厳しい。
温泉の湧出量や観光資源との競合、地域住民への還元策。
机上のロードマップは整っていても、実際に人々の生活と直結する部分は、理屈通りには進まない。
一方で、緑に塗られた項目もある。特区申請の経産省ルートは、加賀谷さんの経産省官僚時代のネットワークを活かして、既に一次的な了承を得ていた。
環境省ルートも審査開始の段階に漕ぎつけ、書類の体裁や理論構成には大きな問題は無い。
国内の資源セクションとの連携も、一部は動き始めている。
石炭火力からの転換を目指す地方自治体にとって、地熱は新しい柱として歓迎されている。
しかし問題は、進捗のグラデーションだった。
書類上の「合意形成ロードマップ」には進展があるように見えても、チャットで飛び交う現場担当者の短いやり取りを読むと、温泉組合の無理解や電力会社の慎重姿勢が行間からにじみ出ていた。
「このままだと、観光振興基金の提案が空回りしかねません」
ある資源セクションの若手担当者が残したコメントを、私は画面越しに読み取り、胸の奥がずしりと重くなる。
「亜紀さん」
声をかけられて振り向くと、直也くんがAIダッシュボードの前に立っていた。シャツの袖をまくり、手にはタブレット。瞳は真剣そのものだ。
「全体のクリティカルパスはまだ崩れてない。
しかし、温泉組合の合意形成にかかる時間次第で、プロジェクト全体のスケジュールが歪む可能性は高いですね」
彼はそう言って、タブレットを私に差し出す。
そこには、直也くんが自ら引いたクリティカルパスが示されていた。
・JVスキームの早期確立
・特区申請の承認プロセス
・自治体・住民との合意ロードマップ
・電源モジュール開発と設置
どれも正しい。どれも必要不可欠。
だけど、その順番や時間軸は、現実の「人間の感情」次第で揺らいでしまう。
私は深く息を吐いた。
「……直也くん。あなたの設計したスケジュールは理想的よ。
でも、地元の人たちが このプロジェクトの方向性を直ちに理解し、支持してくれる保証は、どこにもないわ」
直也くんは頷き、わずかに苦笑する。
「オレもそれはわかっています。
だから、ここから先は “数字” じゃなくて、“人” を動かさなきゃならない」
その言葉に、胸が少し熱くなる。彼の目は、ダッシュボードに映る無機質な数値ではなく、その向こう側にいる人々をしっかりと見据えていた。
「ただ……」
私は視線を戻し、黄色の項目に目を走らせる。
「データセンター建設候補地:未確定」
首都圏か地方か。利便性か、地域振興か。投資家の目線と地域住民の期待、その両方を天秤にかけなければならない。
「盛岡近隣に土地を確保する案も出ているわね」
私は声に出した。
実際に、白河にデータセンターを設置している大手のサービスプロバイダ事業者も存在する。
新幹線の沿線であれば、万が一の場合にも移動は容易だ。
「通信環境さえ整えれば、AIデータセンターとしては十分機能する。地域おこしの観点からも、合理的な案だと思う」
直也くんは、少しだけ考え込む仕草をした。
「利便性だけを求めるなら首都圏近郊がベストですね。
でも、地方振興と結びつけるなら……盛岡です。
オレも、この案を推したい。
地熱発電プラントとの直結により、明確にエコを実現して見せる必要もある」
私たちの背後で、玲奈の声が響いた。
「でも、データセンターをあまり辺境地に置くと、今度は海外投資家への説明は難しくなるわ。
ROIが読みにくいって絶対に言われる」
いつもの冷静な口調。
投資家目線の懸念は正しい。
だけど、同時に冷たさを感じさせる。
私は小さく笑った。
「玲奈、あなたはいつも現実的ね。
でも、だからこそ直也くんの理想と釣り合うのかもしれない。
……盛岡市街地周辺であれば、そこまで懸念される事はないのでは?」
直也くんは軽く肩を竦める。
「エコAIデータセンターとしての実効性を担保しつつ、投資家にも了解が得られる立地を明確化する必要がある。
何れにしても、この “黄色” をどう “緑” に変えるかが、次の課題だ」
——画面に映る赤と黄色と緑。
その配色が、今の私たちの立場を雄弁に語っていた。
プロジェクトは前進している。だが、その影には停滞や不確実性が渦巻いている。
私は胸の奥で強く思った。
このダッシュボードに「緑」が増える日を迎えるために、私自身がやれることは何かを探さなければならない。
直也くんを支える為には、それが不可欠なのだ。
ダッシュボードの右端にあるタブを切り替えると、AIが解析したチャットログが一覧で流れ込んでくる。現場担当者たちの生々しい声が、テキストのかたちで目に飛び込んできた。
【岩手側温泉組合担当チャンネル】
「還元策案を提示したけど、組合長は “東京の会社の机上の空論には興味がない” の一点張りです」
「来週の地元住民向け説明会、追加資料を準備しないとマズい」
「それ以前の問題として、そもそも地元住民向け説明会への参加者自体が少ないんですよ」
【秋田側温泉組合担当チャンネル】
「まず岩手側が賛同していない状況では、“検討俎上に乗せる意味がない” の一点張りです」
「自治体と接触しましたが、メインの岩手側の様子を聞いてくるばかりです」
【電力会社調整チャンネル】
「本社は表向きはポジティブなスタンスだが、本音は慎重姿勢であるのが明瞭です」
「送電網改修の費用負担をどう折半するかですが、“国の具体的な支援はいつ頃確定するのか” ばかり聞いてきます」
「“経産省ルート” で先に突破口を作るしかないのでは?」
【技術・設計チャンネル】
「既存地熱井に設置する想定のモジュール電源装置は出力数向上の為の改修を進めるべくメーカーと現在協議中」
「モジュール電源装置の設置については、既存地熱発電会社側の了解は得られているものの地元住民との合意が大前提となっています」
「新規の地熱井については、重力探査や電磁気探査の準備は完了しており、地元自治体からの許可を待って具体的な候補を数カ所程度に絞り込む予定」
「EGS検討用の試験掘削については、前提となる経産省からの支援が確定する事が必要ですが、地元自治体側との非公式の折衝では難色が示されています」
次々と流れていくチャットを追ううちに、胸の奥に鈍い痛みが広がる。
このプロジェクトは、机上で描いた理想の設計図と、現場の泥臭い現実とのせめぎ合いの中にある。どちらか一方では成立しない。両方を繋ぐ“橋”が必要だ。そして、その橋をかける役目を担っているのが、直也くんだということを、私は痛感していた。
「亜紀さん、そろそろ会議始めます」
既にAIデータセンタープロジェクトは大所帯になっている。その一員である秘書・調整役の若手社員が声をかけてきた。私はタブレットを閉じ、会議室へと足を向ける。
JV会議室は、長方形のテーブルの両脇に十数名の関係者が並んでいた。五井物産の社内チームだけでなく、電力会社の幹部、地熱関連企業の技術者、外部コンサルも顔を揃えている。壁際の大型モニターには、AIダッシュボードの画面が投影されていた。
直也くんがホワイトボードの前に立ち、手にしたマーカーをくるくると回す。
「今日は、クリティカルパスの確認と、停滞している項目の整理をしたい。
特に “八幡平・温泉組合” と “データセンター候補地” について、現実的な解決策を検討しましょう」
その声は穏やかだが、自然と人を惹きつける力を持っている。会議室の空気が引き締まった。
電力会社の幹部が口を開いた。
「率直に申し上げると、送電網の改修コストは簡単に承認できません。
国の補助金が明確でない限り、社内決裁は簡単には降りないのが実情です。
漠然とした『経産省からの支援』の口約束では、我々も動けません」
玲奈がすかさず応じる。
「それは当然です。
ただ、現在、地方振興特区指定を前提とした支援スキームを政府に働きかけています」
冷静に応対。だが投資ファンドを向こうに回して、幾つものスタートアップ投資に携わってきた彼女の言葉には、確かな説得力がある。
続いて、五井物産の資源セクションメンバーが資料を広げる。
「地元温泉組合に対しては、“観光振興基金” だけでなく、“地域雇用創出” の具体数値を提示するべきです。
というのも、既にあの地域では働く場所自体が限られてしまい、それを理由として盛岡市街、更には首都圏に移転する人が増えて、急激に過疎化が進行しているからです。
地域振興について具体的なメリットを分かりやすく提示しなければ、理解されません」
私は頷きつつ、視線を直也くんへと移した。
「直也くん、どう思う?」
彼は少し考え、ホワイトボードに数字を書き込んだ。
「例えば初期フェーズで50人程度の雇用が生まれる。そのうち地元採用を6割にすれば、年間数億円規模の経済効果になる。
オレたちはその数字を “未来の地域振興” とセットで提示すべきだと思います」
会議室が一瞬静まり、やがてざわめきに変わる。
誰もが、その数字の重さを実感していた。
私は胸の奥で小さく笑った。
――やっぱり、この人はただの数字の管理者じゃない。数字の向こうにいる“人”を見ている。
会議が一段落すると、私は端末を開き、再びAIダッシュボードに目を落とした。
赤と黄色の項目は、まだそこにある。だが、不思議と以前よりも重苦しさは和らいでいた。
直也くんが、目の前にある停滞を突破口に変える。その姿勢を、この目で確かに見たからだ。
彼はクリティカルパスを操作する事が可能な魔術師なのだ。




