第22話:宮本玲奈
――扉が開くと同時に、空気が変わった。
スタートアップのオフィスらしい活気とスピード感に包まれたフロアを抜け、私たちは会議室へと通された。そこに待っていたのは、DeepFuture AI のCEO、イーサン・クラーク。
「直也!」
フランクな笑顔で立ち上がり、彼は迷いなく手を差し伸べてきた。
世界中から「次世代のビッグテック候補の筆頭格」と注目を集める人物のはずなのに、直也に対してはいつも気取らず、まるで旧友に会うかのように自然だ。
イーサンは亜紀さんとも親しげに挨拶を交わす。
そしてその視線が私に向けられた。
「玲奈も、よく来てくれた。前回の東京に行った際のやり取り、まだ覚えてるよ」
「光栄です。再会を楽しみにしていました」
思わず背筋が伸びた。大企業の重役でもなく、官僚でもない。けれど、目の前にいるこの人こそが「未来を形作る当事者」だと本能で分かる。
※※※
ホワイトボードに立った直也が、静かにマーカーを走らせる。
【日本のAIデータセンターJVの現状 → 電源確保と自治体調整で停滞】
【米国政府の巨額投資の宙ぶらりん → 双方にダメージ】
【突破口:ザ・ガイザース × EGS × エコAIデータセンター】
一連の流れを整理した上で、直也は淡々と語り始めた。
「このままでは日本国内での進展は遅れます。ですが、米国先行のシナリオを作り、日本にプレッシャーを与えることで両方を一気に動かすことが可能です。これはそのための打開策です」
イーサンは腕を組み、じっとホワイトボードを見つめていた。
やがて口角を上げる。
「Very tricky… でも、悪くない」
その低い声に、心臓が跳ねた。
「一見、複雑すぎる。まるでビリヤードのようだ。……けれど最終的に見れば――日本政府も、米国政府も、そして民間事業者にとっても“都合が良い”形に落ち着く。そういう構造だ」
彼の青い瞳が真っ直ぐに直也を見た。
「こういうプランは案外実現性が高いかもしれない。人はいつも、自分にとって合理的に見える方向に動くものだから」
私は息を呑んだ。――理解してくれた。
それどころか、共感すら示してくれている。
「それに……」
イーサンはペンを手に取り、ホワイトボードの端に円を描いた。
「私は州政府とも太いパイプがある。米国政府とは別のラインで、州としてこのプロジェクトをどう支援できるか、まず打診してみよう。時間はかけない」
カルフォルニア州は、ある意味では米国の現政権とは真逆のスタンスだ。
イーサンのような先端的なスタートアップ事業者は現政権に対してはかなり批判的なスタンスが多いなかで、そうした事業者からの支持を集めているのが州知事となる。
直也の言う通り、この直也のプランについてだけ言えば、そうした真逆のスタイルの政治家同士でも呉越同舟できてしまうのだ。そこにこのプランの意味がある。
「本当ですか」
思わず声が漏れた。
直也が小さく頷き、深く礼を言う。
「ありがとうございます。州からのサポートだけでもいただけるならば、このプランは一気に加速するはずです」
――イーサンの全面的な支持を取り付けられた。
シリコンバレー出張の「最低限クリアしなければならない条件」。それを今、この瞬間にとにかく果たしたのだ。
「……良かった」
小さな声が思わず漏れる。
これまで何度も国際的な案件に関わってきたけれど、今日ほど「歴史の歯車が音を立てて回り始めた」と実感したことはなかった。
横で直也が穏やかな顔をしている。
――この人と一緒なら、どんな舞台に立っても恐れる必要はない。
そう思った瞬間、胸の奥に熱が広がっていった。
※※※
――会議が一段落したところで、室内の空気が少し和らいだ。
イーサンはペットボトルの水を開け、ひと口飲むと、こちらに目を向けて言った。
「そうだ。前にも言った通り、直也にぜひ会わせたい人物がいるんだ」
唐突な一言に、私は思わず背筋を伸ばした。
イーサンは立ち上がり、ドアの方へ軽く手を振った。
ノックの音。
次の瞬間、会議室の扉が開き、一人の女性が姿を現した。
すらりとした背筋、都会的で洗練された装い。
艶やかな黒髪に、どこか日本的な美を湛えた横顔。
――けれど、同時に異国の空気を纏っている。
日本人なのか、それとも日系人なのか、一瞬では判断がつかない。
「……っ!」
その瞬間、隣に座る直也の表情が激変した。
驚愕、動揺、そして……言葉にならない感情。
「麻里……なんで……」
震える声が会議室に落ちた。
私の心臓が跳ねる。――麻里?
イーサンは口元に苦笑を浮かべ、二人を交互に見やった。
「麻里はね、直也のことを“酷い男だ”ってオレに言うんだよ」
肩をすくめ、まるで冗談のように言葉を続ける。
「でもオレは、そんなことは絶対ないって麻里に繰り返し主張してきたんだがな……」
場が一瞬で凍りついた。
冗談めかしたイーサンの口ぶりと、直也の動揺が、あまりにも対照的で――。
私はただ、息を呑んで二人を見つめるしかなかった。
「麻里」という名が持つ意味を、まったく知らないまま。




