第16話:一ノ瀬直也
成田空港のロビー。
由佳さんと待ち合わせた瞬間から、オレの両脇の空気は――俄然、重たくなってしまった。
亜紀さんは腕を組み、わざと足を組み替えるたびに「カッカッ」とヒールを鳴らして不満を隠さない。
玲奈はタブレットを操作する手つきが、やけに荒い。会社の備品なのに、壊れないかな…。
――完全に刺々しい。
……いや、今から十時間以上のフライトなんだけどな?
そこにさらに声がかかった。
「はじめまして、一ノ瀬さん。高瀬彩花と申します。実はもう、一ノ瀬さんの事は由佳からもそちらのお二人からいろいろ教えていただいているので、今日はじめてお会いするとは思えませんが、私も今回の便でシリコンバレー入りしますので、よろしくね♡」
栗田自動車の広報部の高瀬彩花さんが笑顔で立っていたのだ。
「はじめまして、一ノ瀬直也と申します」
オレの両脇の雰囲気が更に悪化しているのは気のせいだろうか…。
ただ、彩花さんが来られた結果――
由佳さんと彩花さんが隣同士、オレと亜紀さんと玲奈は三人席で行く事になった。
オレが真ん中にされてしまい、窓際が亜紀さん、通路側が玲奈という訳だ。
「直也くん♡」
「直也」
……両方から名前を呼ばれた瞬間、背中に変な汗が滲んだ。
機内では、長丁場ということもあり「仕事はせずに休む」と決めていた。
だが現実は――。
「直也くん、肩、ちょっと貸して?」
亜紀さんがさりげなく寄りかかってくる。
「……」
横目で見ていた玲奈が、無言で自分も体を寄せてきた。
「おいおい……」
両側からじわじわと密着されて、休むどころじゃない。
機内食のビーフを食べ、シャンパンを少し口にした頃には、二人ともだいぶ機嫌が良くなってきたのだが、そのうち日頃の疲れが溜まっていたのか、オレの肩に頭を預けてスヤスヤ寝息を立て始めた。
――まあ、これはこれで悪くない。オレもやっとホット一息つける事となった。
寝入るまでの一時、オレは数年前の一件を少しだけ思い出していた。
今スヤスヤとオレの両脇で休んでいる亜紀さんや玲奈よりもずっと近い距離にいた女性のこと。そしてもう一人の女性のことも…。
――保奈美は今何をしているだろうか?
そうやって保奈美の笑顔や、オレを見送る時に見せた泣き顔。そしてそれを必死で我慢して笑顔を作って手を振る姿を思い出しているうちに――。
※※※
機体が大きく揺れ、オレは目を覚ました。
窓の外には青い海と陸地が広がっている。
亜紀さんと玲奈も起きたようだ。
「……到着か」
長いフライトの末、ようやくサンフランシスコ国際空港に降り立つことになった。
入国審査を抜け、荷物を受け取ると、由佳さんと彩花さんとは一旦ここで別れた。
出迎えてくれたのは五井アメリカ支社の幹部たち。
だが、彼らの表情には妙な緊張感があった。
「一ノ瀬くん」
支社長が低い声で切り出す。
「実は……君たちがこちらに向かっている間に、当社と関係が深いロビイストの一人がホワイトハウスの高官――極めて大統領とも近しいポジションの――と接触する事に成功したようなのだ」
「……なんですって?」
「そして、例のプラン――『ザ・ガイザース × EGS × エコAIデータセンター』について、非常に高い関心が示されたという事だ。すでにワシントンの国務省サイドからも、詳細説明を求められているという事で、五井アメリカのスタッフが非公式に複数チャネルで接触を開始している。彼らは、膠着している日米間の懸案を解消する為の――惑星的なプランとして――君たちのエコAIデータセンターを含むプランを見ているようだ」
空気が一気に張り詰める。
「本社から一ノ瀬くんたちに指示が出ている。来週以降は極力スケジュールを空けておいて欲しいということだ。ワシントンでの対応は我々で行うとは思うが、万が一という事もある。……こういう場合、アメリアの意思決定のスピードは日本のそれとは全く別次元だ。もういつ何があってもおかしくない――そういう状況だと思っていて欲しい」
……ついに。
オレのプランが、米国政府の耳に届いた。
しかも「惑星的な解決策」として。
サンフランシスコの風が、頬に熱く触れた気がした。
ここから先は、もう後戻りできない。