1-2 邂逅
廊下に出ると、多くの生徒達は雑談や移動、トイレなど、それぞれの昼休みを謳歌している。
窓からは春の陽光が降り注ぎ、肌を撫でるように少しだけひんやりとした風が吹く。
「次の授業なんだっけ?」
「数学」
「なあ、今日の部活って外?中?」
「てか、小テストやば〜」
廊下を行き来する生徒達の喧騒は、響いては消え、また響いては消える。
その一瞬一瞬を、青春と呼ぶのだろう。
そんな世界から逃避するように、俺は窓の方に顔を向ける。
そこに反射した自分は、あの日となんら変わらない。
身体は、見てくれは成長した。
勉強も運動も、あの日よりは出来るようになっている。
でも、俺の奥底にある『ナニカ』は、あの日から離れられていない。
胸に残る罪悪感が、魂を蝕んでいる。
「……」
窓の奥には、あの日と同じような青空がある。
飲み込まれそうな程大きく、綺麗で澄み切った青空が。
俺はそんな青空を見るのが怖くなって、あの日を思い出したく無くて、無意識に青空の下にある街へ眼線を落とす。
すると、そこに『それ』はいた。
「……ん?」
学校の周りには、住宅街やコンビニ、個人経営のパン屋等がある。そしてその境目には、まるで境界線のように創られた用水路がある。
そんな用水路のそばに、人間が立っていた。
別にそれだけなら何も不思議じゃ無い。
異質だったのは、その人の格好だ。
その人は、まるで映画やアニメでしか見たことないような、中世風の灰色の外套を着ていた。しかも、その外套は遠目から見ても分かるぐらいにボロボロで見窄らしい。更に言えば、その外套のフードから靡くその髪は、異常な程長く、異常な程白く輝いていた。
「なんだあれ……」
異質だ。
2024年の日本で、それはあまりにも異質な存在だった。その異質さに惹かれたのかは分からないが、無意識のうちに俺はその人に眼が離せなかった。
すると、その人は上半身を少しだけ前に出し、用水路を眺めるような体勢になった。そして、次の瞬間、その人は一切の抵抗も躊躇も無く、
────用水路へ落ちた。
「……は?」
えっ、お、落ちた?
用水路に、人が……落ちた!?
俺は反射的に周りを見渡す。
しかし、廊下の生徒達は同然のように窓の向こうなんて見ていない。つまり、人が用水路に落ちた事なんて誰も見てないし、知らない。
再度、確認するように窓の外を見るが、その人が落ちた周辺に人は居ない。
つまり、あの人が落ちた事に気がついているのは俺だけだ。
「ど、どうしよ……」
無意識に困惑と動揺が口から零れる。
落ちた人は一向に道路に上がってこない。つまり、あの人はまだ用水路に落ちている。
もし、あの人が道路にいたタイミングで意識を失って用水路に落下したのなら、あの人はそのまま溺れて死ぬ。もしくは、たまたまうっかり落下でもまだ上がってこないという事は怪我をしたのかも。または、落下の衝撃で意識を失って現在進行形で溺れているかもしれない。
最悪な想像が止まらない。
もしかしたら、俺は今、人が生きるか死ぬかの分水嶺にいるのか?
「────ッ!」
俺はつい、あの人が落ちた用水路から眼を逸らす。
もしかしたら、あの人が今この瞬間、死んでいるかもと思うと、脚が竦む。
人間の生き死には、俺には重すぎる。
一度、失敗した俺には、どうしても重すぎる。
俺は、どうすれば────
『暁理は何が正しいか、ちゃんと見極めれる人だよ』
ふと、幼馴染から言われた言葉を思い出す。
それは俺が落ち込んでいた時に、彼女から励まされた言葉だ。俺の個性であり長所だと、彼女は照れながらそう言ってくれた。
なんで、このタイミングで思い出すんだ。
「……クソッ」
動揺が口から零れる。
あの人が無事なら、生きてればそれで良い。
でも、今この瞬間に無事じゃないなら、死へと向かっているのなら救けるべきだ。
「……」
あの人が落ちた事を恐らく俺以外知らない。
俺以外、救けに行けない。
また、見捨てるのか。
また、見殺しにするのか。
また、あの日と同じ過ちをするのか。
それだけは、正しく無いだろ。
「……あー、もう!」
俺は鉛の重い脚を無理矢理動かして、廊下を走り抜ける。
階段を降りて、渡り廊下を抜けた先にある下駄箱から靴を急いで入れ替える。そして、そのままの勢いで裏門を抜けて、その人が落ちた用水路まで、一気に駆け抜ける。
そして、目的地の用水路へ辿り着いた瞬間、
「あのっ!!大丈夫ですか!?」
と、衝動的に叫んでしまう。
用水路の中を見てみると、そこには、さっきの灰色の外套を着た人が、くるぶしの高さまで張られた浅い水の中に、向こうを向きながら立っていた。どうやら溺れていたり、意識を失っている等の最悪な予想は外れてくれたようだ。良かった……
俺の叫びに一拍置いて、外套を着た人はゆっくりと後ろを振り向いた。その瞬間に、その人の顔がはっきりと見えた。
「なっ……」
心臓が止まるかと思った。
泥と藻に塗れた用水路の中にいたその人は、人形のように、創り物のように美しく、儚い少女だった。
幼い顔立ちに備え付けられた彼女の大きな眼は、宝石のように赤く輝いていた。また、主張しすぎない小柄な鼻、咀嚼には向いていないと思えるほどの小さな口。背丈も肩幅も華奢という言葉が似合うぐらいこじんまりとしていた。なにより美しかったのは、彼女の白髪だ。外套のフードからはみ出る程の長い髪は、白雲のように白くふんわりとしていた。
「えっと、その……」
言葉を失う。
彼女が美しかったからなのもある。
しかし、それ以上に見た事が無いのだ。
こんなに綺麗な白髪の赤い眼を持った少女なんて、今まで見た事ない。というか、日本人なのかも疑ってしまう。
俺は絶句したまま立ち尽くしていると、
「あ、あの……!」
と、彼女の方から声をかけてくれた。
俺は授業中に起こされた生徒ように、慌てた反応をしてしまう。
「あっ、はい!大丈夫ですか!?怪我とかしてますか!?」
俺がそう叫ぶと、彼女は共鳴するかのように身体を俺の方へ向ける。そして、その彼女の腕の中にいる『それ』に予想外の衝撃が疾る。
「そのっ……!い、犬が!犬が怪我してます!お願いしますッ……!この子だけでも……救けてください!」
懇願するように叫ぶ彼女の腕の中にいたのは、濃い茶色の雑種犬だった。しかし、その犬の前足は濃い茶色に反するかのように赤く染まっていた。
予想外ではあるが、合点がいった。
彼女は怪我した犬を救ける為に用水路に落ちたのか。脳と胸の奥が、雲が晴れるかのようにスッキリとする。
今、自分がやるべき事を瞬時に理解する。
「わ、分かりました!犬をこっちへ!」
俺は道路から限界まで上半身を倒し、腕を伸ばす。彼女は俺の行動を理解したのか、水の中をザバザバと音を立てながら歩き、俺の腕に犬を優しく丁寧に渡す。
「お願い……します」
「はい!」
俺は彼女の手から、犬を受け取る。
犬は暴れる様子は無く、むしろ落ち着いている。これが習性によるものなのか、もしくは恐怖や衰弱によるものなのかが分からないが、とにかく一刻も早く動物病院へ連れて行かないと。でもその前に、彼女も用水路から脱出しないといけない。俺は左肩に犬を乗せて、左手で犬を抑えながら彼女の方へ右手を伸ばす。
「どうぞ!上がってください!」
そう手を伸ばした先の彼女の顔は、動揺と驚愕に満ちていた。
「えっと……その……」
彼女はオドオドとしながら俺の手を取る事に躊躇している。
もしかして、嫌かな……俺の手に触るの……
そんな事を考えていると、彼女はこちらを上目で見ながら口を開く。
「手、触れても、い、いいんですか?」
そう言う彼女の顔は、とても申し訳なさそうで、怖がっているように見えた。
ど、どういう事?別に触れても全然大丈夫だけどな……
「は、はい!構いません!早く出ましょう!」
俺がそう叫ぶと、彼女は少しだけ安心したような顔をちらつかせ、
「わ、わかりました……!」
そう答えると、俺の手を勢いよく握る。その小さな手は雪のように白く冷たかった。
俺は彼女を引っ張り、彼女も縦が2m程度ある用水路をよじ登る。そして、俺と彼女は道路に上がったと同時に、地面にへたり込んでしまう。
「はぁ……はぁ……」
ちょっと走って、人を引き上げただけなのに息切れするなんて、情けないな、俺……
「……あ、あの」
彼女がこちらの様子を伺うように口を開く。
……そうだ。休んでる暇は無い。
俺は左肩にいる犬を両手で抱き直しながら立ち上がり、彼女に声をかける。
「動物病院、行きましょう」
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