1-10 それを悪と言うならば
「……え?」
眼の前にあるのは、青空だった。
泣きそうになる程、綺麗な青空。
飲み込まれそうになる程、綺麗な青空。
それは、あり得ないはずだ。
だって、ここは今『デザイア』によって『赤い結界』にされており、空は赤く染まっている筈だ。
そう思いながら、正面を向く。
そこには、ボロボロになった学校があった。
至る所が剥き出しになり、至る所が焼け焦げて黒く染まっていた。
しかし、そこに赤い炎は無かった。
そう。まるで、
────結界が止まったかのように
「なぜ、だ……」
背後から声が聞こえた。それが仮面の男が変身した巨人の声だという事は、あり得ないぐらい瞬時に理解できた。
「な、なぜだあああああああああ!!!」
振り返ると、そこには勢いよく拳を振り下ろす赤黒い蛆虫を纏った巨人がいた。
「────あ」
死ぬ。殺される。
この異常な程に巨大な拳に、気持ち悪い程に赤黒い蛆虫を纏った拳に潰されて、俺は死ぬ。
頭では、そう瞬時に理解していた。
しかし、身体は本能的に地面を脚で押して、体を後退させた。
こんな抵抗無駄だと、理解している筈なのに、本能は凄いな、と最後の追想を始めようとした。
瞬間────
────グンッ
「え────」
俺の身体はまるで落下するかのように、
────ドオオオオン!!!
勢いよく学校の壁へぶつかった。
「……は?」
壁は一撃で崩壊し、大きな穴が開いてしまう。その穴には瓦礫と、呆然とした俺が転がっている。
なんだ、これ。
ちょっと地面を蹴っただけで、この勢い?学校の壁壊す威力?
なんだよ……
なんなんだよこの『身体能力』!?
「はあ!?」
あり得ない!こんなの俺は持ってない!
しかも、もっと怖いのが、なんか痛く無い!
これアドレナリン出てるから!?それとも別の原因!?
「怖っ!?なんで!?きもっ!?」
急に怖くなって、俺は勢いよく立ち上がる。
身体を見てみても、どこにも怪我は無い。
てか、俺燃えてたよな?その炎とか火傷とかは……?
そう思いながら、周囲を見渡すと、そこには蛆虫の巨人達が俺を囲っていた。
一瞬「ヤベッ……」と思ったが、仮面達が俺に向けるものは殺意では無かった。
「な、なんで……!?」
「あり得ない!?あり得ないだろ!?」
「そんな事あるのかよ!?」
仮面達が俺に向ける感情が、困惑と恐怖である事は、なぜだか理解できた。
「うがああああああああ!!!」
唐突に、正面から巨人の叫び声が聞こえた。同時に、その巨人は叫びながら地面を蹴り上げ、そのまま大きすぎる口を開けた。そこには、肉を抉る為だけの鋭すぎる牙が、上下に何本もあった。
「ちょ!?」
巨人は一切の不条理も無く、俺を噛み殺そうとしている。
本能はこのままはダメだと判断したのか、俺は両腕クロスさせながら盾のように前に出した。そんな事しても腕ごと噛み千切られる。そう、理解してる筈なのに。
しかし、その理解は間違いだった。
────キィン!!!
「……え」
聞いた事の無い金属音が鳴る。
齧りつかれた腕は折れていない。潰れてもいない。血も出ていない。肉も抉れていない。
なぜなら、俺の両腕は
────『黒い鉄』へと変貌していた。
「なっ……!?」
俺は恐怖から咄嗟に牙を薙ぎ払う。
「がああああああ!!??」
眼の前にいた巨人は俺の薙ぎ払いに抵抗できず、そのまま正面へ飛ばされる。
そんなパワー、俺には無い筈なのに。これも謎の『身体能力』のおかげか?
いや、そんな事はどうでもいい。俺は自分の両腕を凝視する。
俺の両腕は文字通り、皮膚や肉が『黒い鉄』へと変貌していた。真っ黒に染まった手の先には、生命を刈り取る為だけに作られたような爪がある。
つまり、俺の両腕は現在『悪魔の手のような形をした黒い鉄』へと変貌しているのだ。
……いやなにこれ。悪い夢なら覚めてくれよ。
「なぜだ……なぜだぁ!?」
巨人化した仮面の男の声が中庭に響き渡る。
「お前がどうして選ばれた!『デザイア』に!!どうして!?」
な、なんの話だ!?
困惑と混乱が止まらない。
言葉の意図が分からない。そう思いながら、俺は無意識に仮面の男の方へ顔を向ける。
「────あ」
そこに、いた。
巨人の隣に、床に倒れた白髪の女の子、シロアがいた。
しかし、シロアを見て呼び起こされてたのは、喜びでは無かった。
シロアが着ていた灰色の外套は、さっきよりも更に赤黒く染まっていた。しかも、外套には穴が増えている上、袖と膝より下の部分が切断されたように無くなっていた。
また、シロアの周りには引きちぎられたような右腕が3本、左腕が4本、両脚が2本づつ転がっていた。
そして、シロアのすぐ隣には、長い白髪の頭部が1つ転がっていた。
現在のシロアの身体は五体満足だ。
しかし、周囲にあるシロアの身体のパーツが、地獄を想像させる。
穴だらけで血塗れの外套と転がる腕と脚、そして頭部。
それが何を意味しているか。
恐らくそれは罰だったのだろう。もしくは遊びだったんだろう。それでも、そこで何が起きたかは瞬時に理解できた。
『シロアは身体を何度も斬られ、引きちぎられた』
「……ざけんな」
瞬間、俺の脚が『黒い鉄』へと変貌する。
靴と靴下を破り去って、『悪魔の脚の形をした黒い鉄』へと変貌する。
そして、俺の両腕と両脚から『それ』は放出される。
『それ』は結界を包んでいた『赤い炎』では無い。
『赤い炎』よりも赫く、『赤い炎』よりも燃え盛り、『赤い炎』よりも残酷で、『赤い炎』よりも輝く、
────『赫い焔』だった。
俺は『赫い焔』を四肢から後方へ噴射させ、飛行機のジェットのように推進力を得る。その推進力を使い、光のような速さでシロアの元へ近づく。
────フォンッ、と耳元で風を切る音が聞こえた。
巨人達を横切っても、奴らは誰も反応出来なかった。
そして、
────ガシッ!!
俺は低空を飛びながら両手の噴射を停止させ、シロアの身体を抱き抱える。
そして、自身の体勢とシロアの抱き抱え方を整えながら、両腕で地面を擦ってブレーキさせる。
「……え」
抱き抱えたシロアから、そんな声が聞こえた。
そりゃそうだ。やっちまったからな。
俺は今、シロアをお姫様だっこしている。
飛びながらシロアを抱き抱えた時の体勢があまりにも悪かったから、それを整えようとして動かした結果、体勢がお姫様抱っこに収まってしまったのだ。
やっちまった。こんなのセクハラ以外の何者でもない。
「なんで、どうして……」
シロアは変わらず、困惑したような表情で俺に語りかける。
「ごめんシロア……これは不可抗力で……無意識に抱えてしまって、ごめ────」
「────なんで、戻ってきたんですか……」
シロアが言い放ったその言葉は、震えていた。
言葉だけでなく、身体も震えていた。
「私のせいで、私のせいで……」
シロアの眼は、長い前髪で覆われていて見えない。
でも、その眼からは今にも流れそうなものがある事を、俺は理解していた。
「────違うよ」
「……え」
「違う、シロアのせいじゃないよ」
「で、でも……」
「俺が選んだんだ。何が正しいのかを」
「何が……?」
「うん」
俺はシロアの方を見ながら告げる。
シロアに伝わるように精一杯の笑顔で告げる。
「安心して、俺はシロアの味方だ」
シロアは、『リディアリ』だ。
確かに多くの人を殺した種族なんだろう。
でも、シロアは用水路に落ちた犬を救けた。
多くの人を救ける為に、『デザイア』を止めようとしていた。
そして、自らの身体を盾にして、俺を護ってくれた。
俺を、救けてくれた。
その行動が、その精神が、その魂が『悪』な訳が無い。
「今度は俺が、シロアを救けさせてくれ」
それが、俺の『正しい事』だった。
「暁理!!」
ふと、上から聞き慣れた声が聞こえた。
「大丈夫!?」
零奈はそう言いながら、スタッと軽く地面に着地する。
「暁理、それ……!!」
零奈は俺の腕を指差しながら、何度も叫ぶ。
零奈にしては珍しく、その顔には困惑と動揺があった。
そんな零奈に対して、俺は抱き抱えたシロアを差し出しながら口を開く。
「零奈、手伝ってくれ」
「……は!?」
「シロアを避難させて欲しい。巨人達は俺が全部倒すから」
「なっ……」
そう困惑を零す零奈の顔には怒りや混乱など、様々な感情が入り混じっていた。
それは当然の反応なんだろう。唐突すぎる提案だし。
「いやいや!!そんな事よりその身体……大丈夫!?てか、なんで結界剥がれてるの!?」
「零奈」
「なに!?」
零奈は反射的にそう叫ぶ。恐らく、本当に焦っているのだろう。でも、それは今じゃない。俺はただ、零奈の眼を見て言い放つ。
「頼む」
「ッ……!!」
その言葉を聞いた零奈は、一瞬、後悔したような表情を浮かべた。そして、数秒だけ地面を見てから、ゆっくりと顔を上げて、彼女は叫んだ。
「全く……『手伝ってください零奈様』だろ!?暁理!!」
そこにいたのは、いつもの明るい零奈だった。
「シロアちゃん、こっちおいで」
零奈は俺の腕の中にいるシロアを取ろうとしている。俺はその零奈の行動に応えるように、シロアを渡す。
「じゃあ、避難させてくるから」
零奈はシロアをお姫様抱っこした状態でそう言う。
「頼むぞ、零奈」
「死んだら許さないから」
「それはこっちの台詞だ」
俺は両手の拳を合わせてそう応える。
「あ、あの……」
ふと、後ろから声が聞こえた。シロアの声だ。
弱々しく震えた声。不安に満ちた声。
「大丈夫」
俺はシロアに向けて、その案じを吹き飛ばすように、柔らかい声で告げる。
「なんとかしてくるよ」
「ふざけるな!!殺せお前らぁ!!!」
瞬間、仮面の男が変貌した巨人の叫び声が響き渡る。
「「「があああああああああ!!!!!」」」
号令に共鳴するように、巨人達は俺達の方へ走り出す。間違い無く、殺す為だ。
「……よし」
魂に覚悟が満ちる。
今、俺に備わったこの力が何なのかは分からない。
貰い物なのだろうか、借り物なのだろうか。
そんな事はどうでもいい。
今は、こいつらを倒す。
それが俺の正義だ。
俺は悪魔のような形をした黒い鉄の四肢から、『赫い焔』を後方へ噴射させる。
「────いくぞ」
その言葉を合図に、俺は流れ星のように学校の中を飛行する。
巨人の数は残り23人。100人以上いた巨人達の半分以上を零奈が倒してくれたおかげた。手柄の横取りのようで、少し申し訳ない。そう思いながら、俺は両脚の焔の勢いを強める。
刹那、俺の右手に『赫い焔』を纏わせる。
そしてそのまま、眼の前にいた巨人の腹部に向けて、
────ドゴオッ!!!
「グハアッ!!!」
焔を纏った拳を勢いよく打ち込む。
その軌跡はまさしく、赫い流星だった。
「アァ……」
拳を打ち込んだ巨人は、そのまま地面に倒れた。そして、赤黒い蛆虫が溶けるように消えていき、残ったのは地面に倒れた仮面の人間だけだった。
……もしかして、死んだか?と思ったが、よく見れば指先は痙攣しているし、胸辺りは息をするように上下している。
良かった……生きてる。いくらクソ野郎共でも、殺す事はしたく無い。
俺は胸を撫で下ろしながら、再び焔を噴射させて飛行する。
「なっ……!?」
「おい!!そっちだ!!」
「無理だ!!速すぎる!!」
巨人達の叫び声が聞こえる。どうやら、この状況に混乱している。
このチャンスを逃すな。
俺は飛び回りながら見つけた標的をめがけて、焔を更に噴射させて速度をつける。
そして、さっきと同じように、赫い流星を仮面の身体に打ち込む。
「ア……!」
打ち込まれた巨人は、さっきと同じように、地面に倒れ、その変貌が解除される。
「残り、21人……」
そう呟いた瞬間、
「調子乗ってんじゃねええええ!!!」
後ろから、叫び声と大きすぎる陰が迫る。
反射的に振り向くと、そこには赤黒い巨人が、拳を振り下ろそうとしていた。
「ヤベッ……!!」
気づくのに遅れた……!!
俺は咄嗟に両手をクロスさせて盾を作ろうとする。
しかし、もはや手遅れ。
それよりも早く振り下ろされた拳は俺を貫────
「はいっ!!」
────ジャラララ!!
「なっ……!!」
瞬間、巨人の腕に鎖が巻き付けられる。それは、間違いなく零奈の鎖だった。
「零奈!!」
「なにやられそうになってんの!!」
そう文句を叫ぶ零奈の顔は笑っていた。
楽しいのかアイツ……?この状況で?イカれてる……
まあ……いいか。それよりも、零奈がいなきゃ死んでた。
「ありがとう!!」
俺はそう叫びながら、俺は巨人へ赫い流星を打ち込む。
「グヘッ!!」
巨人はさっきと同じように、地面に倒れて変貌が解除された。
俺は零奈の側に近づき口を開く。
「シロアは?」
「大丈夫、避難させたよ。どこぞの馬鹿みたいに、こっちに来ない限りは絶対安全」
「それ俺の事だろ」
「正解〜」
零奈はニヤニヤしながら茶化してくる。
なんというか、この会話の感じ、いつも通りだな……まあいいか。すると零奈はいつも通りのテンションで、明るく微笑みながら口を開く。
「暁理一人じゃキツいでしょ。私も戦うよ」
その言葉に、一瞬躊躇してしまう。
零奈と、一緒に戦う?大丈夫なのか?
さっきの戦いで、既に疲労が溜まっているはずだ。
「……いいのか?」
心配そうに問いかけると、零奈はにぱーとした笑顔で口を開く。
「大丈夫!むしろ暁理一人で戦わせる方が心配だし」
その言葉を聞いて、覚悟を決める。
「……死ぬなよ」
「それはこっちのセリフだよ」
その言葉と同時に、俺達は一気に空へと跳躍した。
後は、全てが流れ作業だった。
焔を噴射させ、学校を飛び回り、零奈が鎖で巨人を捕えて、赫い流星を何度も打ち込む。
害虫駆除のように。何度も。
何度も。何度も。何度も。
何度も。何度も。何度も。
赫い流星を、敵に打ち込む。
「ガハッァ!!」
22体目の巨人へ拳を打ち込んで、戦闘不能に追い込む。
「は、あぁ────」
そして、俺は最後の23体目の方へ顔を向ける。
「な、な、な」
23人体の巨人は敢えて残した。
その巨人は、最初にシロアを傷つけた仮面の男だ。
俺は焔の噴射をやめて、地面に降り立つ。
「なっ……!」
そして、巨人の方へゆっくりと歩きながら、再び右手に『赫い焔』を纏わせる。
「ふざけるな!」
正面から、巨人もとい仮面の男の絶叫が聞こえる。
「なぜあいつを救ける!?あれは人間じゃないんだぞ!?『リディアリ』は『悪』だ!?それをどうして!!」
巨人の絶叫が、世界に響き渡る。
そこには俺に対して向ける確かな殺意も敵意も悪意もある。
でも今は全く怖くない。
「なぜだ!?『リディアリ』は『悪』だろ!?そんな『悪』を倒す為にいる俺達の方が正義だろ!?正しいだろ!?だから、だから来るな!!!」
瞬間、零奈の鎖が巨人の四肢を捕える。
「ガハッ……!!」
それはまるで解体される前の獣のように。
「……」
零奈は何も言わなかった。ただ、その眼には確かな合図があった。
俺は男との距離が5mになった瞬間に脚を止めて、ゆっくりと口を開く。
「……『リディアリ』を救ける事は、シロアを救ける事は『悪』なんだよな、お前らからしたら」
俺が巨人もとい仮面の男にそう問いかけると、男は絶叫しながら答える。
「ああ!!当たり前だろ!!人間を殺した種族が『悪』じゃないなら、なんなんだ!!」
「じゃあ、それでいいよ」
「は!?」
「俺も『悪』でいいよ」
「……は?」
瞬間、俺は全力で地面を蹴り上げて、最大速度で巨人へ跳躍する。
「シロアを救ける事が『悪』なら、シロアを護る事が『悪』なら。それでいい」
刹那、両脚で焔を噴射させながら、拳を握りなおす。
「────俺は喜んで、お前らの『悪』になるよ」
────ドゴオオン!!!
巨人の顔面に、赫い流星を打ち込む。
「ガッ……!」
赤黒い蛆虫を纏った巨人は、その衝撃によって成す術なく地面に倒れ込む。
その身体からは赤黒い蛆虫は溶けるように消えて、数分前に見た仮面の男がそこには倒れていた。
安堵する。
終わった……結界も解除されて、敵も全部倒せた……これで、やっと────
「あれ……?」
瞬間、俺の身体がまるで魂が抜けたように力が抜ける。
何も出来ない。
倒れる事しか出来ない。
受け身すら取れない。
地面が、近────
「お疲れさま」
身体が、何かに受け止められる。
耳元で、零奈の声が聞こえる。
俺は零奈の声を聞いて安心したのか、体力の限界だったのかは分からない。でも、色々と限界だったんだろう。
俺はそのままシャットダウンしたように、黒い世界へと飛び込んだ。
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