第五話:受け継がれし名はややこしい
ラファエル・クラインは、辺境コロニーの闇市で暮らす自称ハッカーだ。廃れた雑居区画にある自室で日々、イーシスの謎や奇妙な依頼の処理に追われている。そんな彼を、ある日いつものブローカーであるハシムが呼びつけた。用件はどうせ金儲け話に違いないが、今回はどこか雰囲気が違うようだ。
「来てくれたか、クライン」
埃臭い倉庫の奥に簡易テーブルを置き、ブローカーのハシムはにやりと笑う。その顔を見るなりラファエルは軽く肩をすくめる。
「お前が呼んだんだ。面倒な話なら断るぞ。最近こっちも忙しくてな」
そう言いながら腰を下ろすと、ハシムはさっそく端末を広げ、文書の一部を見せてくる。「イーシス 若手採用」「ダークマター」「研究者募集」などの言葉が散らばっており、いかにも普通の求人とは違う匂いを放っている。
「実はな、こっちに変わった依頼が来てるんだ。聞いたことあるかもしれないが、イーシスが大規模に若い天才を集めてるって噂があってな。研究プロジェクトらしい。で、その募集枠にどうしても入りたいって奴がいる」
ハシムがそう切り出すと、ラファエルは少し興味を覚えつつも「イーシスに? そいつ、相当自信があるんだな」と毒づく。
ハシムは端末に書かれたテキストをスクロールさせ、ある名前をラファエルに示す。
「ディエゴ・ランフォードって富豪がいるだろ。この辺のコロニーじゃ珍しいくらいの金持ちでさ。そいつの息子、名前はユージン・ランフォード。親からすれば ‘うちの子はそこそこ優秀だから、イーシスの研究スタッフになれるはずだ’ って期待してるんだと。お前も噂くらい聞いたことあるだろ、ユージンがそこそこ頭いいって話は」
確かにユージン・ランフォードは地元の私学で優秀な成績を取っていると聞いたことがある。だが、イーシスの最先端研究に入るほどの天才とは思えない、とラファエルは内心感じていた。
「まあユージンってやつの評判は耳にしたが、別に天才ってほどじゃないだろ。誰もが認めるレベルじゃない。いくら親が金持ちだからって、イーシスが簡単に受け入れると思うか?」
「そこだよ、クライン。この富豪ディエゴが俺に頼んできたんだ。 ‘裏からどうにかイーシスの選考に通せないか’ ってな。俺もそんな無茶な…と思ったが、こいつはかなりの額を用意する気がある。俺としては儲けの匂いがするだろ?」
ハシムが巻きタバコをくゆらせながら言うので、ラファエルは苦笑する。イーシスの採用システムを裏からいじって合格させるという、とてつもなく危険かつ荒唐無稽な話だ。
「どうやって合格させる気だ? 公式の審査を誤魔化すなんて容易じゃないぞ。しかもダークマター関連の研究なら、なおさら厳しい目が光ってるだろうに」
「だよな。俺だって最初は門前払いするつもりだった。けど、ディエゴは ‘この子を入れたいんだ’ と必死なんだ。要は裏で経歴を盛ったり、データベースを書き換えたりしてどうにかするしかないって話さ。で、そんな作業を実現するにはお前の腕が必要だろう、となるわけだ」
ハシムが頷いて続ける。「このユージンって子、確かにそこそこ優秀とは言われてるが、正直エリカ・マリカ・マリックIV世みたいな天才と肩を並べる器じゃねえからな。だから裏技しかないと踏んでるんだろ」
エリカ・マリカ・マリックIV世…その名を聞くと、ラファエルは少し顔をしかめる。最近耳にするようになった若き天才研究者の名前だ。ダークマターリアクターの理論発見者マリカ・マリック、開発成功者エリカ・マリカ・マリックの血を継ぐという、とても由緒正しい家系の人物。四代目ともなると、生まれながらに優秀が保証されたような存在だと噂されている。
「その長ったらしい名前の四代目がイーシスに関わってるって噂は聞いたが…まあ、凡人が太刀打ちできるようなレベルじゃないな。ユージンとやらが同じ土俵に立つには、裏から手を回すしかない、ってわけか」
「そうそう。ディエゴは子供のためなら金を惜しまないし、結果が出ればボーナスだって弾むと言ってる。こっちはどうだ、クライン? やってみる価値あると思わないか?」
ラファエルは椅子を軋ませて立ち上がりかける。
「やめとけ。イーシスに裏工作なんて、どう考えても命知らずだろ。冗談も大概にしろよ」
するとハシムはおどけたように笑い、「ま、お前くらいの腕がないと難しいってのは分かってる。俺は単に商売したいだけさ。で、もしうまくいけばお前にもかなりの取り分があるぞ?」と提案を続ける。
確かに、成功すれば報酬が大きいのは想像に難くない。しかし、イーシスの採用システムを改ざんするなど下手をすれば逆探知され、その瞬間に人生が終わるリスクがある。
「それから、実はお前にも応募する手があるかもしれんぜ。なんて言うと笑われそうだが、実際イーシスは優秀な人材を広く探してるらしい。お前も頭が切れるから、案外いけるんじゃねえか?」
ハシムが茶化すように言うので、ラファエルは苦笑を漏らす。
「おいおい、冗談じゃねえ。俺みたいな裏稼業のハッカーをイーシスが受け入れるわけないだろ。ダークマターリアクターの研究って話だぜ? 俺が親父譲りの変人でも、そこまで大胆じゃないさ」
言葉こそ強いが、ラファエルはすでにノクトンという謎のシステムが頭を離れず、もし本当にイーシスの内部に入り込めば、その正体に触れられるかもしれない、という誘惑を捨てきれていない。
「ま、冗談でも考えてみろよ。地元のそこそこ天才のユージン・ランフォードを合格させる裏工作と、お前自身も応募するシナリオ、両方に余地はあるかもしれん。失敗したら知らんがな」
ハシムが笑う中、ラファエルは渋い顔をしつつ「こっちも検討しておく」とだけ言い、倉庫を出ていく。外の空気は相変わらず湿っぽく、薄曇りの天空がコロニーを重たく覆っている。
ユージン・ランフォードの裏口合格なんて荒唐無稽だが、それが大金になるならハシムとしては押し進めたいのだろうし、もし本当にやれなくはないなら、ラファエルにも思わぬチャンスが転がり込むかもしれない。
部屋に戻ったラファエルは、いつもどおりモニターを起動し、ノクトン絡みのログをチェックしようとするが、なぜか集中できない。ディエゴ・ランフォードの富豪っぷりも気にかかるが、それよりも「自分がイーシスの研究枠に応募する」という案が頭をちらついて仕方ない。
「馬鹿げてる。親父が聞いたら笑うか呆れるかだ。だけど…もしやれば、ノクトンの内部情報に近づける可能性はある」
つぶやきながら、乱雑に積まれた親父のノートを横目に見る。親父はダークマターを本格的に研究していたわけではなく、突飛なアカシックレコードの話に飛んでしまった人だが、彼の変人ぶりを知っているラファエルは「常識外の行動」に妙な親近感がある。失踪の理由は未だにわからないが、少なくとも冒険心が半端じゃなかったのだ。
「もしあのエリカ・マリカ・マリックIV世が本気でダークマター研究を推進するなら、イーシスの通貨管理を超えたインフラを狙うかもしれない。そしたらノクトンもどうなるか…」
口に出すと、少しずつ胸が高鳴る。ラファエルは慎重な性格を装っているが、親父譲りの奇想天外な挑戦を好む面も否定できない。今までは“ハッカーとして裏稼業を渡り歩くだけ”と思っていたが、意外にもイーシスに応募するルートがあるなら捨てがたい。
それに、富豪ディエゴに頼まれたユージンの裏口工作と組み合わせることで、さらに大金と裏情報が手に入るなら、悪くない話だ。極めて危険ではあるが、ノクトンへの道をこじ開けるには多少のリスクも必要だろう。
「親父のノートにあるアカシックレコードだの時間情報だのは、今のところノクトンに結びついてるわけじゃないけど…イーシスなら、そういう謎を秘めているかもしれないからな」
深夜になり、ラファエルは部屋の照明を落としたままモニターを見つめ、ぼそりと笑う。絶対安全な道など存在しないし、エリカ・マリカ・マリックIV世に自分が近づけるとは限らない。
それでも、ノクトンの真実にたどり着くために使える手段は何でも使うという思いが強くなっている。そもそも無謀な挑戦を好む性分は、シド・クラインから受け継いだのかもしれない、と少し苦笑する。
外では風が強く吹きはじめ、薄汚れた通路がカタカタと揺れる音がする。コロニーに吹く風はいつも冷たいが、今夜は一段と荒れているようだ。
それがまるで、ラファエルの心境を表しているかのようだった。近いうちにハシムへ返事をしなければならない。富豪の子供をどう合格させるか、あるいは自分自身が応募を実行するか、具体的に詰める必要がある。
「ま、まずはユージンとかいうお坊ちゃんのデータを見てからだな。本当に合格させられる見込みが少しはあるのか、ただの愚かな金持ちの幻想か」
ラファエルはそう呟き、画面に映る簡単な募集要項のコピーを開きながら、同時に親父の資料をちらと眺めて妙なやる気を燃やす。踏み込めば地獄を見るかもしれないが、それこそが人生最大のチャンスになるかもしれない。
こうして冷えきった辺境コロニーの夜は更けていく。外には誰の足音もなく、建物の金属壁が風に打たれてギシギシ鳴るばかり。
ラファエルは眠気を振り払い、未知の計画を頭の中で組み上げ始めた。イーシス、若手研究者、ダークマターの発展。そこにエリカ・マリカ・マリックIV世というややこしい名前の天才が絡む話は、容易にノクトンへ直結しないかもしれない。
それでも、やらなければ先は見えない。自分が応募するなど冗談の域を出ないが、ハシムに冗談も大概にしろと言いつつも、本気で考えてしまうあたりにラファエル自身の性分が出ている。親父シドと同じく、常識外れの挑戦には逆らえない血が通っているからだ。
夜が明けるまで、ラファエルは淡々とPCを操作し、ハッキングツールのテストを繰り返す。書類をどこで書き換えるか、どうやってユージンを合格させるか、さらには自分の経歴を偽装する手立てがあるか、夢中で思案する。
決して安易な道じゃない。だが、この先でノクトンへ続く扉が見えるなら、それはラファエルにとって親父との絆を取り戻す作業でもある。
そんな曖昧な期待を抱きながら、新たな騒動へ一歩足を踏み入れようとしていた。ビルの隙間から弱い朝日が差し込み、コロニーの雑踏がゆっくりと目覚めるころ、ラファエルの部屋にはまだ暗い熱が漂っている。
この奇妙な運命が、エリカ・マリカ・マリックIV世やノクトンへどのように繋がっていくのかは、まだ誰にもわからない。だが、次なる大きな動きが近づいている気配だけは確かに感じられた。
あとがき
◇ダークマター理論
本作の世界では、人類が宇宙へ進出する以前から、宇宙空間には暗黒物質が大量に存在しているという仮説が唱えられていました。ただし、その正体を解明するまでに非常に長い歳月を要し、理論の検証が困難だったため、当初は学界からも半ばオカルト扱いされていた時代があったのです。
しかし、ある天才的な研究者(歴史上のマリカ・マリック)によって「ダークマターの中には特殊なエネルギー成分が含まれており、適切な理論と技術を使えば抽出可能ではないか」という仮説が提示されました。この仮説がいわゆるダークマター理論の源流となります。
その後、多くの研究機関がこの理論を深め、膨大な資金と時間を注ぎ込んで実験を重ねた結果、ダークエネルギーを安定的に取り出す手法が確立されました。これがダークマターリアクターの誕生へつながった大きな一歩です。
理論の核心部分では、ダークマターが普段の物質や光を通さない“見えない存在”であるものの、特定の条件を整えれば内部に保持されたダークエネルギーを誘導・加速し、効率よく取り出すことができると説明されています。いわば未知の領域を数学と物理の交差点で“突破”したともいえる技術であり、本作の世界を支える大きな科学的基盤です。
◇ダークマターリアクター
ダークマター理論を基礎として、約4500年前に実用化された画期的エネルギー装置です。ほぼ無限に近いエネルギーを供給できるため、人類は一気に宇宙開発へと踏み出しました。それまで深刻だった資源やインフラの制約が解消され、軍事・経済・輸送などあらゆる分野が飛躍的に成長。ギャラクシーユニオンが成立した背景にも、この無尽蔵に等しいエネルギー供給が大きく影響しています。
ダークマターリアクターは、ダークマター内部のダークエネルギーを高速で抽出・変換する複雑な機構を持ちます。理論上は永続稼働できるとまで言われていますが、同時に安全管理は非常に難しく、建造には銀河規模の技術力と莫大なコストが必要とされています。
◇EL
銀河統一通貨。ギャラクシーユニオンが3000年前に誕生したのち、約2500年前から段階的に導入され、さらに1500年前に“完全固定価値”へと移行して現在に至ります。どの惑星でも同じ価値で流通する信用通貨であり、銀河規模の商取引を円滑にする基盤です。
エネルギーが豊富になったことで、惑星間の産業が拡大するにつれ、経済面の管理も複雑化しましたが、ELの存在が星々を一つの市場へと繋ぎ止める大きな役割を果たしています。
◇ELライブラリー
ギャラクシーユニオンによって設置された、分散型データセンターの総称。天の川銀河の五つの腕それぞれに拠点が置かれ、ELの取引履歴(EL・ログ)を相互補完的に保管しています。
もとは一か所で集中的に管理していた取引記録ですが、取引量が爆発的に増加したため、より強固かつ拡張しやすい分散管理へ移行しました。かつてのブロックチェーン技術を大幅に発展させ、改ざんを防ぎながら膨大な記録を効率よく保存しています。
◇EL・ログ
ELに関する全取引を記録する巨大データベース。銀行や証券、惑星間貿易など、銀河規模で行われるあらゆる取引が蓄積され、定期的にチェックサムが作られながら改ざんを防いでいます。
表向きは誰でも自分の取引履歴を閲覧できるようになっていますが、過去の全データに深くアクセスするには、高度な権限が必要です。現在はイーシスや専門家だけが“完全な”EL・ログを読み解けるとされています。
◇ノクトン
EL・ログの監視や解析を高度化させるための最先端技術ないしシステム。従来の分散管理をさらに一歩進め、改ざんや不正取引の痕跡をいち早く検知する能力を持つと噂されています。
イーシスの最高機密とされているため、その詳細は公表されていません。物語の舞台では、“実在するらしい”というレベルの極秘システムとして登場することが多く、その解析技術の正体は謎に包まれている状態です。
◇ギャラクシーユニオン
全銀河を統一する政治・経済連合。約3000年前に成立し、植民惑星や多種多様な文化を一元管理するための枠組みとして機能しています。
高度な議会制と官僚制を持ちつつ、各惑星の自治も尊重しており、通貨(EL)や安全保障、外交、文化交流など、多方面で絶大な権限を振るっています。現在の銀河文明の基礎を築いた中心的存在といえるでしょう。
◇イーシス(Interstellar Security Intelligence System)
当初はギャラクシーユニオンの経済安全保障部門として設立された組織でしたが、極端な独立性を獲得し、現在では銀河を超越する監視能力を備えた巨大機関です。
EL・ログの保護や不正防止だけでなく、サイバー攻撃対策や経済全体の安定維持を務めています。その徹底ぶりゆえに、“ギャラクシーユニオンすら制御できない”という噂が絶えず、物語においても大きな影響力を持つ存在として描かれます。
◇まとめ
本作の宇宙社会では、ダークマター理論によって生み出されたダークマターリアクターがエネルギー問題を解決し、人類は銀河規模の繁栄を手にしました。しかし、その恩恵に伴い経済の管理が膨大になり、やがてELが銀河統一通貨として採用された背景もあります。
ELライブラリーやEL・ログは、この銀河規模の通貨流通を支える要となり、さらにノクトンのような機密システムも加わることで、不正取引や改ざんをほぼ不可能にする体制が進んだとされています。
ダークマター理論は、宇宙に無数に漂うダークマターからエネルギー成分を安定的に抽出するための枠組みです。その研究は初め難航を極めましたが、最終的にはダークマターリアクターという画期的装置を生み出し、今の宇宙文明を大きく変革しました。エネルギー不足が克服されたことで、人々は遥か彼方の惑星へ移民し、銀河規模の経済圏を形成するまでに至ったのです。
しかし、銀河文明が発展する一方で、通貨システムの管理や不正防止には常に新たな課題が生まれます。ギャラクシーユニオンが設立したイーシスは、その最前線で活動し、ELの安定を死守する役割を担ってきました。ノクトンは、その活動をさらに強固にするための秘匿技術とも言われますが、詳細は明かされておらず、物語では大きな謎をはらんでいます。
本作では、こうした背景設定を下地に、登場人物たちがダークマターやELをめぐる謎へと迫り、それぞれの思惑や運命を交差させていきます。ダークマター理論が描いた夢を、銀河の経済や通貨がどのように受け止め、そしてノクトンの秘密が物語にどう絡むのか――そこが読みどころとなっています。