第一話:二つの運命、光と影のはざま
第一話:二つの運命、光と影のはざま
ラファエル・クライン。
彼は星の光すら届きにくい辺境コロニーの、見るからに薄汚れた雑居ビルの一室に身を潜めている。そこは空調の音だけが低く唸り、窓の外を見ても錆びついた防壁や汚れた金属製の通路が視界を塞ぎ、昼夜の区別すらあいまいな場所だ。
部屋には大小さまざまなモニターが何台も並び、計算処理用の装置や旧式のサーバが積み上げられている。辺境故に新型機器を正規に入手しにくい一方、黒市を通じて裏ルートで仕入れた部品が混在し、彼独自のカスタマイズが施されていた。配線は絡み合いながらも精密にレイアウトされ、必要に応じて電源やネットワークを切り替えられるようになっている。その様は、混沌の中に秩序を見出すハッカーらしい美学を感じさせる。
ラファエルの家系はもともと学術の世界に身を置いていた。父親はかつてギャラクシーユニオンの技術研究機関で、ダークマターリアクターや量子通信など最先端分野の一部を担当していたと噂されている。しかしその研究成果が正当に評価される前、何らかのトラブルを理由に辞職し、いつの間にか姿を消してしまった。ラファエルは幼い頃から父親の残した機材や研究ノートをいじり倒し、学校教育では到底カバーしきれないレベルの知識を自然に吸収していった。
正式な学位や資格は持たないが、彼の情報工学や暗号理論への造詣は恐るべき深さを誇る。その秀でた才能は、辺境コロニーの小規模ネットワークを守る仕事から始まり、闇取引の“セキュリティ”を請け負ううちに開花した。いまでは“どんな通信やデータも覗ける”とまで噂され、暗部の情報屋としての地位を確立している。
ただし、ラファエルは単なる犯罪者や裏稼業の技術屋とは異なる。彼の動機には好奇心や探究心が大きく、危険であればあるほど面白いという価値観を持っているようだ。ギャラクシーユニオンの中枢を牛耳るシステム、イーシスの厳重な監視網、そして銀河を支えるELの巨大インフラ……そうした“突破困難”と言われるものにこそ興味が湧き、つい手を伸ばしてしまう。
辺境の闇を遊び場とするラファエル。しかし彼が手を伸ばしているのは、いつかその暗闇を超え、銀河の中心にまで届くかもしれない漆黒の糸だ。
薄青いモニターの光に照らされる横顔には、満たされない何かを求める影がうっすらと浮かんでいた。
エリカ・マリカ・マリックIV世。
時を同じくして、銀河の中心たるオリオン腕の巨大都市圏では、一人の若きエリートが周囲の注目を集めていた。
エリカは銀河有数の名門として知られるマリック家の出身。マリック家は古い貴族の血筋を持ちながら、時代の変遷とともに政治や学術の分野で頭角を現し、その優秀さを代々証明してきた一族である。エリカも幼い頃からその才覚を示し、名門学校を首席で卒業しながらも、さらなる高度研究に没頭。二十代半ばにして、ギャラクシーユニオンの重要機関に出入りする資格を持つほどの実績を積んでいる。
現在、エリカはイーシス関連の情報分析を担当する特別チームに籍を置き、必要があればギャラクシーユニオンの会議にもオブザーバーとして参加する立場にある。イーシス──それは銀河統一通貨ELと、取引データの管理・監視を行う超巨大組織だ。宇宙全体の経済安定を左右する存在であるがゆえ、相応の信頼と能力がなければ容易に触れられない領域でもある。
エリカは端正な顔立ちと気品ある所作を持ちながら、その内側には透徹した理論思考と豊かな発想力を秘めていた。問題解決において妥協を許さず、誰もが気づかない視点を一瞬で把握してしまう。周囲は彼女を「クールな才女」と評するが、それを鼻にかける様子はない。あくまで自身の仕事を淡々とこなし、結果で応える姿勢を貫いている。
その日、オリオン腕の中心都市にそびえる行政ビルの高層階で、エリカは休憩がてら部屋の窓際に立ち、遠くの景色を眺めていた。透明素材の大きな窓からは、幾重にも連なる高層ビル群と行き交う空中シャトルの光が視界を埋め尽くしている。まるで星空を地上に再現したかのような輝きだ。ここでは夜ですら灯りが途切れることはない。
「私はまだ足りないわ……」
彼女は心の中でそう呟く。自他ともに認める優秀さを誇りながらも、“さらなる高み”を望む探求心が消えることはない。イーシスの分析官という仕事に就いたのも、銀河の根幹を形作るELやその経済システムを深く理解し、将来的にはより大きな変革をもたらすためのステップという面があるからだ。
今のところ、職場でも順風満帆そのものであり、少なくとも表向きの人生では大きな挫折を味わうこともなく、周囲の期待を一身に受けている。しかも彼女の実力は確かで、上層部からの信頼も厚い。文字通り“日の当たる場所”に立つことが当たり前になりつつある。
だが、そのまばゆい光を受けながらも、彼女の胸の奥には漠然とした“物足りなさ”があった。テストで最優秀の成績を取るのが当然という幼少期を経てきたが故に、自分が生涯をかけて本当に打ち込みたいものを見つけられているか、確信しきれないのだ。その日常に揺れる思いを、エリカは表情一つ変えずに押し込めていた。
辺境の薄暗い部屋で夜を生きるラファエルと、銀河の中心で眩い光を浴びるエリカ。
二人はともに“天才”という資質を持ちながら、まったく異なる世界で呼吸し、それぞれ別の夢や欲望を抱えこんでいる。ラファエルは社会の裏側を知り、その闇でこそ自分が生きる理由を見出している。一方でエリカは、誰もが羨む境遇を得ながらも、心の奥底でさらに先へ進む道を模索し続けていた。
現段階では、両者の人生に大きな波乱はない。ラファエルは今日も変わらずモニターに張り付き、興味深いコードやデータがあれば躊躇なく解析する。エリカは午前中にイーシス関連の会議へ参加し、午後にはデータレポートをまとめ、部下たちに指示を与えてから意欲的に新しい技術文書に目を通す。
表面的には全く交わるはずのない二つの道。しかし、銀河を支えるメインシステムやEL・ログをめぐっては、ふとしたきっかけで誰かの足音が重なる可能性がある。あまりにも広大な銀河に比べれば、二人の生き方はほんの小さな点だが、やがてその点同士が結びつけば、大きな“線”となって動き出すかもしれない。
まだ物語は始まっていない。事件もなく、災厄もなく、目立ったドラマの波は立たない。しかし、二人の内面に芽生えた“予感”はかすかに膨らんでいる。ラファエルが隠然たる闇を覗き込み、エリカが光の舞台でふと違和感を抱き始めたとき、それらがほんのわずかな歯車の噛み違いとして、銀河規模の変化へ連鎖するのかもしれない。
そうとは知らず、それぞれの道を歩む二人。ラファエルは冷たいモニターの光の下に潜み、エリカは高層タワーから降り注ぐ黄金の光に包まれている。遠く隔たった闇と光。それはまだ交わらない。けれど、いつの日か運命が二つの軌跡を交差させる瞬間を迎えるだろう。
これは、その始まりにも満たない物語の序曲。嵐の前の、静かで穏やかな風景でしかない。
◇ダークマター理論
本作の世界では、人類が宇宙へ進出する以前から、宇宙空間には暗黒物質が大量に存在しているという仮説が唱えられていました。ただし、その正体を解明するまでに非常に長い歳月を要し、理論の検証が困難だったため、当初は学界からも半ばオカルト扱いされていた時代があったのです。
しかし、ある天才的な研究者(歴史上のマリカ・マリック)によって「ダークマターの中には特殊なエネルギー成分が含まれており、適切な理論と技術を使えば抽出可能ではないか」という仮説が提示されました。この仮説がいわゆるダークマター理論の源流となります。
その後、多くの研究機関がこの理論を深め、膨大な資金と時間を注ぎ込んで実験を重ねた結果、ダークエネルギーを安定的に取り出す手法が確立されました。これがダークマターリアクターの誕生へつながった大きな一歩です。
理論の核心部分では、ダークマターが普段の物質や光を通さない“見えない存在”であるものの、特定の条件を整えれば内部に保持されたダークエネルギーを誘導・加速し、効率よく取り出すことができると説明されています。いわば未知の領域を数学と物理の交差点で“突破”したともいえる技術であり、本作の世界を支える大きな科学的基盤です。
◇ダークマターリアクター
ダークマター理論を基礎として、約4500年前に実用化された画期的エネルギー装置です。ほぼ無限に近いエネルギーを供給できるため、人類は一気に宇宙開発へと踏み出しました。それまで深刻だった資源やインフラの制約が解消され、軍事・経済・輸送などあらゆる分野が飛躍的に成長。ギャラクシーユニオンが成立した背景にも、この無尽蔵に等しいエネルギー供給が大きく影響しています。
ダークマターリアクターは、ダークマター内部のダークエネルギーを高速で抽出・変換する複雑な機構を持ちます。理論上は永続稼働できるとまで言われていますが、同時に安全管理は非常に難しく、建造には銀河規模の技術力と莫大なコストが必要とされています。
◇EL
銀河統一通貨。ギャラクシーユニオンが3000年前に誕生したのち、約2500年前から段階的に導入され、さらに1500年前に“完全固定価値”へと移行して現在に至ります。どの惑星でも同じ価値で流通する信用通貨であり、銀河規模の商取引を円滑にする基盤です。
エネルギーが豊富になったことで、惑星間の産業が拡大するにつれ、経済面の管理も複雑化しましたが、ELの存在が星々を一つの市場へと繋ぎ止める大きな役割を果たしています。
◇ELライブラリー
ギャラクシーユニオンによって設置された、分散型データセンターの総称。天の川銀河の五つの腕それぞれに拠点が置かれ、ELの取引履歴(EL・ログ)を相互補完的に保管しています。
もとは一か所で集中的に管理していた取引記録ですが、取引量が爆発的に増加したため、より強固かつ拡張しやすい分散管理へ移行しました。かつてのブロックチェーン技術を大幅に発展させ、改ざんを防ぎながら膨大な記録を効率よく保存しています。
◇EL・ログ
ELに関する全取引を記録する巨大データベース。銀行や証券、惑星間貿易など、銀河規模で行われるあらゆる取引が蓄積され、定期的にチェックサムが作られながら改ざんを防いでいます。
表向きは誰でも自分の取引履歴を閲覧できるようになっていますが、過去の全データに深くアクセスするには、高度な権限が必要です。現在はイーシスや専門家だけが“完全な”EL・ログを読み解けるとされています。
◇ノクトン
EL・ログの監視や解析を高度化させるための最先端技術ないしシステム。従来の分散管理をさらに一歩進め、改ざんや不正取引の痕跡をいち早く検知する能力を持つと噂されています。
イーシスの最高機密とされているため、その詳細は公表されていません。物語の舞台では、“実在するらしい”というレベルの極秘システムとして登場することが多く、その解析技術の正体は謎に包まれている状態です。
◇ギャラクシーユニオン
全銀河を統一する政治・経済連合。約3000年前に成立し、植民惑星や多種多様な文化を一元管理するための枠組みとして機能しています。
高度な議会制と官僚制を持ちつつ、各惑星の自治も尊重しており、通貨(EL)や安全保障、外交、文化交流など、多方面で絶大な権限を振るっています。現在の銀河文明の基礎を築いた中心的存在といえるでしょう。
◇イーシス(Interstellar Security Intelligence System)
当初はギャラクシーユニオンの経済安全保障部門として設立された組織でしたが、極端な独立性を獲得し、現在では銀河を超越する監視能力を備えた巨大機関です。
EL・ログの保護や不正防止だけでなく、サイバー攻撃対策や経済全体の安定維持を務めています。その徹底ぶりゆえに、“ギャラクシーユニオンすら制御できない”という噂が絶えず、物語においても大きな影響力を持つ存在として描かれます。
◇まとめ
本作の宇宙社会では、ダークマター理論によって生み出されたダークマターリアクターがエネルギー問題を解決し、人類は銀河規模の繁栄を手にしました。しかし、その恩恵に伴い経済の管理が膨大になり、やがてELが銀河統一通貨として採用された背景もあります。
ELライブラリーやEL・ログは、この銀河規模の通貨流通を支える要となり、さらにノクトンのような機密システムも加わることで、不正取引や改ざんをほぼ不可能にする体制が進んだとされています。
ダークマター理論は、宇宙に無数に漂うダークマターからエネルギー成分を安定的に抽出するための枠組みです。その研究は初め難航を極めましたが、最終的にはダークマターリアクターという画期的装置を生み出し、今の宇宙文明を大きく変革しました。エネルギー不足が克服されたことで、人々は遥か彼方の惑星へ移民し、銀河規模の経済圏を形成するまでに至ったのです。
しかし、銀河文明が発展する一方で、通貨システムの管理や不正防止には常に新たな課題が生まれます。ギャラクシーユニオンが設立したイーシスは、その最前線で活動し、ELの安定を死守する役割を担ってきました。ノクトンは、その活動をさらに強固にするための秘匿技術とも言われますが、詳細は明かされておらず、物語では大きな謎をはらんでいます。
本作では、こうした背景設定を下地に、登場人物たちがダークマターやELをめぐる謎へと迫り、それぞれの思惑や運命を交差させていきます。ダークマター理論が描いた夢を、銀河の経済や通貨がどのように受け止め、そしてノクトンの秘密が物語にどう絡むのか――そこが読みどころとなっています。