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面倒なお願い(2)




「あれこそ、僕の一番の思い出ですよ。ミュエさん」


「はあ?」


 言葉を疑うことすら馬鹿らしくなる喜色満面に、ミュエは心底理解できないという声をあげた。ロマジカの森で、メデューサの姿を見たのだ。妖精を威圧し、森を蹴散らし、木々に木霊する声は思い出ではなく、悪夢そのものだったはず。ミュエの正体を他言しないことをその日のうちに神とも等しい大魔法使いに誓ったアーランドは、この話題をタブーと思っていたが、ミュエからの口切りに少し安堵したようだった。


「恐ろしいものは、だいたい美しくもあるんです」


「出た。魔法師ってのは、だいたい頭がおかしいんだ」


「魔物たちは逆ですよね。儚いものほど美しいと思うんだって、昔教育機関に捕らえられた吸血鬼が言っていました」


「やっぱり頭おかしいじゃないか……。というか吸血鬼は魔物じゃない。魔族だ」


「え、魔族は七大悪魔だけじゃないんですか?」


「はあ? お前たちはどんだけ悪魔が怖いんだよ」


 ミュエは呆れて頬杖をついた。


 魔族と魔物の呼び分けは、ほとんど暗黙の了解だった。魔族に対し魔物と言えば非常識であり、魔物に対し魔族と呼ぶことはままごとのようなもの。一般的に魔族とは人間の形を取れるほどに強く、知恵もある種族を指し、魔物の中でもごく一部の種族しかそう呼ばれてはいない。魔族は生まれながらに魔族だ。生殖機能を持っている個体は、ほとんどが魔族である。魔物は自然発生するか、命を与えられるか、そのどちらかで生まれるものだ。


 だから、と言うわけではないが、魔族に対して魔物と呼ぶことはあまりにも無知なことという認識がミュエにはあり、つい正してしまったのだ。アーランドたち魔法師、人間はそんな常識を知っているはずもなく、教育機関で七大悪魔を魔族と呼ぶという話を聞いたミュエは、彼らを知っているからこそつまらない教えだな、と呆れてしまった。


「悪魔を討伐するだけの組織もあるくらいですよ。人間は基本的に、悪魔が怖いんです」


「下級なのは知らんが、上級になればなるほど人間に手は出さんぞ。お前らが思うこわぁい七大悪魔ならなおさらだ」


「なぜ?」


 アーランドは講義を聞く生徒のように、自分の知らない知識を語るミュエに夢中になっている。当の本人は昔話を聞かせるような気軽さ、態度の悪さで、アーランドがなぜ前のめりになっているのかもわからない。


「決まっている」


 と、言っておきながら、ミュエにはアーランドにはついぞ思いつかないことだろうな、と感じていた。常識が違う、知識に差がある、考え方が根本から異なる生き物。闇の中で生きるものたちでしかわからない感覚。


 テーブルについた肘で上半身を支え、椅子に膝をついてミュエは身を乗り出す。きゅっと細くなった双眸の間を通る前髪が、黄金で照らされているようだった。


「お前たちは鶏や豚を殺して、誰に自慢ができる?」


 悪魔にとって、人間とはそれほど矮小な存在だ。取るに足らない、地面を這う蟻のようなもの。


「お前たちが捕らえたという吸血鬼も、長い人生の娯楽として旅行しているに過ぎん。私たちとお前たちは、それほどに生き方が違うんだよ」


 ミュエは小さな手をひたり、とアーランドの頬に添えた。温かい部屋の中で、ミュエの手はしっとりと冷えており、アーランドは目の前の恐ろしく美しいものが吐く毒が心臓を跳ねさせるのを感じていた。

 しかし、顔には出さない。ふっと笑ったその表情は、ミュエがいつも嫌そうにするものと同じだった。


「違うんです、ミュエさん」


 冷たい手を上から包み込み、アーランドは怪訝そうな顔をするミュエを見つめた。


「その吸血鬼、うちの教育機関の機関長に恋しちゃったらしくて」


「……は?」


「だからわざわざ捕まって、うちに見世物になりにきたんですよ。部屋は機関長の隣で、部屋の壁をぶち抜いた日には魔法で身動きできないようにされてました」


「魔族の恥だなそいつは」


 気位が高い吸血鬼の情けない姿を想像したミュエは顔を引きつらせ、頬を寄せてくるアーランドから手を引き抜いた。


 本人の目の前で手のひらを服で拭うミュエに、「それで?」とアーランドは続きを促す。ミュエはなんのことかわからず片眉を上げた。


「聞きたいことがあるんでしょう。僕でよければ、何でも聞きますよ」


 ぱちん、と大きな瞬きは図星だと言わんばかり。見開いた目でしてやったり顔のアーランドが首を軽く傾げる仕草を認めると、椅子が後ろに傾くほどに勢いをつけて遠ざかる。宙を舞う髪が床につくと、音に驚いたマンドラゴラがたちまち床を踊り始めた。

 いつもならば微笑ましいその光景に笑うこともできない。見透かした表情に噛みつきたくなるが、それではらちが明かないのは明らかだ。赤ん坊のほうをちらりと見ると、すかさず「赤ちゃんがどうかしました?」と食い気味に言葉を続けてくるのは、もしかしたら嫌がらせなのかもしれない。


「……名前」


 渋々と重たい口を開くと、アーランドは首の角度を大きくした。ほとんど直角を向く位置から覗き込むように見られ、ミュエは唇を尖らせた。テーブルで組んだ指が落ち着かない。


「名前だよ。三つ子の」


「えっ、まだつけてないんです?」


 名前を悩んでいることに共感してもらえるかと思っていたのに。

 ミュエは裏切られた気持ちで身体の向きを変えてそっぽを向くと、アーランドは慌てて椅子から立ちミュエの正面に回る。ミュエさん、と呼んでも顔を背け、聞こえていないふりが下手なくせに強情さを知っているので、刺激しないことを第一にご機嫌取りにへりくだる。


「名前って大切ですもんね」


 ミュエは答えない。


「生まれて一番最初に与えられるのは自然からは光、人間からは名前と言われています。親であるミュエさんは、責任もあるでしょう」


 ミュエが視線を一度だけアーランドに寄越した。

 床についた膝を前に出すとマンドラゴラにぶつかったが、謝るより先にこの隙を逃すわけにはいかない。


「僕でよければ力になりますよ。アーランドの名前の由来とか教えますし、一緒に考えるくらいはできますから」


「言ってみろ」


 背もたれに腕を垂れさせ、よりかかり、気怠げでありながら偉そうな態度は、少女の容姿をしているのにやけに似合っている。赤の輪を中心に持つ黄金の目に促され、アーランドは素直に話した。


「僕は、魔法師で親戚中の英雄扱いだった祖父の名前をもらっただけです。祖父のように逞しく、強く、高潔であれ、と。父親は魔力がなかったので、願いが込められ、この名前のおかげで魔法師になれたとまで言われています」


「ほう……襲名したのか」


「姉は曾祖母の名前をもらいました。曾祖母は歌で財を成した方で、産声が小さかった姉がこれから歌えるくらいに元気に育つように、と願いが込められているそうです」


「そういう習わしか?」


「はい。祖先の名前をもらうことで豊かな人生が送れるだとか、祖先の加護を貰えるだとか、いろいろ言われています」


 興味深そうに顎を撫でるミュエはもう機嫌が直っていた。



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