面倒な依頼(6)
「チェンジリングというものがある」
身寄りのないリリーに金を出し、墓を作れと申し出たのはミュエだ。葬式も十分に行い、ようやく足を運んだそこにアーランドはいた。
「チェンジリング。妖精の取替え子というやつですよね」
「あぁ。本当は、もっと、妖精を怒らせず、あいつに危険がないようにする方法を調べていたんだが……もう、限界だったろう。あいつの一番の望みは、胎児を生かすことだった」
「あなたは自分を責める必要も、後悔する必要もありません。リリーさんの望みがその通りだったことを僕も知っています。そして、母体も、胎児も、両方を助けるのは難しかったことも。人の摂理に逆らった行為だったことも」
ミュエの家には、妖精が置いて行った子どもが眠っている。アッシュボーンの灰をつけて妖精避けをした子ども二人も、デューが面倒を見ている。
チェンジリングは、妖精と人間の子どもが取り替えられる魔物の悪戯だ。妖精のなんらかの思いがあり起こる自然現象。それを強制的に起こさせるために、ミュエは妖精を刺激した。変身までせずともメデューサとしての威圧をかけながら森を徘徊し、妖精が集まりやすい泉に痕跡を残した。生存本能が働いた妖精は子を成し、子どもをメデューサの縄張りから安全な場所へ逃がすためにチェンジリングを行うだろうと、ミュエは考えて、計画を練った。
調べれば調べるほどに多胎児の生存確率の低さ、出生後の死亡率を目の当たりにし、万が一のために備えていたのだが、もっと早くに薬で出産を促進させ、チェンジリングを行っていれば……いや、早すぎると胎児の成長に影響が出てしまう。
「ミュエさん」
力の入っていた拳にアーランドがそっと触れた。
「……私が何か知ったろう」
「はい」
「怖くはないのか」
「はい。不思議と」
「飄々としても、あの日のお前の狼狽えようは忘れんからな」
ふん、と鼻を鳴らして、ミュエはアーランドの手を振り払った。手向けられた花が風に揺れ、その量の多さからリリーが多くの人に愛されていたことがわかる。美貌ゆえに運がなかった。愛人にさえならなければ、まだ息をしていただろうに。
後悔しても、祈っても、死んだ人間をよみがえらせることは決してできない。ミュエはリリーの安息を願い、墓に背を向けた。そのまま家へ戻ろうとしたが、アーランドがどこまでもついてくるので玄関の前に振り返る。何を考えているかわからない軽薄な笑みを睨むと、両手を上げて「だって」と理由を述べる。
「子どもたち、ミュエさんが育てるんでしょう?」
「……あいつが、私にそう言ったからな」
「それはいいんですが、いろいろ大変でしょう。魔物は戸籍がないし、人手……はあるかもしれませんが、手続きとかが。僕、ねえ、ミュエさん」
腰を屈め、顔を近づけるアーランドにミュエは背を反らす。ドアに頭がぶつかり逃げられない距離で、アーランドはあっけらかんと「僕、お父さんになってもいいなって、思ったんですよ」と、言う。
それはミュエにとってまったくの青天の霹靂だった。
俯いて震える肩にアーランドがそっと手を置こうとすると「馬鹿が!」という罵声と共に手を払いのけられる。
「私は南部に戸籍がある!」
「えっ」
魔物に? と目を丸くしたその顔を平手でたたいた。
「ついでに言うと!」
容赦のない力で頬を打たれ、横殴りに倒れたアーランドは尻もちをついてミュエを見上げる。唇を尖らせて不服そうな、恥ずかしそうな顔は、二年近く付き合って初めて見るものだ。
「私は、既婚者だ!!」
既婚者。結婚している人。配偶者がいる。
「えっ」
「夫に呪い殺されたくなければ、さっさとどっか行け! 馬鹿!」
「ちょ、ミュエさっ」
アーランドが縋る間もなく、ミュエは家の中へ消えてしまう。白く丸い頬を桃色に染めた横顔は、とうてい結婚とは結び付かない幼さだったが、よくよく考えれば彼女はアーランドよりも長く生きる魔物なのだ。見た目など関係ない、と思いながらもなかなか受け入れられない。
「え、ぁー……」
その意味を今更知って、アーランドは後ろに倒れ、無邪気に笑った。
ミュエの日常は赤ん坊三人によって一変した。朝は明るくなる頃に起き、ぐずる子どもたちの揺りかごを揺らす。休む間もなく泣き叫ぶ赤ん坊にどうしても腹が立ってしまうこともあるが、リリーはミュエに『この子たちをよろしくね』と言ったのだ。乗り掛かった舟を下りるほど薄情ではないし、なにより妖精の子どもは注意しなければ人間に迫害されることも、魔物に攫われる恐れもある。最初から妖精の子はミュエが引き取る覚悟をしていたが、人間の子ども二人も加わると賑やかで仕方ない。
デューは紅茶の用意を忘れてミルクを準備し、マンドラゴラは赤ん坊のいい遊び相手兼おもちゃになっている。アッシュボーンは赤ん坊に怯えて出てこないが、眠っている間にそうっと揺りかごを揺らしていることをミュエは知っている。屋根を寝床にしているドラゴンも、窓から尾を覗かせておもちゃになっているようだ。
リリーの家から持ってきた子ども用のタオルや服を眺め、ミュエは不器用に針を生地に差す。柔らかな生地でできた、リリーのワンピースに施されていたレースを外し、子どもたちの服に縫い付けているのだ。血に濡れたワンピースが捨てられそうなところをアーランドが預かり、持ってきたときにはどうすることもないと思っていたが、思い出を残したいなどと、刹那にしか生きられない人間を理解した気になって、ミュエは指先に針を刺す。
ちょっとやそっとじゃ血も出ない身体だ。
子ども二人と妖精一人、育てるくらい長い人生の一瞬にしかならない。
「……お前がいなくなって、こんなに賑やかなのは久しぶりだ」
誰に言うでもなく、呟く。縫う手が止まっていたミュエに時間を気付かせたのは、眠っていたはずの子どもの泣き声だ。ぎゃんぎゃん、夜も逃げ出しそうな声はいつしか三人分になり、ミュエは苦笑して赤ん坊に近付く。
二対の碧眼と、一対の緑の目が純粋にミュエを見上げていた。
「暇潰しだ。……ただの、暇潰し」
指を差し出せば嬉しそうに笑う、ミルクの香りがする額へキスをした。
きっとこれが、リリーのしたかったことだろうから。