招かれざる客
アーランドが旅立って、数週間。
畑の作物は成長したが、赤ん坊はまだ何も変わらない。
毎日少し話しかけているものの言葉を覚える気配もなく、ミュエはゆりかごに頬杖をついて些細な変化がないか観察して日記をつけることが日課になった。
ミュエが部屋にこもる間は魔物たちが面倒を見てくれる。
デューもマンドラゴラも世話に慣れて、ずいぶんと上手にあやすのだが時折ミュエでなくては手が追えないほどにぐずることがある。
めんどうなことだ、と文句を言いながら、柔らかな生き物を腕に抱えた時の温かさ、におい、ぱっちりとした目から送られる無垢な視線に穏やかな気持ちになる。
ミュエの容姿のせいで傍から見れば少女と赤ん坊という組み合わせにしか見えないが、指先がふっくらとした頬を撫でる仕草には母性が溢れていた。
そんな平和な日々を襲ったのは、食料問題だ。
アーランドが滞在していた頃はヤギのミルクを街から届けてもらっていたのだが、今となっては橋渡し役の人間が消えたことで供給路が途絶えてしまっている。
ミュエの水の魔力で冷やしていたミルクが、底を尽きた。
「……わかってる。見てくるな」
空になった瓶を見せつけるように抱えているデューが煩わしくて、最後のミルクを飲んで満足そうなエマーリリーをゆりかごに置く。
ミルクが少ないぞ、と何度も進言していたデューからしてみれば、自身の忠告を無視し続けたミュエに対し、なんど警告しても足りないと学習しているのだろう。
しっしっ、手で追い払っても頑なに空の瓶を離さない。
ミュエだって危機感を抱いている。
もしかすると、魔族の血を濃く引くハロヴは他の食べ物で賄えるかもしれないが、おそらくほとんど人間であるエマーリリーは人間と同じ栄養源を与えたほうがいいはずだ。
ミルク、離乳食、と段階も人間に倣うほうがいい。
重なっている本から赤ん坊の成長段階を学んだミュエは月齢もきちんと記録して離乳食までの計画を立てているのだが、その段階に至る前に大きな問題にぶつかり、ため息を吐く。
とっとと街に出てミルクを買えばいい話ではあるが、ミュエは街で浮いている。
そして、人間と話をするのが苦手である。
歴史上でも魔物と人間という共存できない存在が多く関わることを、ミュエは嫌っていた。
アーランドが特殊だっただけで、ミュエは元々街と交流するつもりは更々なかったのだ。
だが、子育てをする以上、そして協力者がいない以上、ミュエ自身が行動するしかない。
「ミルクをください……。この瓶を持っていけばいいのか? それとも、金を……そうだ。薬を売らないと、金も手に入らないじゃないか」
ハッとする。
今までの人間らしい生活を支えていた男がいなくなった損失は大きかった。さみしさよりも、腹立たしさがむくむくと膨らむ。
テーブルに頭を抱えて突っ伏し、ミュエはうなる。
ばたばたと暴れる足がマンドラゴラを蹴り飛ばした。
アッシュボーンが心配そうにミュエに近付くと、赤ん坊にすっかり甘くなったデューが灰を踏みにじってアッシュボーンを制する。
ざりざりと木と灰が擦れる音が悲鳴のように響く。
ミュエは奥歯を噛み締め、大きく息を吸って立ち上がった。
足音を立てながら部屋へ向かい、マントを手に取ったのと、アッシュボーンの炎が燃え上がるのは同時だった。
めらめらと、アッシュボーンが赤く炎を揺らしている。
誰かが、橋に足を踏み入れた――。




