胡散臭い笑い(6)
部屋に充満している煙草を咥えているのは、真っ赤な口紅を塗った唇。深く刻まれた皺の形に化粧がよれている女は、動きを妨げるほどに多くの宝石で着飾っていた。
香水の匂いの出どころはわからない。ベッドに横たわる虫の息の老人から漂う死の匂いを誤魔化すためにつけらえているのか、女の趣味なのか。
そしてそれを世間話にするには、魔族には退屈すぎるだろう。
部屋の端にあるベッドと対極の位置にある窓の近くに魔族の男は座っていた。その足元に縋るように女が転がっているが、魔族の男の視線は遠くにある。方角を考えると、そこには街がある。
リリーの墓地もある。
「お前があの子の父親か」
「死んだんだろ。わかるよ。魔族は番のことなら離れていてもわかる」
「多胎だったのは犬のせいか」
「僕の子どもを孕むと死ぬよってちゃんと伝えたうえだった」
それでも、リリーは選んだ。
この緑の目をした、金色の毛皮の男を。
「あの子は笑っていたよ。もし私のお腹から獣人の子どもが産まれれば、きっと街のみんなも、領主も、あの女も困るだろうって。皆殺しかもね、って」
ミュエには到底信じられない話だったが、魔族の男の瞳は静かで騙そうという魂胆は見えない。ただリリーの笑顔だけは鮮明に思い浮かべることができる。
領主の元へ行ってから英雄扱いとなった少女。それまで、どのように生活をしていたのだろう。美人というだけで同性からは妬まれ、異性からは下衆な目で見られたのだろうか。そして売られるようにしてここに来て、また同様に、男と女の痴情の縺れに巻き込まれた先で、魔族の手に堕ちたのか。
「お前はどうしてここにいる」
魔族は基本的に人間と関わらない。どうでもいいからだ。
人間の生活に紛れ込もうとする話は多くは聞かない。法律や規則にわざわざ縛られたいと思う物好きはそういない。
純粋な疑問としてミュエが投げかければ、男はため息を吐いた。
「この女が僕に惚れたんだ」
領主の妻と思わしい女は、ひたすらにただ一つの名前を呼んでいる。遺言を残すような必死さで、掠れた声を気味が悪いほどに甘くして。
女が惚れるのも仕方がないほどに魔族の男は美しかった。ミュエの目からみてその造形が整っていると感じるのだから、アーランドいわく恐ろしいものが美しいとい感性を持つものならば惹かれるのは仕方がないのだろう。
人間とは異なる容姿が人形のようにさえ見える。
「ずいぶんともてなすからここに居座っていれば、しばらくしてあの子がやってきた」
魔族の男は表情を柔らかくする。
領主の妻は、一度口を閉じた後に金切り声をあげて拳を床に打ち付ける。
「人間にも綺麗な子がいるんだね。僕と初めて会ったとき、あの子なんて言ったと思う? 街のひとたちみんなを殺せませんか? だよ。にこりと笑ってさ、痩せっぽちの弱い人間が、溢れ出すほどの憎しみを育ててた。
でも、僕はそれを断った。面倒だったし。そしたら次に僕の子どもを孕みたいって言った。僕のことが好きじゃないのになんでって思ったよ。人間は絶対死ぬって思ったから。色々伝えた上で、でもあの子は僕の子どもがいいって言ったんだよ。そしたらさ、――いつか自分の子どもが、人間を殺す魔族になるかもしれないからって、笑うんだよ。笑ってばっかりだったな。それしか知らない、人形みたいに」
自分よりも子どもを優先したリリー。
アーランドも、街の誰も知らないリリー。この魔族の男だけが知っている、少女。
どれが本当だったのかわからない。が、きっとこの男が知る少女こそが、リリーだった。
「僕の子ども、生きてるよね」
「あぁ」
「なんできみみたいなのの手にいるのか知らないけど、いつか返してもらうから」
ミュエは眉を顰める。
話を聞く限り面倒事を嫌いそうな性格と思っていたが。
返事をしないミュエに眉を顰めたのは男も同じだった。犬の耳が威嚇の形になる。
「あの子と子どもを返さないつもり?」
「返してどうなる。こんなクソみたいな場所で育てる気か? 魔族のお前が。一人は獣人の血を継いでいても他は違う。魔族の男一人で、育てられるわけがない。」
直接的に貶しても男は笑うだけだった。
その唇の角度が少しだけリリーに似ていると思った。魔族にしては人間くさい。
「なんのために僕がここにいると思ってるの」
男は語る。
もうすぐ、領主と妻が死ぬ。そうしたら自分が次の領主に成り代わって街を統治する。そのときには必ずリリーと子どもと一緒にこの豪華な場所で暮らすのだと。
炎属性の魔族は封印にも詳しいらしく、自分の魔族の特徴を封じて人間になりすますことは容易だと語る。
そして、この方法を教えてくれたのはリリーだと。
「賢い人間だったな。自分はもうどうにもならないから、ずっと遠い先を考えてた。どうしたらあいつらを困らせることができるか、殺せるか、そういう話をたくさんした。あなたならできるから、って」
にわかには信じられない。
魔族と人間に共存ができないと歴史が証明している。それなのに男の言い分は、まるでリリーの意思を継ぐかのように、愛しているとでも言うように、紡がれる。
鼻で笑われるから確認はしなかった。
もしかしたら、リリーを愛していることを否定されたくなかったからもしれない。
「……うまくいくはずない」
「うまくいくはずだ。そのために僕はこいつらを殺さずにいる。死ぬ間際に遺言を残してもらうんだって」
リリーの理想を信じている姿は、まるで本当に犬のようだ。
ミュエが何を言っても聞く耳を持たないだろう。
物騒な理想を語るが今すぐに何かをするつもりがない魔族の男に、何をするつもりもない。事実確認ができただけで満足をしてミュエは来た道を戻った。
しかしそこで封印のことを思い出す。
「子どもに封印をしたのはお前か?」
「ん? 封印?」
「獣人の血が濃い子どもには封印の魔法がかけられていた。赤文字を浮かばせて、お前そっくりの顔で泣いていたぞ」
「……封印」
魔族の男には思い当たる節がないようだが考えていた。
こいつじゃなければ誰が封印をかけるのか。こんなことができる魔族がこの辺りにうろうろいられたら迷惑なんだが、とはっきりしない男に苛立ちを募らせていると、あ、と閃いたかのように指を立てた。
「母親と兄弟を守れって。あの子がいなくなる日にまじないをかけたけど。それかな」
「まじない?」
「そう。人間の間でもあるんでしょ? そういうの」
魔族の男は、その瞬間を思い出すように笑って、まじないを語る。
「人間はそうやって、口と口をくっつけて、まじないをするんでしょう」
「……お前、何歳だ?」
「え。50くらい?」
通りで。
リリーにもまじないをかけた。子どもにもまじないをかけた。
リリーと口をくっつけて、腹にもくっつけて。
エマーリリーが離れてしまったから、あの男児は封印を解こうとするほどに暴れたのかもしれない。厄介なことをしてくれたと思うのに、ミュエは奇妙な気分だった。
少女と、魔族の中では少年の年齢の男。
形だけが大人になってしまった二人だ。それは気が合っただろう。互いに自覚もなく、愛し合っていたとすれば、自覚させないでいるのが救いになるんじゃないかとさえ考える。
今度こそミュエは部屋から出た。
リリーと子どもをよろしくね、と笑う声がする。
閉じた扉を見つめると、中から狂ったような叫び声が聞こえた。
男のしゃがれ声もする。
かわいそうだと、少しだけ思った。