胡散臭い笑い(5)
ミュエは金髪を撫でた。たんぽぽの綿毛のような触り心地で、生まれたての短い髪。人差し指の背中で唇を持ち上げると、歯はひとつも生えていない。
当たり前だ。生まれたてだから。
「……見間違いじゃあないよな」
独り言のつもりだが、デューが頷いた。
獣人。魔族。リリー。妖精の悪戯か? いや、あいつらは確かに悪戯好きだが血の匂いがする相手には近づかないはず。
そもそも悪戯をする隙なんてないし、チェンジリングをけしかけておいて冤罪を吹っ掛ければ、ミュエの身が危ない。
何度目かわからない深いため息を吐き、のんきに眠る男児の頬を突くと、隣で暴れるエマーリリーが私を触れと言わんばかりにミュエに手を伸ばしている。お望み通りに頬を撫でてやり、それからは椅子に座って真剣に考えることにする。
獣人。
それから肌に浮かんだ赤い文字。
あれは魔法だ。
人間も、魔法使いも、魔族も、魔物も魔法を使う。
赤い文字、赤い魔法文字。
赤は基本的に、火の属性を持つ。すべてを無に還す炎の魔法文字は、封印によく応用される。
魔法師や魔物には使えない。魔法使いか、魔族か。
なら、それこそリリーと一体どんな関係があるのか。客観的に見れば獣人の力を封印しているように見えた。いや、それならなぜ完全に封印されている人間の状態では浮かばないのか。
魔法使いの仕業ではないはずだ。この辺りに魔法使いはいない。
結論は、魔族の仕業となるが、そうなれば、この赤ん坊と関係のある獣人である可能性が高い、が。
だから、その獣人は、一体誰だと言うのか。
領主が獣人? そんなわけない。そんなことがあれば国が黙っていない。隠し通せるわけがない。人間と交わるうちに血が薄まるだろうし、うまくいくはずがない。
「……わからん、クソッ」
何を思ってミュエに子どもを託したのか。
リリーの美しい笑みが頭に浮かぶ。
マンドラゴラが食べられそうになっただけでおおきな問題はなかったので、このままでもいいんじゃないかとも考えた。
が、一秒後には考えを改める。
放っておいていいわけがない。もし獣人であれば、人間と一緒には生きていけない。獣人の生き方を覚えなければならない。
彼らは人間を殺すから。
「……行くしかないか」
リリーのことを知る人物。
リリーの妊娠を知る人物。
領主、そのひとに会いに行くしかないだろう。
人間と関わりたくないと思っていたのに、結局自分から人間に関わりにいく羽目になる。この赤ん坊はきっとずっとミュエの悩みの種なんだろう。
外は暗く、人間は眠る時間だ。
明日に延ばせばどんどん足が遠のきそうでミュエはローブを被って外へ出た。街を出て、道を抜け、ロマジカの森と真正面から対峙する形で立つ領主の館。関門を兼ね備えているだけあって灯りはあちこちについており、ちょっとやそっとでは崩れそうにない造りをしている。
ミュエは影に隠れながら領主の部屋を目指す。偉い人間は前よりは奥、低いよりは高い位置に住むものだと聞いたことがあるので、より守りが堅く、高い場所へ向かった。武装した人間が立っていたがミュエはずるりと腰から伸ばした尾で壁の装飾の上を這い抜けていく。
変だな、と途中で気付いた。物音がまったくしないわけではないのに、通り抜けても彼らは無反応だ。
まるで術にかかったかのように。
疑問に思いながらもミュエは日が昇る前には確認を済ませたくて領主の部屋を目指した。一際豪華な扉を見つければ、侵入は窓からしようと廊下の壁に足をかけたところで
「鍵、かかってないよ」
中から声がかかる。
隙間なく締まっているはずなのに、低く、唸るような声がはっきりと聞こえた。
肌に感じる魔族の気配。
ミュエは悩んだ後、扉を両手で押し開く。
室内は煙草と、香水と、死の匂いに満ちていた。
割れた窓の下、月の光を浴びてソファに座っている男の頭の上で金色の犬の耳が揺れている。