4.胡散臭い笑い
「二年前、ひどい雨が降ったんです」
翌日、やってきたアーランドをミュエは出迎えた。ずいぶんと気まずそうな顔をしていたアーランドだったが、自分の謝罪や弁解のために迎え入れられたのではないと気付き口を閉じる。向かい合って座ることを許され、いつもと変わらないミュエの表情に安心と不安が入り混じった。
彼女がいつもと変わらない態度であるのなら、アーランドだってそうあるべきだ。互いに、先日の出来事が嘘であったかのように振る舞う。
アーランドはミュエに二年前に何があったのかと尋ねられ、紅茶で喉を潤してからゆっくりと話し始めた。きっとこれが、謝罪になる。
思い出すのは二年前、自分がこの最東端の街に派遣されるきっかけとなった豪雨だ。
雨季に訪れた例を見ない雨が土壌を流し、結果として作物が育たなくなってしまった。この街が頼りにしていた近隣の農家も被害に遭い、数少ない収穫物は領主に納めることとなり食糧不足の問題が上がった。
土壌を調査するために土属性の魔法師であるアーランドが派遣された。ミュエからすればただふらふらしているようにしか見えなかった彼の本職は、土壌成分の分析だ。
例のない豪雨――天災には多くの種類がある。
「おそらく、今回のは魔物の仕業だろうね」
「魔物」
「土壌を分析したら、水が溜まりやすい性質に変わっていたんだ。この近くで水属性の魔物が暴れて、その魔力のせいで土の性質が変わったんだ。彼らには水はけが悪いと説明して、火属性の魔石なんかを農工具に嵌めて対応してるんだけど、……非効率的だね。土なんかは汚染されやすく、浄化しにくい。根が張らないんだ」
ミュエは土壌には興味がなかった。頭の痛い話だ。なんとなく仕組みは理解できるがアーランドが語る緻密な数字はわかっているふりをするしかない。
二年前といえばミュエは既にこの地に居ついていたが、天気など気にしたこともなかった。アーランドが訪れるまで、森と家を行き来するだけの生活だったから。
この街の守り神でもなんでもないミュエには間違いなく関係のないことではあったが、無関係を貫くほどに冷徹にはなれず、最近やけに活動的な左胸がドキリとした。
この時点でなんとなく想像がついた。いつの時代でも、領主と領民の力関係は変わらない。力がある者と力がない者の線引きは明らかだ。
食糧不足を解決するために、食糧がある者から与えてもらわなければならない。
どこで領主が目にしたか知らないが、それはきっと、美しく若い娘を手に入れる罠だったのかもしれない。
辟易とする。そんなミュエの表情で、アーランドも彼女が理解したことをわかっていた。
「僕がここを来たとき、だれもリリーさんの話をしませんでした」
「英雄扱いじゃなかったのか?」
「……おや、どこで聞いたんです?」
胡散臭さが染みついている男だとミュエは思った。
そう思われていることをしっかりと感じ取ったアーランドは、数秒見つめ合って折れることにした。いつも通りに会話をしているようでいて、自分の立場のほうが悪いことは刻んでいる。
「領主から支援が届いた後ですよ、それは。僕が着いたときはまだ全然、先が見えないと言った風でした」
アーランドはそこで初めてリリーのことを知った。領主の突然の迎えに対し、従順に着いて行った少女のこと。
天涯孤独の彼女は笑って荷台に乗り、――事実上、街に売られていったのだ。
「土壌の問題は、結局、僕には解決できませんでした」
アーランドは笑っていた。
胡散臭い笑顔が、ミュエには彼の意地のように感じた。
眉を下げ、ティーカップを遊ぶ指先は乾燥し、荒れている。土を掘り、水を汲み、火属性の魔石を農工具に嵌めるのも魔法師の彼が行っていたはずだ。そうして時々、街の人々の調子を聞き、ミュエの薬も取りに来て。
よくやっているじゃないか、と無責任なことは言えない。
「もうすぐここを発つんです。次に来る後任に、あとは任せます」
「そいつは優秀なのか」
「僕のほうが優秀ですけどね」
目を伏せて、ミュエを見ない男。
何を考えているのかわからない。ミュエには人間の心を覗く力はないから。
そうか、と一言相槌をつき、話は終わりだと言わんばかりにテーブルに突っ伏した。頭の位置が下がり、髪の毛が床につきそうになるとマンドラゴラが転びそうになりながら毛先を支える。
ひどいダンスだな、とアーランドの笑う声がする。マンドラゴラはその気になれば鳴き声を発し人間の脳を麻痺させる魔物なのに、恐れる様子はない。いつの間にかデューも勝手に紅茶を出すようになり、アッシュボーンも怯えずに姿を現す。
化け物の姿を、一番の思い出と言う。
「……ごめんなさい、ミュエさん」
返事はしなかった。話は既に終わっていたから。