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夢の島  作者: 壇之浦太郎
2/2

☆☆

5時に”ブライトアイランド”の正面ゲートに着くには、まだ電車も動いていない時間だったので、タクシーで向かうしかなかった。


身支度と、身だしなみをじっくりと整えるため、2時に起きた梨楽は、タクシーの中で、眠い目をこすっていたが、

「お姉さん、”ブライトアイランド”で働いてるの?すごいねぇ」

と、タクシーの運転手が聞いてきたので、少し嬉しくなった。


確かに、8時開園の”ブライトアイランド”に、こんな時間から向かうなんて、働いている人間だと誰でも思うだろう。

まだ”研修生”です。なんて言っても、この運転手には伝わらないので、「ええ、まぁ」と、まんざらでもない返答をするに止めた。


秋口の5時はまだ暗く、小さい頃から何度も、早朝から並んだ”ブライトアイランド”の正面ゲートも、人っ子一人おらず、まだ薄明かりに包まれた様子は、まるで別の建物に来たように錯覚させた。


5時キッカリに、正面ゲートの脇の通用口が開き、薄闇の中から、一人の人影が向かってきた。


驚くほどに足の長いその体型(スタイル)は、闇の中にシルエットしか見えなくても、すぐにレイコだとわかった。


レイコは、明るい髪をポニーテールにくくり、パンツスタイルのビジネススーツという出で立ちだったが、普通のOLと違うのは、紫のアイシャドウに、紫の口紅という、驚くほど濃いメイクを施していることだった。


梨楽の姿を見つけると、紫の唇をグイッと持ち上げ、レイコは笑みを浮かべた。


「おはよう☆時間ピッタリだわぁ☆」

梨楽は姿勢を正すと、深々と頭を下げた。

「お、おはようございますっ!今日から、よろしくお願い致しますっ!」

梨楽の挨拶を受け、レイコはまた、紫の唇を持ち上げた。

「そんな固い挨拶じゃだめよぉ☆まぁ、それはおいおい、指導していくわねぇ☆それじゃ、早速なんだけどっ☆」

レイコはスーツのポケットから、黄色いゴムバンドを取り出した。

「これは、”ブライトアイランド”の従業員(キャスト)用パスよぉ、これを常に手首に着けてねっ☆」

梨楽が言われるまま、レイコから従業員(キャスト)用パスを受け取り、手首に装着している間に、レイコは、ゲートの横においてある、青い箱を持ってきた。


「次に、荷物は全て、ここに入れてくれるかしらっ☆」

突然の指示に、梨楽はあっけにとられた。

「へっ?に、荷物?」

「そうよぉ、夢を与える、”ブライトアイランド”の従業員(キャスト)は、現実世界との繋がりを断つため、私物は一切持ち込み禁止なのぉ☆貴重品、お財布、スマホ含めて全てここで回収するわねっ☆」

「財布に、スマホも・・・?」

「そうよぉ☆現実世界のものは、全て回収よっ☆」


梨楽は、カバンからスマホを取り出すが、なかなか箱に入れることができない。

「あ、あの、両親に、連絡してもいいですか?まだ、今回のこと伝えて----」

バリッ

そこまで言った時、梨楽の手首に、針で刺したような鋭い痛みが走った。

「あっ」

梨楽は小さく声をあげると、そのまま沈黙し、無表情でレイコを見つめた。


レイコは、依然として紫の唇に笑みを称えたまま、呟いた。

従業員(キャスト)ルール:上司に対する抗弁(こうべん)は禁止」

梨楽は無表情のまま、持っていたスマホを、箱の中に投げ入れた。

バキッ、と、画面が割れる音がしたが、梨楽はそのまま、カバンの中身も続けてバラバラと、無造作に箱に入れていった。


レイコは、箱に収められた梨楽の荷物の中に、ピンクのキャミソールのレオタードと、ベージュのタイツ、そしてダンス用のシューズなどが入っているのを見つけた。


「あらぁ☆ちゃんとレッスン着を持ってきてたのねっ☆偉いわぁ☆」

レイコはそう言って、梨楽の頭を撫でてやる。それでも、梨楽は無表情のまま、反応を示さない。


「でもねぇ☆」

レイコは、先ほどとは違う、邪悪な笑みを浮かべて続けた。

「”アナタたち”のような分際には、こんなカラフルで可愛いレオタードなんて、もう要らないのよぉ☆」

レイコは、満面の笑みとは裏腹な、まるで蛇のような鋭い目で梨楽を見つめた。


従業員(キャスト)ルール:”アイランド”内では、常に笑顔」

レイコが言うと、無表情だった梨楽は、ゆっくりと口角を持ち上げ、笑顔になった。


しかし、目は依然として虚ろなままであり、口角を無理やり持ち上げただけの笑顔は、貼り付けたような不気味なものになった。


それを見てレイコは嘲笑的に笑った。

「すぐに、可愛い笑顔になれるわぁ☆」

そう言ってレイコが、梨楽に背を向けて歩き出すと、無様な笑みを浮かべたまま、梨楽もそのあとに続いた。


しばらく、誰もいない”ブライトアイランド”の本部内を、レイコに続いて歩いているうち、梨楽はふと我に返った。

(あれ、私・・・)

数分前からの記憶が無い梨楽だったが、そこで、自分の体が目の前を歩くレイコの、一定距離を保った後ろをひとりでに歩いていること、口がグイッと持ち上がり、変な笑顔を作ったまま、表情が変えられないことに気が付いた。

(ど、どうなってるの?)


状況が呑み込めないまま、梨楽はレイコの後ろに従うと、建物の奥深くにある、一室にたどり着いた。


レイコがその部屋に入り、梨楽も後ろに続くと、そこは広々とした空間だった。


四方の壁は全面鏡張りになっており、木でできた長いバーが取り付けられている。


紛れもなく、ここが、”ブライトアイランド”のダンススタジオだ。


梨楽は、自分の体の自由が効かないことも忘れ、目の前に広がる夢の空間を見て、興奮していた。

(こ、ここで、”ブライトダンサー”たちが練習してるんだ・・・)

スタジオには、何人かの人影があった。全員が若い女性で、それぞれが鏡を拭いたり、床を雑巾がけしたりしていた。


女性たちは、レイコが姿を見せると同時に、掃除の手を止め、脱兎のごとく、レイコに駆け寄ってきて横一列に並んだ。


女性たちはみな、デザインの違いはあれど、真っ白なレオタードに、光沢のあるベージュのタイツという出で立ちだった。


髪をポニーテールに結わえている者もいれば、お団子にまとめている者もいるが、ひとつ共通しているのは、前髪は全員アップにして、ビッタリと固めていることだった。


レオタードの女性たちは、満面の笑顔で姿勢を正すと、

「ハイッ☆」

一番向かって右に立つ女性が合図を出すと、次の瞬間、

「オハヨウゴザイマァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ☆」

耳をつんざくような大声で、女性たちは声を揃えて叫んだ。

それはまさに、梨楽が電話でレイコに向かってした”ご挨拶”だったが、そのレベルが違っていた。


“ご挨拶”が終わり、満面の笑みのまま直立する”ブライトダンサー”たちに、レイコも笑顔を向けた。

「オハヨォ☆わたしの可愛いダンサーちゃんたちっ☆今日は、お掃除はこれでおしまいよぉ☆実は、また、みんなの新しい”お仲間”が入ることになったのぉ☆」

レイコが言うと、梨楽はスッと、レイコの横に並んで直立した。もちろん、梨楽の自分の意思ではない。

「このリラちゃんに、まずはレッスンの様子を見せてあげて欲しいのぉ☆リハーサルまでに終わらせたいから、すぐに準備してくれるかしらぁ☆」

レイコが言うと、ダンサー達はまた、笑顔で姿勢を正した。

「ハイッ、レイコセンセッ☆」

ダンサー達も、甲高く、語尾を上ずらせるイントネーションで返事をすると、それぞれの掃除道具を片付けて、何やら準備に取り掛かった。


「リンカちゃぁん☆リラちゃんの着る、レオタードとタイツを持ってきてくれるかしらぁ☆」

レイコが指示すると、一人のダンサーが、レイコ達の元に、全力疾走で駆け寄ってきた。


そのダンサーは、手に持っていた白いレオタードとベージュのタイツを、梨楽に手渡した。

「ありがとぉ☆リンカちゃんも、”研修生”になって数週間だけど、もう後輩が出来るのよぉ☆しっかり、可愛いダンスを見せてねぇ☆」

レイコが言うと、ダンサーは姿勢を正して、「ハイッ、レイコセンセッ☆」と、独特なイントネーションで返事をすると、また全力疾走でどこかへ向かった。


「さてっ☆アナタは今からぁ、”ブライトダンサー”たちの練習を見学してもらいまぁす☆まずは、このレオタードとタイツに着替えてねぇ☆」


梨楽は、手に持ったレオタードを見下ろした。

真っ白な生地以外は、なんの模様や装飾もついていない。

(こ、こんなレオタード着るの・・・)

そんなことを考えているうち、

バリッ!

また、従業員(キャスト)パスを着けた手首に痛みが走り、梨楽は笑顔で姿勢を正した。

その目からは光が消え、梨楽の思考は停止していた。


従業員(キャスト)ルール:”ご挨拶”、”お返事”、”お話”は規則通りのやり方を守ること」

「は、はいっ、レイコ、せんせっ」

梨楽は、すっとんきょうな声で返事をしたが、それは他のダンサー達のものと違って、かなりたどたどしいものだった。


レイコも苦笑して、「まずまずねぇ☆」と言うと、梨楽はスタスタと歩いて行った。


スタジオ奥にある、殺風景なロッカールームに入ったところで、梨楽の体はようやく自由が戻った。

(なんか、どうなってるだろ、私)

自分の身に起きてる状況に違和感を感じながらも、指示通りに動いてしまうのは、体が勝手に動くからだけだは無かった。


この機を逃すと、”ブライトダンサー”になれない、という思いが、梨楽から”従う”という以外の選択肢を奪っていた。


服を脱ぎ、裸になると、梨楽はベージュのタイツに脚を通した。どうやら、下着は着けてはいけないらしい。まぁ、そういうダンサーも時々いた。レオタードのVラインがハイレグだと、下着が見えて無様なのだ。


思った通り、白いレオタードはかなりハイレグの仕様だった。脚が長く見えるのは良いのだが、レオタード自体はノースリーブの、ハイネックというシンプルなもので、背中のファスナーを上まで閉めると、首もとから股間のVラインまでが真っ白な生地に覆われるというもので、鏡で自体の姿を見た梨楽は、憂鬱な気分になった。


昨今では、デコルテを綺麗に見せたり、背中を露出させるデザインが流行りなのに、そのどちらの流行にも逆行したこのレオタードは、お世辞にも可愛いとか綺麗とかは言えなかった。


「う〜ん、まだ薄いかなぁ、だいぶ頑張ってるんだけどなぁ」

梨楽が着替えいる横で、女の子の声がした。


覗きこむと、一人のダンサーが、鏡に向かって懸命に何かをしていた。手には口紅や、アイシャドウのパットが見える。


「あのぉ」

梨楽が話しかけると、ダンサーはビクッとして、持っていた口紅を落としてしまった。

「お、おはようございます!」

ダンサーは、そういうと、ハッとして、口元を手で覆った。

「あ、いけない、こうじゃなかった!」

ダンサーは、サッと、先ほどまでのダンサー達のように、大袈裟に直立し、満面の笑みを浮かべた。

「オハヨウゴザイマッ☆」

ダンサーは、甲高い声で、独特なイントネーションで返事をした。

可愛い、と、梨楽は素直に思った。


「ごめんなさい、驚かせて」

梨楽は、ダンサーが落とした口紅を拾ってあげた。

「あ、ありがとうございます。じゃなかった、アリガトウゴザイマッ☆」

いちいち、決められた姿勢と言い方でやり直すダンサーを、梨楽は少し不敏に思った。


そのダンサーも、梨楽と同じハイネックのレオタードを着ていた。そういえば、彼女も数週間前に入った”研修生”だと、レイコが言っていた。なるほど、このレオタードは、”研修生”の制服(ユニフォーム)のようなものなのだ。


「私、梨楽っていうの」

梨楽が言うと、ダンサーは、あっ、と反応した。

「あ、アタシ、凛花(りんか)っていいます。じゃない、”アイランドダンサー”、”ケンシューセ”ッ☆リンカ、デッ☆」

凛花という少女は、また甲高い声で言うと、ペコリと頭を下げた。

受け答えの仕方も決められているらしい。

「凛花ちゃん、別に普通でいいよ、今だけ」

「ハイッ、コレガッ、ワタシタチノッ、フツウデッ☆」

「・・・そう」

甲高く返事をする凛花に、梨楽はため息をついた。

「凛花ちゃんはいくつなの?」

「18です。あっ、ゲンザイハッ☆ジューハチサイ、デッ☆」

「18・・・学校は行ってるの?」

「はい、高校三年せ・・・ゲンザイハッ☆”アイランドダンサー”、”ケンシューセ”、デッ☆」

凛花の様子に、梨楽はいよいよ不審感を抱かずにはいられなかった。

凛花の受け答えは、”規則通りに話している”だけでは片付かないようだった。まるで、無理やりそのように言わされているような。そう、梨楽の体の自由が効かなくなるように・・・


バリッ!

従業員(キャスト)パスから痛みが走り、梨楽の思考は停止した。


「着替え終わったら、さっさと集合しなきゃダメじゃなぁい☆」

背後にレイコが立つと、梨楽はスッと背筋を伸ばした。

「はいっ、レイコせんせっ」

梨楽は、笑顔で返事をした。

それを聞いて、レイコは笑って頷く。

「まだまだだけどぉ、さっきより随分いいお返事ねぇ☆」

レイコは、梨楽の頭を撫でてやる。

「脱いだ洋服も、もちろん回収よぉ☆そこのダストシューターに放り込みなさぁい☆」

「はいっ、レイコせんせっ」

梨楽は笑顔のまま、脱ぎ捨てた洋服と下着を、なんのためらいもなくダストシューターに投げ込んだ。数日前に買ったお気に入りだった。


「それからからぁ、さっきのリンカちゃんとのお話は、全部忘れてねぇ☆これからは、”規則通り”の”お話”しかダメよぉ☆」

「はいっ、レイコせんせっ」

レイコに返事をすると、梨楽の頭の中から、先ほどの凛花との会話の記憶は全て消え去った。この少女は、自分と同じ、”ブライトダンサー”の”研修生”であり、それ以上でも以下でもない。


「それとぉ、リンカちゃぁん、あれだけ言ったのに、まだお化粧が薄いわねぇ☆お化粧を失敗するのが恐いのかしらぁ☆」

「ハイッ、レイコセンセッ☆ブサイクニッ、ナリタクナイデッ☆」

レイコの質問に、凛花は”規則通り”答える。


「そうなのぉ、それならいっそ、思い切り不細工になっちゃいましょうかぁ☆」

そう言って、レイコは梨楽の方を向いた。


「リラちゃぁん、リンカちゃんの顔に、思い切り濃いお化粧をしてあげてぇ☆」

レイコの指示を受け、梨楽は笑顔のまま、凛花から口紅を奪い取る。

「綺麗にも、可愛くもしなくていいのよぉ☆ただ、濃く、限界まで、濃い、濃い、濃いお化粧にするのぉ☆もちろん、そのあと、自分自身も同じ顔になりなさぁい☆それを、”研修生”の規定メイクにしましょっ☆」


「はいっ、レイコせんせっ」

梨楽は笑顔のまま、凛花の口に真っ赤な口紅を押し当てた。


数分後、レイコの前に、二人のレオタード姿のダンサーが並んでいた。

梨楽と凛花のはずだが、パッと見ただけではどちらか区別が付かない。


というのも、二人は口紅も、アイシャドウも、つけまつ毛も、凛花の化粧品を使いきるほどにドロドロに塗りたくり、もはや化粧と呼ぶには無理があるほど、その顔は見るも無惨になっていた。


レイコは笑いをこらえながら、

「あらぁ、いいじゃなぁい☆今度から、そのメイクでレッスンしなさぁい☆」

というと、片方のダンサーが、

「ハイッ、レイコセンセッ」

と言ったことで、そちらが梨楽だとわかった。

「あらぁ、いいお返事じゃなぁい☆お化粧をして、また一歩成長したのかしらぁ☆」

「ハイッ、レイコセンセッ」

レイコの言葉の意味も分からず、梨楽はまた背筋をのばした。

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